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これ以上わかりたくない、キュウリの味

ここ最近は人生で一番キュウリを食べている。

ぬか漬けにどっぷりハマってしまった。
袋にぬか床が入っていて、すぐに漬けられるというタイプの商品をスーパーで購入。

このきっかけはまた別の機会に、「38歳はじめたシリーズ」で書こうと思う。

毎日キュウリのぬか漬けをぽりぽりと食べているうちにあることに気づいた。

キュウリってモノによって味が全然違う!

おいしいものはまず香りが違う。
なんというか、メロンのようなフルーティーな香りがするのだ。
これがぬか漬けになると風味が増し、とんでもなく高尚な食べ物に感じられる。
新鮮野菜と乳酸菌が心地良いハーモニーを奏でる。
100%「わーめっちゃおいしいわー。」と目を瞑って味わうことになる。
ため息ももれなく出てくる。
日本人で良かったと思う瞬間だ。

加えて食感が良い。
皮は薄くシャリシャリと歯応えが軽い。
あと一切れ、あと一切れとあっと言う間に一本食べてしまう。
そしてなくなるとさみしい。
こんなにおいしいキュウリに次はいつ出会えるかわからないと。

反対に残念なキュウリはまず苦い。
なんとなく土くさい。

そして皮が厚くブヨブヨした食感。
酸味があったりもする。

あの良い香りが全くしない。
土くささと苦味のあとは「無」だ。
なにも語りかけてこないしハーモニーを奏でない。


でも数ヶ月前まで私は大してキュウリの味なんて分かってなかったのだ。

多少育ちすぎたり種が大きすぎたり、または鮮度が落ちていたりといったことには気づいても今ほど落胆したりすることはなかった。

たとえばバンバンジーで、あるいはしゃぶしゃぶサラダで、ドレッシングと共においしいおいしいと食べていたのだから。


味を知りすぎてしまった。

「もうこれ以上キュウリの味は分からなくてもいい。
このキュウリはハズレだったと思う事が辛い。」

これはキュウリに限った話ではない。
なんでもそう。
知りすぎてしまうと見たくないものも見えてしまう、気づきたくない事にも気づいてしまう。
いっそ知らないままの方がいい。

いや待てよ。
じゃああの拝みたくなるような美味さのぬか漬けに出会わない人生でもいいってこと?
ダメダメ、もうあのハーモニーを知らない人生には戻れないよ。

やっぱり経験を積んだ現在(と書いていまと読む)のほうが良いよ、そうだよ!
あまりおいしくないキュウリのぬか漬けはサラダにして蒸し鶏と一緒に食べればいいんだ!!
ぬか漬けにするには向き不向きがあるだけでキュウリに当たりもハズレもないんだよ!!!


と、ぬか漬けでビールを飲み、ほろ酔いの頭の中でこんなストーリーができあがりました。

知りすぎるってそうゆう事だよねと夫と話題になったのでnoteに記録。

ちなみに最近はなかなかおいしいキュウリに出会えず。

良いのないかなーとスーパーでキュウリを欠かさずチェックする毎日です。



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