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オンとオフしかないから、母の心を抉ってしまった

「わたし、生まれない方が良かったよね?」

母にそう聞いたのは4歳の頃だ。

母の名誉のため、これだけは強く主張しておく。私は虐待を受けていたわけではない。断言する。

ただ、母は私によく「忙しい」と言っていた。実際忙しかった。父が営んでいた自営業の事務をして、仕入れをして、家事もしていた。

母の言う”忙しい”には当然私の世話も含まれていて、4歳の私はそれをしっかりと理解していた。だから私がいなければ、母の”忙しい”が幾分マシになるのだろう。そう思って聞いたのだ。

「わたし、生まれない方が良かったよね?」と。

子供はある時を境に、大人に何でもかんでも質問する時期がくる。質問期というやつだ。

母は質問期の私に辟易していた。ハッキリ覚えている。

当時の私は食玩やおもちゃのパッケージに書かれているピクトグラムが好きで、これはどういう図なのか、何をしている場面なのか、しつこく聞いた。多分、あなたが思っている10倍はしつこく聞いていただろう。

曖昧な言葉が理解できなかったのも母を悩ませた。

歯医者で歯科助手のお姉さんに「前髪かわいいね、最近切ったの?」と言われたが、意味が分からなかった。帰りの車で母に”最近”の意味を質問したが、大変歯切れが悪い。

母曰く、”最近”とは”ちょっと前”のことらしい。ちょっと前とはいつなのか、1時間前か、昨日か、一昨日か、なぜ日付ではなく”最近”とわざわざ言わなくてはならないのか、最近が最近でなくなるのはいつなのか。

ハンドルを握る母の横顔は明らかに困っていたが、止められなかった。執拗に「なんで?」を繰り返す私に、母は「最近は最近」としか言わなくなった。

世の中の大半はグラデーションで成り立っている。それを当時の私は理解していなかった。

電気のスイッチみたいに、すべてオンとオフに二分していると思っていた。オンでもオフでもないなんて有り得ない。だからハッキリさせたかったのだ。全部。

知らない子が友達に昇格する条件はなにか、空へ行くには何階建てのビルに登れば良いのか、はらぺこあおむしは具体的に何をどれくらい食べたのか。全部知りたかった。白黒つけたかった。曖昧だから。

私が質問すると父は激しく怒った。だから母に聞いた。昼間は保育園に預けられていたから、保育士にも聞いた。だがどの大人に聞いても、私が最終的に得られる回答は大体「忙しい」か「○○は○○」だった。

返ってくる答えが同じなら聞くだけ無駄じゃないかと思うかもしれないが、ちゃんと教えてもらえることも時々あった。ピクトグラムが良い例だ。大人は飽き飽きしていただろうが。

だから、まあ、大人が忙しくなければ、私が抱いている疑問はすべて解決できるものなんだと思っていた。忙しいから「忙しい」とか「○○は○○」とかいう頓珍漢な答えが返ってくるんだと思っていた。

しかし、ただ1つ。ただ1つだけ、極めて異質な答えが返ってきた質問がある。

「わたし、生まれない方が良かったよね?」だ。

寝かしつけの絵本を読んでもらっていたとき、母にこれを聞いた。ただならぬ声をした母が「なんでそう思ったの?」と聞き返してきたので強烈に覚えている。

お母さんいつも忙しいって言うから。しょっちゅう怒ってるから。教えたのに何で分からんの? って言うから。私がいないほうがお母さん楽だから。

子どもが考えつくことは一通り言った気がする。いつも私の質問を強引に封じ込めるくせに、なぜこの質問だけ熱心に耳を傾けるのか。当時の私には、それこそ疑問だった。

母は謝っていた。生まれない方が良かったと思ったことは一度もない、いつも怒ってごめんね、と。深刻に、切実に、語ってくれた。

私は「ふーん」と納得した。お母さん変だな、でも教えてもらえて良かったな、忙しくなかったんだな。そんなことを悠長に考えていた。なぜ謝るのか、なぜ優しく答えるのかに関しては、まったく分かっていなかった。

だって私は、はらぺこあおむしの摂取カロリーと同じ感覚で聞いただけだから。たまたま、その内容が自己否定だっただけで。だから、あのとき急に優しくなった母は気味が悪かった。母には悪いが。

今なら分かる。あの質問がどれだけまずいものだったか。

4年しか生きていない娘が、突然自分の存在を否定しだした。忙しさにかまけて娘を雑にあしらい続けたせいだ。母は反省したに違いない。反省、という言葉では生ぬるい。動揺したし、後悔したし、深い自己嫌悪にも苛まれただろう。

