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何の取り柄もないオカルト好きです。

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最近の記事

瞑想について(3)

何のために瞑想をするのだろうか? これは多々見解はあろうけど、瞑想は、自分の意識の深く(広くと書いた方が正しいかも知れない)にある大我とも言うべく宇宙創造の意識に小我(普段我々が自分と思っている通常の意識)を持って接するメソドと定義する。 普段生活をしている時、自分の意識(小我)で心と身体を使って生きている。夜(人によっては昼)に睡眠をとる。睡眠を取ることにより、小我の活動弱まり、大我に委ねる。これにより宇宙創造の力に触れ、心と身体がリフレッシュされる。よって短眠を説く人

    • 瞑想について(2)

      恐らく殆どの人が初めて瞑想を5〜20分実行してみたら意外と気持ちいいとおもわれる。 まぁこれはビギナーズラックのようなもの。継続するとカツタルイと思う人も居るだろうけど、精神集中どころか雑念ばかり出るのではなかろうか? この雑念ばかり出てくること、これは寧ろ当たり前で有る。瞑想は基本的に姿勢を固定する。この姿勢を固定すること、実は非日常の行為である。 我々は何もしない時を表現する言葉としてゴロゴロすると云う。実は必ず小さな動作をしている。 瞑想のときに固定する姿勢をと

      • 瞑想について(1)

        最近、米国からマインドフルネスとされ瞑想の有効性を紹介されている。 山本七平ではないけど、未だ日本人は「文化は外国から来る」とでも思っているのだろうか? 僕が日本人の瞑想について、また禅について語られる内容を聞くに、マインドフルネス指導者や瞑想を勧める医師の知識は「浅く」感じます。 瞑想の効果を簡単に記載すると睡眠と同じく宇宙創造者からの力を少し多めに頂けるとこと、潜在意識の浄化にあると考える。

        • オカルト的生き方(2)

          🔳瞑想 さて、オカルト的生き方と言っても、その興味の方向性から異なっているものだけど、これは忘れないようにしたいと云うものはある。 それは「瞑想」である。自分をオカルトと名乗る以上、瞑想を欠かしてはいけない。 毎日必ず行う事!可能であれば毎日1時間は瞑想したい。 でも生きていたら色々ある。そんな日は15分でも10分でも良い。毎日欠かさない事だ。 洗心の次に瞑想について意見を記載していきたい。

        瞑想について(3)

          🔳宇宙の理に学ぶ(8)

          「感謝の生活をなせ」 これは日常の基本ですね。 前述の通り、ナポレオンビルやマフイ-の話から想念は一定期間の後に現実化する。只、我々凡人は幸せにはなりたいけど、強く出世競争に意識はいかないし、スポーツでチャンピオンになりたいと妄想はしても、実際に強く手中に納めたいと思い続けれない。 ても、どんな時も感謝の生活をしていれば、漏れなく幸せな感謝すべき現実がやってくる理屈だ。 処が生きていれば艱難辛苦は避けれない。自分のミス、誤解、他人からの責のなすりつけられ、事故に巻き込

          🔳宇宙の理に学ぶ(8)

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)-2

          その昔、僕は「知る」「獲得する」「身につける」「貯める」を幸せの礎と思ってました。 購入した数千の本を見ると自分を知識人かの如く満足感に浸ってました。処が馬齢を重ね、考えが変わりました。 モノを「捨てる」「手放す」「掃く」「ふく」の方が幸せなんだと思います。 呼吸も吐く息の長い方が、息は深いですもんねー

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)-2

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)

          「宜しからぬ欲を捨て」 もともと洗心は1つの教えではあるけれども、説明の為に分けているようです。 その中でも「我」と「欲」はセットのようなもので、我々はコレにより富や名誉を求めたり、獲得したり、苦しみも得る。 いわゆる「欲」とされるものには決して否定されない生存欲がある。文字通り生きていく為に必要不可欠だ。 食欲、性欲、睡眠等の必須とされる欲がある。食べ過ぎれば太り持久力減少や将来の成人病原因の元となるし、異常性癖異常性交に問題はあるけれども、これが無くなれば絶対ではな

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)

          🔳宇宙の理に学ぶ(6)

