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クソエイムの雨に舐めプしてたら、やさしさのヘッドショットを喰らった

子供の頃、いや、高校を卒業するくらいまで、私は滅多に傘をささないタイプの人間だった。雨に打たれることに抵抗がない。今でも小雨であれば手ぶらで歩く。

高校生の頃、大きな台風が来て学校が半休になったことがあった。

友達が次々と迎えの車で帰っていくのを尻目に、私は横殴りの雨の中を1時間以上かけて歩いて帰った。傘もささずに。

この時の雨は文字通り記録的な大雨だった。

雨粒で目を開けていられない状態を体験したのはあれが初めてだ。膝上まで水位を増した、元は水たまりだかなんだかよく分からない激流を、重たくなったジーンズ(私服登校の学校だった)でのっしのっしとかき分けて帰った。

SNSでよく見る『T.M.Revolutionごっこ』ができるレベルを遥かに超越した、猛烈な土砂降りだった。

沖縄の雨は強烈だ。傘をさしてもあまり意味がない。風が強い日なんて最悪だ。空から降ってくるはずの雨粒が全方位から銃弾のように飛んでくる。15秒で蜂の巣だ。尋常ならざるエイミングである。

傘で手を塞いでいる暇があったら、その手を前後に大きく振って雨宿りができる場所へ逃げ込んだ方が良い。そっちの方が、深手を負わずに済む。

沖縄は風が強いし、本土に比べて雨粒も大きい。篠突く雨の日に安いビニ傘をさそうものなら、一瞬で骨がバキバキに折れて粗大ゴミになる。要は傘をささない方が得なのだ。

もちろん、沖縄の雨がいつもザーザー降りなわけではない。小雨のときだってある。

だが傘で凌げるような小雨は、私の中で「降っていないもの」として判定される。小雨のときでも、やはり私は手ぶらで外を出歩いてしまうのだ。傘をさすべき条件が世間一般よりも厳しいのだと思う。

高校3年生の頃、私は初めて1人で大阪に行った。進学先の専門学校を見学するためだ。日程は1泊2日。宿泊は梅田のホテルにお世話になったのだが、ここにたどり着くのがとても難儀だった。

「梅田はダンジョンだ」というのは誰が言ったのだろう。本当にその通りだと思う。梅田はダンジョンだ。高層ビルを目印に歩こうとしても、似たような建物が多すぎてちょっと歩くとすぐ見失ってしまう。

当時の私は梅田ダンジョン攻略に必要なレベルが足りなかったように思う。阪急三番街とルクアを延々と行き来していた。

大阪に降り立ったのは昼過ぎだったが、目的のホテルを見つけたのは陽も傾き始めた頃だ。ちなみにこれはダンジョンを攻略したのではなく、ゲームで強敵相手にレバガチャをしてたら偶然勝ってしまった現象に似ている。つまり、ただのまぐれだ。

ビギナーズラックで探し当てたホテル前で信号を待つ。そのときになって、私はようやく周囲を見渡す余裕ができたのだろう。自分以外の人がみんな傘をさしていることに気づいた。

小雨がぱらついていたのだ。

降っていると言われれば確かにそんな気がする。そんな霧雨だった。正直まったく気づかなかった。この程度の雨は、私の中で「降っていない」ことになる。

あの恐ろしいエイム力を誇る沖縄の豪雨に比べれば、大阪の小雨は、言葉は悪いがクソエイムだ。FPS初心者みたいな雨である。

キルレートの低い雨に傘は必要ない。そもそも傘なんて持ち歩いていない。だから私は仁王立ちで信号を待ち続けた。舐めプだ。

レベル不足で梅田ダンジョンを攻略できなかったくせに、大阪の小雨が相手となれば手のひらを返して舐めプをする。相手が格下と分かった途端にイキりだす中学生みたいだ。

そんなイキり中学生、もとい私が哀れに映ったのだろう。通りすがりの、名前も知らない初対面の男性が私を傘に入れてくれたのだ。

差し出した傘は決して大きくない。ごく一般的なサイズだ。私が傘に入ると、彼の肩は雨に打たれてしまう。いくらクソエイムとはいえ、すべての雨粒をかわすのは不可能だ。実際、男性の肩は濡れていた。

仰天した私が傘から出ようとすると「いいから」と雨から守ってくれる。クソエイムの雨から。

「雨は歩いてたら気にならへんかもしらんけど、立ち止まると辛いで」

射程外からヘッドショットを撃ち込まれたような感覚だった。

柔和な笑みをたたえた男性は30代も中盤に差し掛かっていたように思う。男性にしては小柄で、しかも細身だ。

決して屈強とは言えない彼が、突然ヘッドショットを撃ち込んできたのだ。世間で『やさしさ』と呼ばれるヘッドショットを、恐ろしく的確に。

神エイムだ。こんな上級スナイパーはそうそういない。

急に自分が恥ずかしくなった。傘は自分の身を守るだけではない。こうやって人に差し出すこともできるのだ。そんなことも知らないで舐めプをしていた自分が、とんでもなく狭量な人間に思えた。

イキり中学生の私が舐めプをやめようと思った瞬間は、間違いなくあのときだ。

彼が撃ち込んだ弾丸は私の頭蓋骨を貫通し、今も脳内に残っている。滅多に傘をささない私だが、あのヘッドショット事件から折りたたみ傘を携帯するようになった。

私がさすためだけではない。傘が無くて困っている人に差し出すためでもある。いくら天気予報が「晴れだ」と言っても、私は必ずカバンの中に折りたたみ傘を忍ばせて出かける。

『やさしさ』のヘッドショットを撃ち込むチャンスを逃さないように。

クソエイムの雨でも、当たれば濡れるから。

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