本多忠刻

姫路城と山陽道研究

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最近の記事

米・酒・塩・銭

■ 古い単位 酒1斗? お酒の量を表すのによく使われる「升」「斗」「石」などは、日本で古くから使われてきた「尺貫法」の中の、体積を表す単位です「升」。今も「一斗缶」「一升瓶」は有りますね。 ちなみに、長さの単位を「尺」(しゃく)、質量の単位を「貰」(かん)で、一貰目(いっかんめ)などと言っていました。 尺貫法は、701年の大宝律令によって制度化されたようです。 1951年の計量法成立以降も、お酒の世界では「ml」と「升」「斗」「石」は常用されます。 1石(こく)は、約1

    • 日本の教育者

      師範学校(しはんがっこう)とは、教員を養成する学校であり、戦前の日本および日本の統治地域に存在した、初等・中等学校教員の養成(師範教育)を目的とした中等・高等教育機関とされ、教員養成機関のひとつ。 尋常師範学校は、初等教員を養成する学校である。 高等師範学校は、中等教員を養成する学校である。 師範学校は、卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていた。 師範学校→高等師範学校→文理科大学

      • 姫路おでんて何やねん?

        大正時代以前から屋台の煮込み田楽に甘味噌(白味噌)か、生姜醤油をつけて食べていた。 大東亜戦争の頃より播州地方の特に浜手(大きな秋祭りがある地域)では、関東の濃口醤油に砂糖を多めに入れて甘辛くした出汁のおでん「関東煮」(かんとうだき)が出現したという。具材は濃口醤油で茶色くなるのを「よう染んでいる」と喜んで食べた。 そのまま食べると子供にも人気の甘めのおでんで、生姜醤油をかけると大人も喜ぶ味になった。祭りで集まった時に、酒やビールにも合う味だった。 関東煮もおでんなので、おに

        • 1はひとり、単独、一人称 2はふたり、2グループ、二人称 3はさんにん、3グループ、三人称 1は一品物、単独、孤独、頂点、独裁 2は支え合い、対立する、スペア。身体の主要パーツは2つが多い 3は調和と安定。文殊の知恵、第三者、三すくみ、三本の矢、補欠 3について考えてみよう 三宝は信仰の柱 紋章は三が多い 完璧・完全無欠 心技体 いろは ABC 陸海空 上中下 金銀銅 産官学 報連相 じゃんけん スリーカウント 天国・地獄・現世 三つは、「満つ」や「充つ」につながること

          地獄

          『古事記』に黄泉国が登場し、イザナミの醜い姿や悪霊の集団などがイメージされたが、仏教の地獄ほど詳細な情報はなかった。 仏教では、人は死んだ後、生前の罪について7日ごとに裁きを受ける、という考え方があります。 初7日や49日の法要、と言われるのもここに由来します。 十王(じゅうおう) 仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。 日本では、平安末期に仏教由来

          姫路第10聯隊、歩兵第39連隊

          騎兵第十聯隊(のち捜索第10連隊) 野戰砲兵第十聯隊 輜重兵第十大隊(自動車化部隊、のち輜重兵第10連隊) 歩兵第10連隊 1874年(明治7年)5月、第4大隊を基幹に改編、姫路に本部を置く 12月18日、軍旗拝受 1877年(明治10年)、西南戦争に従軍 1894年(明治27年)、日清戦争に従軍 1898年(明治31年)10月1日、第4師団から第10師団に所属変更 1903年(明治36年)には播州平野における陸軍特別大演習に際して明治天皇が行幸 1904年(明治37年)、

          姫路第10聯隊、歩兵第39連隊

          白濱鉄道(姫路市)

          JR御着駅 南北に国道312号、東西に国道2号とJR西日本の山陽本線と山陽新幹線が走る。 山陽本線の御着駅が有り、戦前には山陽電気鉄道「白浜の宮駅」方向に線路が分岐していた。 白浜町 昭和十八年「陸軍造兵廠」が松原地区に進出し、旧松原村の村前新開・常盤新開・八束新開・岩本新開・宮前の土地が買い上げられ という軍需工場(昭和十九年四月十七日に開庁)が出来て、上陸用舟艇と特攻用舟艇などの舟艇が造られていた。敷地内には港も作られた。 婆さんは「陸軍砲兵工廠」と話してくれましたが

          白濱鉄道(姫路市)

          御国野町御着

          北で御国野町国分寺、北東で御国野町深志野、東で別所町佐土、南で四郷町本郷、南西で四郷町上鈴、西で御国野町西御着と接する。 かつては宿場町だったという。 北に中播磨・西播磨地方では最大、兵庫県では第3位の規模の壇場山古墳(だんじょうざんこふん)がある。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。 神功皇后が壇を築き祈念した地とする伝承があり、名称の「壇場山」はこれに由来する。 御着の地名の由来は、「ある高貴なお方が着いた」からきているという。 おつきではなく、「ごちゃく」と読む

