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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【第12章】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第11章」で「近代の幕開けの時代」の話をしましたね。(目次はこちら
 今回から三回、19世紀の様子をみていきます。
 ここでは、「長い19世紀」という概念を使います。これは、1789年~1914年を指す概念で、フランス革命から第一次世界大戦の始まりの年までの期間です。
 これをさらに三つにわけます。

革命の時代(1789年~1848年)
イギリスの時代(1848年~1875年)
帝国主義の時代(1875年~1914年)

 大雑把にいってしまえば、「長い19世紀」の前半が「革命の時代」です。そこからさらに後半を半分にわけて、そのうちの前半を「イギリスの時代」、そのうちの後半を「帝国主義の時代」とよぶことにします!
 では、今回は「革命の時代」をみていきましょう!

革命の時代(全体像)

 まず、前回の3つのポイントを確認しましょう。イギリス対フランスでイギリスが勝ったこと、世界を繋ぐ貿易が活発だったこと、2種類の革命が起こったこと、でした! 

 まずは1つ目のイギリス対フランスでイギリスが勝ったことについて。負けたフランスは、財政的に苦しい状況となり、これを背景にフランス革命が起こりました。これが「革命の時代」のはじまりの年です。

 次に2つ目の世界を繋ぐ貿易が活発だったことについて。18世紀の三角貿易は、大西洋を舞台にして繰り広げられていました。実はこの時代、この三角貿易は終わりを迎えます。西アフリカで、奴隷をとりすぎたことで、西アフリカの人口が減ってしまいました。これにより、奴隷を一人捕まえて運ぶのに、お金も時間もたくさんかかるようになってしまいます。つまり、奴隷貿易によって利益があまり得られなくなってしまったため、奴隷貿易が衰退したのです。
 これに加え、フランス革命によって、「人間はみんな平等である」という発想が広まりました。身分制度が廃止されたことを確認しておきましょう。この影響もあって、各国は奴隷貿易廃止にふみきりました。

 さて、同時にイギリスでは産業革命が進み、自分たちで安く、品質の良い綿製品を作れるようになりました。今度は逆にイギリスで作った綿製品を南アジアに輸出するようになるのです。矢印が逆転するわけです。そこで南アジアは、カネになる作物を作るようになります。綿花やコーヒー、茶やアヘンなどです。アヘンというのは麻薬の一種です。
 一方、東アジアからは茶の輸入が続いています。東アジアにはイギリスから銀が流出しているわけです。イギリスはこれを何とかしたい。そこで、南アジアで安くアヘンを買って、東アジアで高く売る、ということをはじめました。イギリスの商品ではなく、南アジアの商品で儲けようとがんばりました。
 こうして、「革命の時代」には南アジアからイギリス、東アジアからイギリス、という風に銀がイギリスに入るようになります。「近代の幕開けの時代」とは銀の向きが逆転するわけです。これを19世紀の三角貿易(アジアの三角貿易)、などとよびます。地図で確認しましょう!

 最後、3つ目の、2種類の革命が起こったことについて。「革命の時代」ですから、ここをしっかりおさえておきましょう。
 一つ目は産業革命。産業革命はこの時代、ほかのヨーロッパでもおこりました。他のヨーロッパの国々でも産業化がはじまったことをおさえておきましょう。
 二つ目は市民革命。フランス革命の影響は、中部アメリカや南部アメリカにもおよびました。ここには、スペインやポルトガルが植民していましたね。植民というのは、そこに住み着いて現地を支配することです。しかし、植民がはじまったのは「大航海の時代」ですから、19世紀にアメリカに住んでいる白人は、スペイン人やポルトガル人の何代もあとの子孫にすぎません。彼らにとって、スペインやポルトガルはもはや故郷ではないわけです。むしろ、自分たちにあれこれ口出しをする存在でしかないのです。
 そこでフランス革命の影響もあり、中部アメリカ、南部アメリカの白人が、スペイン・ポルトガルに対し、独立運動をはじめます。国はそこに「住んでいる人々」のものだ、という考え方ですね。この時代、いくつもの国が中部・南部アメリカに誕生しました。
 また、フランスではナポレオンという男が登場します。ナポレオンは皇帝をなのってヨーロッパ各地に攻めこみました。皇帝をなのる、ということは、ローマ帝国を意識しているということです。ヨーロッパ全体を支配するぞ! という意識があるのですね。逆にせめこまれた地域では、これに対抗するために「国民意識」がめばえます。「俺たちは○○国民として団結して、ナポレオンに対抗しよう!」という状態になるのですね!

