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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【第13章】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第12章」で「長い19世紀」という言葉を紹介しましたね。そのなかで、「革命の時代」の話をしました。(目次はこちら
 今回は、「イギリスの時代(1848年~1875年)」の様子をみていきます。ではいきましょう。

イギリスの時代(全体像)

 この時代は、イギリスが他の国を圧倒した時代でした。イギリスは、「革命の時代」でアジアから銀が流入するようになったことで、経済的に非常に繁栄していました。ヨーロッパの他の国は産業革命の真っ最中で、イギリスには追い付いていません。イギリスだけが、安く大量にモノを作れる状況なわけです。ひとり勝ちといった状態ですね。

 さて、ヨーロッパが力をつけると、植民地がたくさんつくられる、ということをイメージされる方が多いと思います。しかし、植民地を作ってそれを維持するというのは、大変なのです。人もお金も大量に必要になる。可能であれば植民地はあまり作りたくないわけですね。

 この時代のイギリスは、植民地を作らなくても、イギリスの作った安い製品を買ってくれる地域が各地にありました。他の国々はイギリスのように安くモノを作れないからです。わざわざ植民地にしなくても、たくさんお金儲けができたのですね。

 ここで、保護貿易と自由貿易の話をします。日本について考えてみましょう。例えば、外国から安いコメが入ってきたら、日本のコメが売れなくなってしまいます。日本政府は、日本のコメ農家を守らなければいけないので、なにか対策をします。よくとられる政策は、外国からコメを輸入するときに、関税と呼ばれる税金をかける、というものです。つまり、本来の価格より高く売って、上乗せされた部分を税金として回収する、ということです。そうすると、お客さんにとっては、海外からのコメが日本のコメより価格が高くなるわけです。こういった政策を保護貿易政策といいます。

 自由貿易は、その逆。簡単に言ってしまえば、そういった税金をあまりかけずに、自由に貿易することをいいます。しかし、輸入するときは関税を高く設定し(保護貿易)、輸出するときは自由に貿易させろ(自由貿易)と要求するのは、虫がよすぎます。そんなことをするとケンカになってしまうわけです。お互いがすこしずつ譲り合って、関税を設定するのが原則です。

 さて、この時代のイギリスは、自由貿易を世界中におしつけていきます。自分の安い製品を買ってもらうためですね。もし反発があれば武力でねじ伏せる、ということもありました。前回扱ったアヘン戦争はその典型ですね。イギリスは自由にアヘンの貿易を求めるが、清はそれを禁止する。それによって起きた戦争でした。勝ったイギリスは清に自由貿易を認めさせます。

 このようにイギリスはこの時代、植民地を最小限に抑えて、他の地域は植民地にせずともモノを買ってくれる存在としておさえていました。最小限の植民地とは、カナダや南アフリカなどです。インドもほとんど植民地のように支配を強めていました。

 一方、ヨーロッパの他の国は、イギリスに対抗するため、「国民国家」の形成や工業化、近代化を急ぎます。「国民国家」というのは、一つの民族が「国民」として団結して作った国のことです。バラバラのままでは、イギリスに対抗できない! というわけですね。

 このなかで、神聖ローマ帝国が解体したあとバラバラだったドイツが、ドイツ帝国として統一しました。オーストリア帝国とは別に、西ヨーロッパに「帝国」ができるのです。また、中世を通じてバラバラだったイタリアも統一され、イタリア王国となりました。ちなみに、この時代のフランスはナポレオン3世という男が皇帝をなのって、フランス帝国もできています(1852年~1870年の間)。

 ヨーロッパ以外でも、イギリスに対抗しようと様々な国が努力しました。詳しくはそれぞれの世界でお話ししますね!

2020年04月20日22時10分23秒_page-0001

イギリスの時代(それぞれの世界)

 東アジア世界は、すでに清がアヘン戦争に負けており、イギリスによって自由貿易がおしつけられました。清でも改革の運動がおこりました。「洋務運動」といいますが、あまりうまくいきませんでした。一方、日本ではペリー来航があり、明治維新で近代化を進めようと模索がありました。

 東ヨーロッパ世界は、ロシア帝国がありました。ロシア帝国は、ユーラシア大陸全体に南に勢力を拡大しようとする政策を進めていました。南下政策といいます。

 西ヨーロッパは、上でみたように、イタリアとドイツが統一しました。神聖ローマ帝国が解体したあと、いくつもの国(正確には「領邦」といいます)がバラバラに存在していました。そのなかで、オーストリアとは別に有力な国がありました。プロイセンといいます。ドイツ帝国は、プロイセンを中心に統一されたことをおさえておきましょう!

 アメリカでは、北部の合衆国が西まで領土を広げていました。合衆国はそのまま太平洋をわたり、日本にまで来航しています。ペリー来航ですね! 一方で合衆国は、南北戦争という分裂も経験しましたが、統一を守りました

 イスラーム世界は、オスマン帝国も改革を進めています。1876年にはミドハト憲法という憲法が制定されました。これは、アジアの独立国家として最初の憲法でした。しかしすぐにこの憲法は君主によって停止させられてしまいました。

 南アジア世界は、イギリスに対する大反乱がありました。イギリスはそれを鎮圧します。ムガル帝国の最後の皇帝は流刑となり、ムガル帝国は滅亡してしまいました。そしてイギリスによる直接の支配がはじまります。ほとんど植民地といってよいでしょう。

 東南アジア世界は、オランダやイギリスが進出をしていますが、フランスもベトナムに進出しようとしています。

 今回は以上になります。こまかい「世界」の話は高校生以上の方だけで大丈夫ですよ! 
 イギリスが他国を圧倒して、植民地は最小限におさえて各地に自由貿易をおしつけたこと。一方他の国は、イギリスに対抗するために、「国民国家」形成と、近代化、工業化を急いだこと。これらをおさえておきましょう!
では、最後に「イギリスの時代」の復習ラップを聴いて復習しましょう!
https://youtu.be/1563S9l0XlY

 次回、第14章は、「帝国主義の時代」を見ていきますよ! お楽しみに!


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