          御国野町御着

          ふることふみ、やまとふみ、仮名

          『古事記』(ふることふみ、こじき) 最も古い歴史書 太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで史書として成立する。 古事記は、今は「こじき」と読むのが一般的ですが、後の世で読み方が変わったもの。 和銅5年(712年)成立であるから、「ふることふみ」が正しい読み方と考える。 養老4年(720年)に完成した『日本書紀』(中国向けの漢文・編年体)と合わせて記紀と呼ばれ、日本の神典(聖典)、歴史書である。 日本書紀の読み方はに「ほんしょき」または「やまとふみ」 『日本書紀』巻

          ふることふみ、やまとふみ、仮名

          カルト誌『ムー』がしたこと

          宮下文書(みやしたもんじょ) 富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)にある北東本宮小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司家だった宮下家に伝来した古記録・古文書の総称。 ヒヒイロカネは、偽書『竹内文書』に出てくる金属とされるものである。 オカルティストが「古史古伝における太古日本の伝説の金属または合金」と主張している。 カルト宗教でテロ事件を起こしたオウム真理教(教祖:麻原彰晃。死刑)も富士にサティアンを作り、ヒヒイロカネを探し求めていたという。 日本

          カルト誌『ムー』がしたこと

          古事記の要約

          『古事記』は、日本最古の歴史書で、奈良時代に編纂されました。 内容は主に以下の三つの部分に分かれています。 神代巻: 日本の神々の誕生や、天地創造について記述されています。特に、イザナギとイザナミの神話が重要で、彼らの子供たちが日本の神々となります。 帝紀巻: 初代天皇である神武天皇から始まり、歴代天皇の系譜や業績が語られています。この部分では、各天皇の治世や出来事が中心です。 下巻: 歴史的な出来事や伝説、特に大和王権の成立や各地の豪族との関係が描かれています。 『

          古事記の要約

          我が国史上空白の147年間

          266年~413年は中国の文献から倭国の記述が消える空白の147年間。 ヤマト王権の成立過程などが把握できない 弥生時代末期から古墳時代 仏滅紀元809年 紀元前544年を仏滅紀元元年(=1年)とする。宗教的釈迦の入滅 西暦266年 西暦紀元は適当に定義されたもので何の根拠もないので定義を考案中。 イエス・キリストの誕生年でも有りません。 日本 神功皇后摂政66年 皇紀926年 中国 西晋 : 泰始2年 呉 : 甘露2年、宝鼎元年 から 仏滅紀元956年 西暦4

          我が国史上空白の147年間

          刀伊の入寇と撃退

          9世紀から11世紀にかけての日本は、記録に残るだけでも朝鮮半島の新羅や高麗などの海賊による襲撃略奪を数十回受けており、特に酷い被害を被ったのが筑前、筑後、肥前、肥後、薩摩の九州沿岸である。 入寇 (にゅうこう)とは、外国の軍勢や海賊などが攻め入ってくること。 刀伊の入寇(とういのにゅうこう:刀伊の来寇) 寛仁3年(1019年)3月28日に起きた平安時代中期の外敵侵入事件のことです。 刀伊とは、朝鮮半島の「高麗」の人々が、賊を「東の夷狄(いてき=野蛮人)」という意味で「東夷

          刀伊の入寇と撃退

          摂津国

          源満仲 平安時代中期の武将。 清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。 武蔵権守の任期を終えていた応和元年(961年)に満仲の邸宅が強盗に襲撃される事件が起こり、自ら強盗の一味であった倉橋弘重を捕らえた。弘重の供述によれば醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基がそれぞれ主犯と共犯であったという。 安和2年(969年)の安和の変では、源連らによる皇太子・守平親王(のち円融天皇)廃太子の謀反があると密

          お経の完全日本語化を切望する

          ■聖書 聖書(せいしょ、ヘブライ語: ביבליה‎、ギリシア語: βιβλία、ラテン語: biblia)とは、キリスト教、ユダヤ教で教典、正典とされる書物。 イスラム教でも教典とされている。 ユダヤ教およびキリスト教関連の宗教ではもっとも重要な文書とされる。 旧約聖書と新約聖書の両者を聖書と呼ぶのはキリスト教の立場に基づくものである。 ■コーラン クルアーン(アラビア語: اَلْقُرْآنُ‎, 転写: al-Qurʾān, IPA: [al qurˈʔaːn]、

          お経の完全日本語化を切望する

          米作りを辞めるは神勅に背くこと

          七国史 1.古事記 2.日本書紀 3.続日本紀 4.日本後紀 5.続日本後紀 6.日本文徳天皇実録 7.日本三代実録 ①古事記 わが国最初の歴史書 神代の創世神話から推古天皇(在位592―628)の時代までの歴史を記した書で、わが国現存最古の史書。『古事記』の編纂は、諸氏族に伝来する「帝記」(皇室の系譜や伝承)や「旧辞」(神話や説話、歌謡等)に誤りが多いことを憂慮した天武天皇(同673―686)が稗田阿礼(ひえだのあれ)に正しい記録を誦習させたのに始まります。天武天皇の死で

          米作りを辞めるは神勅に背くこと