          「我を折り」 これは実に難儀だ。 少し内容は異なるけれども、ここ東西、様々な賢人とされる方達が、強い「我」から来る弊害を解説してあり尺度を変えた注意⚠️を主張されている。 「我」自体、僕は絶対悪ではないと思う。「我」は、ある意味で他と自分を区別するものである。それに只々「我」なくば「白痴」とまでは言わないまでも、善良なダマサレ人になるだろう。 「我」は他から自分を守る大切な側面もあり、自分を自分として在り続けるものでは無いだろうか? ここで改めて読むと「我を折り」だ。「

          🔳宇宙の理に学ぶ(6)

          🔳宇宙の理に学ぶ(5)

          「明るく」について。 これは基本かも。 威圧感を与えるスタイルや哀愁を漂わる雰囲気で生きるのも映画ではカッコいい。 もっとカッコイイのは、何かに真剣にに打ち込む姿!敬愛します。 でも、やはり平素はいつもニコニコですよね。よく笑ったり、悪口も言わず楽しくしている人に害を感じません。 それにマ-フイの法則が本当なら、いま発している思い(想念)は一定期間後に現実化すると云うならば、 普段から、もっと言えば辛いとき、悲しいとき、絶対絶命のときでさえ明るくしていたら、その明る

          🔳宇宙の理に学ぶ(5)

          🔳宇宙の理に学ぶ(4)-1

          「自分にはとうてい出来ない…」 「どうしよう…なんでワタシにこんなことが襲いかかる。不幸だ…」 と思って考え込んでいても何も変わらない 不安を元に、何らかの「行動」を取った時、初めて卒業までの道筋が開けるもの どうしようもない難題が立ちはだかったとき、手をつける「強さ」 生きて行く上で必要なことですね

          🔳宇宙の理に学ぶ(4)-1

          🔳宇宙の理に学ぶ(3)

          「正しくと」と有りますけど、これは気をつけねばなりませんね。 日蓮宗の人から見れば禅宗など「天魔のすること!」でしょうし、真言宗などイスラム教から見れば最たる邪教でしょう。 と云うのは、その個々人その諸々の団体その国々で「正義」は異なるからです。 この「正しく」の基準は、言葉になる前の意識のインスピレーションに寄らざる得ませんし、 客観的に判断するならば、そこに愛はあるのか?嫉妬や妬みはないか?排他的思考になってないか?感謝の心に照らして整合性はあるか? と一歩離れ

          🔳宇宙の理に学ぶ(3)

          🔳宇宙の理に学ぶ(2)

          「強く」について。 当然に暴力的強さではありませんし、頭脳の優越性でも有りません。 自分自身への強さです。自分を律する強さ、これは説明の必要のないことですよね。この力がつけば、大抵自分の希望する事は達成できますし、達成出来ずとも一廉のものとなれます。 弱い僕が云うのもヘンですけど、基本は日常の凡事を丁寧に実行し続ける(凡事徹底)ことと、いまの自分に必要な能力や楽しみなことを上達させる努力が大切かなぁ? そうそう忘れてた。これがないと強くなれない!宇宙創造神への信頼、と云うより

          🔳宇宙の理に学ぶ(2)

          🔳宇宙の理に学ぶ(1)

          以下のことを守ることを洗心と云うらしい。 常の心として (自分自身に対して)強く、正しく、明るく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、感謝の生活をなせ。 御法度の心として 憎しみ、妬み、嫉み、呪い、怒り、不平、不満、心配心、咎めの心、イライラする心、セカセカする心を起こしてはならぬ。 とあった。 これを読んだとき、すごい戒律的な教えと感じた。 でも、よく考えれば、自分自身を律し、いつも朗らかで腹を立てず、皆んなと仲良くする生活。 難しそうで、簡単でもある生活。まぁ突き詰め

          🔳宇宙の理に学ぶ(1)

          オカルト的生き方(1)

          🔳宇宙の理に学ぶ(1) 宇宙創造神の存在を知れとされる。 宇宙の真理を知れとされる。 宇宙創世から地球🌏の天体上の位置を知り、且つ地球人のおかれた立場を知り、地球外の世界の実状を知り、地球人としての生き方の誤りを覚れとされる。 人間の死後の世界を知り、念波(人の想念)と霊波(霊の想念)の作用を知れとされる。 地球天位の大転換と一大天譴の来る原因を知り、地球文明の根本的誤謬がどの辺にあるのかを知れとされる。 それを理解し、地球人一人ひとりの心洗いの大切さをとかれる。 そして

          オカルト的生き方(1)