ここで母の育児が良かったとか悪かったとか言うつもりはない。子育ては結果論なところがあるし、だからいつの時代も悩みが尽きない分野なのだと思っている。まあ、肝心の私は育児経験がないのだけれど。

問題は、母の心を抉ってしまったことだ。

産みの親に「生まれない方が良かったか」と聞いたらどんな気持ちになるか。そこまで考えが及んでいなかった。そもそも私は、言って良いことと悪いことの区別がついていない子どもだった。

正直に白状すると、今もあまり区別できていない。話題がしょっちゅう飛躍して、ついていけないとよく言われる。自分の発言で場を白けさせてしまったことも、数え切れないくらいある。要は聞き手のことを考えていないのだ。

会話によるコミュニケーションが、まったくダメだった。否、ダメなのだ。現在進行形で。

あのとき母の心を抉ったように、私の発言は相手を傷つけてしまうかもしれない。誰かと会話しているとき、いつもそれが念頭にある。相手は関係ない。誰であれ、平等にそう思いながら話している。

だから私は雑談についていけない。いちいち吟味しながら喋るから、訥々とした話し方になって、滑らかに言葉が出てこない。

それで妙な間が出来て、場を白けさせてしまうのだ。それは重々承知している。承知しているが、じゃあテンポよくいこうじゃないかとポンポン話すと、それはそれで誰かを不快にさせる。その可能性を大いに孕む。

電気のスイッチと同じだ。私の会話には、オンとオフしかない。オンでもオフでもない”ちょうど良い”塩梅が、大人になっても見つからない。


私のまったくダメなコミュニケーションは、文字を経由すると少しだけマシになる。らしい。そういう噂だ。

誤字脱字が少ない、理路整然としている、と何度か上司が褒めてくれたことがあった。コールセンターでメール接客をしていた頃だ。嬉しかった。

ただ、それはあくまでも接客だったからだと思う。問い合わせに沿って定型文を組み立てるのが、企業が送るメールの作り方だ。テンプレートを覚えれば誰でも作れる。たとえコミュニケーションが苦手な私でも。

noteはまったく違う。誹謗中傷をしないとか、犯罪を助長しないとか、盗作はダメだとか、そういうルールはあるものの、私が今まで書いてきた文章に比べると恐ろしいほど自由だ。縛りなど、無いに等しい。

文体も、文字数も、画像の掲載も、全部自分の裁量で決めて良い。自由だ。

一瞬前の話を蒸し返すが、私のダメな対人スキルは文字を経由するとマシになるらしい。そういう噂なのだ。

長らく世間との繋がりを絶っていた私はその噂を間に受けて、自分の思っていることをnoteに書いてみた。いわば壮大な独り言だ。

そのくせ、”公開設定”と書かれた緑色のボタンを押すときはひどく緊張した。私が間に受けている噂は眉唾物で、文字を経由しても私の話は支離滅裂なままなんじゃないか、と。

あの緑色のボタンを押すと、その審判が下される。

文章を通してもまったく筋の通らない、ちぐはぐな話をしているのだとしたら、きっと私は途方に暮れる。だから怖かった。噂の真相はうやむやにしておいた方が、精神衛生上は良いのかもしれない。

私は散々悩んだ。ハッキリさせるか、うやむやにするか。いっぱい悩んだ。懊悩して葛藤もした。その結果、記事を公開して噂の真相を確かめることを選んだ。私にはオンとオフしかないからだ。電気のスイッチみたいに。

noteに初めてのエッセイを公開した後、想定よりも多くのスキをいただいて驚いた。驚いたのと同時に、深い安堵の気持ちも抱いた。良かった、噂は本当だった。

私の話は筋が通っている。少なくとも、あのハートマークをクリック、もしくはタップした方々には。それに救われて、私は少し泣いた。

それから1ヶ月、私は週2回エッセイを書き、その数は前回で10になった。私は世間と繋がりを持てている。公開した記事にスキがつくたび、そう思った。あまりにも不器用だが、それが私なりのコミュニケーションだった。

私がここで長々と書いているのは、実の両親ですら聞きたがらなかった話だ。そんな話を聞いてくれるあなたに、私はとても救われている。

多分、あなたが思っている10倍は救われていると思う。

私の独り言に耳を傾けてくれてありがとう。私の長話を根気強く読んでくれてありがとう。いや、ありがとうございます。そしてこれは私のワガママだが、今後も私の独り言に耳を傾けてくれると嬉しい。

本当にしつこいと思うが、最後にもう一度だけ言わせてほしい。

最後まで読んでくれて、本当にありがとう。

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