 これはオマケですが、ナポレオンによって正式に神聖ローマ帝国が解体します(名実ともに解体したわけですね)。オーストリアのハプスブルク家が、神聖ローマ皇帝も兼ねていたのを覚えていますか? ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝がナポレオンによって廃位される数年前に、オーストリア皇帝をなのるようになります。ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国ではなく、オーストリア帝国を支配する家、というようになるわけです。ここも、「帝国」を名乗っていますね? ローマ帝国を意識しているわけです。
 最後に、「革命の時代」の終わりの年、1848年には、フランスでまた革命(二月革命)がおこりました。この革命はヨーロッパ各地に影響を与え、「国民国家(「国民」によってつくられる国家のこと)」を作ろうという動きが、実際に形となって各地にあらわれるきっかけとなりました!
(1848年革命のくわしい解説は、こちらをオススメします!)

2020年04月18日21時38分33秒_page-0001

革命の時代(それぞれの世界)

 東アジア世界は、がありました。この時代、イギリスから清に銀が流入する状態から、清からイギリスに銀が流出する状態に変化します。なぜか覚えていますか? イギリスがインドで安くアヘンを買い、清(の商人)に高く売っていたからです。清に大量にアヘンが流入する一方で、銀は出ていきました。清はアヘンの貿易を禁止することで対応しようとしました。しかしイギリスはそれに反発します。こうしてイギリスと清は戦争になってしまいました。アヘン戦争といいます。

 東ヨーロッパ世界は、ロシア帝国が領土を広げています。この当時、ロシア皇帝は専制政治を行っていました。きつい政治を行っていたわけです。そのなかで、ナポレオンの影響で、ロシアでも反乱がおこりました(デカブリストの反乱)。ロシアは皇帝のものではなく、住んでいる人々のものだ! という考え方ですね。反乱は鎮圧されてしまいますが、皇帝にとって大きな衝撃となります。

 西ヨーロッパは、上でみたとおりです。イギリスが世界を繋ぐ貿易で繁栄をはじめています。フランスは一時期ナポレオンが皇帝をなのって、ヨーロッパ各地に攻めこみました。イギリスを海の帝国としたら、フランスは陸の帝国をめざしたイメージですね! 一方神聖ローマ帝国は正式に滅亡し、かわりにオーストリアが帝国をなのりました。

 アメリカでは、北部のアメリカ合衆国が力をつけていきます。一方中南米(中部・南部アメリカ)ではスペイン・ポルトガルからいくつもの国が独立しました。アメリカ合衆国は、アメリカとヨーロッパはお互い、あまり口出しをしないようにしよう! と提案をします。こうして、合衆国は、アメリカ大陸の主導権を得ていくのです。そして、どんどん領土を西に拡大しました。

 イスラーム世界は、オスマン帝国がヨーロッパの圧力に苦しめられています。ヨーロッパの産業革命を得て、ヨーロッパとアジアの立場が逆転していくわけですね。

 南アジア世界は、イギリスがどんどん進出していきます。イギリスの綿製品が流入する一方、銀はイギリスに流出していきます。南アジアでつくられたアヘンは、イギリスに安く買われ、東アジア世界の清に運ばれました。

 東南アジア世界は、オランダが支配を広げています。イギリスも拠点をいくつか作りました。

 今回は以上になります。こまかい「世界」の話は高校生以上の方だけで大丈夫ですよ!
 「近代の幕開けの時代」でおさえた3つのポイントが、革命の時代にどう影響したかをおさえておきましょう。フランスで革命がおこって「革命の時代」がはじまりました。イギリスは世界を繋ぐ貿易で利益をあげています。2種類の革命が各地に広まりました。これらをおさえておけば、十分ですよ!
では、最後に「革命の時代」の復習ラップを聴いて復習しましょう!
https://youtu.be/w6e6xA6Aaqg

 次回、第13章は、「イギリスの時代」を見ていきますよ! お楽しみに!


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