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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【第14章】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第13章」で「イギリスの時代」の話をしました。(目次はこちら
 今回は、「帝国主義の時代(1875年~1914年)」の様子をみていきます。ではいきましょう。

帝国主義の時代(全体像)

 前回のイギリスの時代では、イギリスがひとり勝ちのような状態で、各地に自由貿易をおしつけていたという話をしました。この帝国主義の時代は、その状態が崩れます

 この時代、(特にドイツと合衆国など)他の国の国力がイギリスにおいつきます。これにより、「植民地を作らなくても、イギリスの作った安い製品を買ってくれる地域が各地にある」という状態が崩れるのです。他の国も安い製品を作れるようになったため、イギリスひとり勝ちの状態ではなくなったからですね。

 さらに、1873年にヨーロッパや合衆国をおそう大不況がおこり、各国はこれに対処しようと模索します。そこでヨーロッパ各国(とくにイギリスとフランス)は、植民地を広げる政策をとります。植民地をつくって維持するには人もお金も必要だから、可能なら植民地は作りたくない、という話をしました。しかしそんなのんきなことを言っている場合でもなくなってしまうのです。

 植民地を作って、「ここは俺たちの国の市場(俺たちがつくったモノを売る場所)だし、俺たちがここの資源を頂くぜ!」という状態にしないと、競争に勝てない時代になったわけです。こうして、イギリスとフランスを筆頭にヨーロッパ各国は植民地を広げていきます。こういった政策を帝国主義政策といいます。この政策をとる国を帝国主義国とよぶことにします。帝国とは、広い領土、いろいろな人々を支配する国、という話を覚えていますか? まさにこの時代のヨーロッパ諸国は「帝国」なわけですね。

 さて、ヨーロッパ(や合衆国)は、アジア・アフリカへの進出を強めます。このなかで、一部の地域は、ある程度の文明が認められて半主権国家、つまり半人前扱いをされました。日本や清、オスマン帝国などです。これら半人前は、すぐに植民地にされたわけではありません。真正面から戦争しても大変です。そこでヨーロッパ諸国は、これら半人前に不平等条約をおしつけることにしました。

 半人前の地域は、ヨーロッパ諸国のような法律制度が整っていません。そのため、ヨーロッパ諸国は、このような地域に自分たちの国民が滞在するのは危険だ、と考えます。自分たちの国民の生命(いのち)や財産を守るためには、半人前の地域の法律では足りない部分を補う必要があるわけです。そこで、不平等条約によって、足りない部分を補おうとしました。だから例えば、日本でイギリス人が起こした事件でも、イギリスの法律で裁ける、などといった不平等条約が結ばれたのですね。

 一方、それ以外の地域は、まるで誰の持ち主でないかのように扱われました(無主の地)。これらは、半人前の文明さえ認められなかった。まさにこれらの地域は、(基本的には)直接支配する植民地になっていくわけです。

 なお、このような帝国主義の時代にありながら、アジア同士の交易も非常に活発でした。しいたげられていて、独自の活動が少ない、といった印象は改められるとよいと思います。このようなアジア間の貿易は、現在のアジアの繁栄を準備したものとなります。

 こうして、地球上のほぼすべての地域が、お互いに関係し、経済的に深く結ばれていきます。今まで、少しずつ「世界」が結びついてきた様子をみてきました。この時代、まさに地球全体を覆う一つの大きな経済ができたといえるでしょう。

2020年04月21日22時00分54秒_page-0001

帝国主義の時代(それぞれの世界)

 東アジア世界は、清が不平等条約をおしつけられました。半人前扱いされたわけです。政治的には一応独立をしていますが、経済的にはヨーロッパ諸国の進出が続きます。「半植民地」といった状態になるのです。
 日本も不平等条約をおしつけられました。ただ、ヨーロッパのシステムをいち早く受け入れて、一人前に認めてもらおうと努力します。憲法を作ったり国会を開いたりしましたね。その後日本は不平等条約の撤廃に成功し、植民地化をまぬがれました。

 東ヨーロッパ世界は、ロシア帝国が勢力を広げていましたね。ロシア帝国も、清やオスマン帝国、日本に対し不平等条約をおしつけていきます。アフリカや東南アジアには、地理的な都合もありほとんど進出していません。

 西ヨーロッパは、イギリスやフランスを筆頭にアジアやアフリカに進出していきます。

 アメリカでは、北部の合衆国がイギリスをおびやかす国力をつけました。合衆国はほとんどアジア・アフリカに植民地を作りませんでしたが、太平洋に少しずつ進出しました。フィリピンやグアムを獲得し、ハワイを併合しました。

 イスラーム世界は、オスマン帝国がヨーロッパの進出をうけて、清のように「半植民地」のような状態になりました。

 アフリカは、イギリスやフランスなどが植民地を広げました。とくに、イギリスはアフリカ大陸を縦に結ぶような、南北に広がった植民地の拡大を目指し、フランスは大陸を横に結ぶような、東西に広がった植民地の拡大を目指しました。そのため、衝突なども起こりました。なお、アフリカで植民地化されなかったのは、エチオピアとリベリアだけになります。

 南アジアは、イギリスが植民地化を完了させました。インド帝国といいます。まるでインド人による帝国のようですが、この皇帝には、イギリスの君主であったヴィクトリア女王が即位しました。

 東南アジアは、オランダのほかにイギリス・フランスなどにより植民地化が進みました。唯一タイだけは植民地化をまぬがれました。国王が近代化政策を進め、不平等条約は結びますが、独立を維持したのです。

 今回は以上になります。こまかい「世界」の話は高校生以上の方だけで大丈夫ですよ! 
 ヨーロッパや合衆国などが競争する時代になり、とくにイギリスとフランスが競って植民地を獲得したこと、ようやく地球という「ひとつ」の世界ができたこと、をおさえておきましょう!
では、最後に「帝国主義の時代」の復習ラップを聴いて復習しましょう!
https://youtu.be/Aa87f2eXWQI

 次回、第15章は、これら帝国主義国がいよいよ衝突する「第一次世界大戦の時代」を見ていきますよ! お楽しみに!


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