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これも何かの縁だから

たいへん不謹慎なことであるが。

2020年3月に緊急事態宣言が発表されたのは、願ってもない幸運だった。1ヶ月後、その対象地域が全国に拡大されたときには小躍りすらした。

たいへん不謹慎なことであるが。

私は対人コミュニケーションに強い不安がある。

自分の姿を視認されるのが苦痛で、外出するのは決まって深夜か早朝だ。外出中も、進行方向に人の姿があれば、迷わず道を変えてやり過ごす『メタルギア』みたいな生活を送っている。

そろそろ奈良のソリッド・スネークを自称しても良い頃合いかもしれない。

常にステルス状態で行動する私にとって、他者の視線が届かない自宅は安息の地である。誰にも侵されたくはない。不意に呼び鈴を鳴らされると心臓が跳ねる。

だから玄関対応が必要な通販は使えない。利用するときはコンビニ受け取りにして、夜中に取りに行く。コンビニ受け取りが選択できない商品は、注文をスッパリ諦める。

私はそれくらい人が苦手だ。

冒頭からソリッド・スネークだのなんだのと御託を並べてきたが、要はただの引きこもりである。

後ろ指をさされる暮らしぶりに嫌気がさして、すこし屁理屈をこねてみた。その結果、妄想という勲章授与によって“頭のおかしい引きこもり”のアビリティが成長した。それだけのことだ。なお悪い。

私のバッタもんメタルギア生活に変化が訪れたのは2020年春先のこと。空前絶後の感染症によるものだった。

「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」なるハイカラな単語が次々に登場し、人々は私と同じように‍他人との接触を避けて行動するようになった。

歴史的災厄が、皮肉にも私の望むライフスタイルをもたらしたのだ。

この報道には胸が弾んだ。喜ぶべきニュースではないと分かっていながら。私は感染対策を理由に、ますます自宅に閉じこもるようになった。

人生でもっとも孤独を謳歌した1年だった。

ところで、人間は社会性を持つ生き物である。それは筋金入りの人ぎらいである私にも言えることだ。

私はオフラインでの交流は苦手だが、指先で完結するオンラインの交流は好きだ。筆談は会話と違って、そこまでアドリブ力を要求されない。その場のノリでパッと適切なことが言えない私にとってありがたい連絡手段だ。

私が孤独を苦に思わなかったのは、インターネットが社会とのつながりを取り持ってくれていた部分が大きいと思う。私は人に会いたくないし会話もしたくないが、人からは好意的に認められたいのだ。

トイレに行きたいが、布団からは出たくない。そういう類の願望である。

これはまったくの偶然だけれど、野比のび太も私と似たような願望を口にしていた。彼は、ドラえもんに“喋らなくても思っていることを伝えられるひみつ道具”を出してくれと頼んだことがある。

これには温厚なドラえもんも激昂した。

口きくのもめんどくさけりゃ、もう死んでしまえ。きみにはあきれた。じつにあきれた!
引用:ドラえもん (18) (てんとう虫コミックス) - kindle ロケーション 194

Twitterなら8万リツイートはくだらない暴言を吐き捨てて部屋を退場していく姿は圧巻である。本当に子守用ロボットなのか。

ちなみに、のび太はこの後、思っていることが何でも相手に伝わってしまう“テレパしい”という椎の実を手に入れる。

最初こそ以心伝心の生活を謳歌していたのび太だが、このテレパしいは都合の悪いことまで相手に筒抜けになってしまう厄介な代物だった。

道具の効果が裏目に出てしまった結果、のび太はジャイアンらに痛めつけられ、「ぶしょうすると、ろくなことがない」という教訓を得る。

ぶしょうすると、ろくなことがない。

強烈な失敗経験を持つのび太が言うと説得力が違う。確かに不精は良くない。私も不精せず、思っていることを伝える努力をしよう。そのために今日も目の前のキーボードを叩いている。

新しい生活様式が推奨されて1年が経つころ、久しぶりに昼間外出する用事ができた。日が高い時間帯に出かけるのは苦手だ。骨が折れる。人と出くわす可能性が高いからだ。

いつもより注意深く人を避けながら行動したせいか、用事を終えて帰るころにはクタクタになっていた。

というか、クタクタという次元はとうに超えていて、道中、なんども休憩を挟んだ。未曾有のパンデミックにかこつけて家を出なかったツケを払わされている気分だった。

自宅まであと300m。道端にちょうど良いベンチを見つけ、ほとんどなだれ込むように腰掛けた。これを最後の休憩にするつもりで。

石造りのベンチは固くて座り心地が悪い。早く布団にくるまりたい。

帰りたい気持ちが肥大しすぎて、ものすごい近所でホームシックに襲われている怪しい女になっていた。ブツブツ呪詛を唱える姿はまさしく妖怪である。妖怪おふとん女。

1年の自粛生活で、私は引きこもりから妖怪にメガシンカしていた。

前職での失敗から人を避けるようになり、私は外界との接触をひとつひとつ丁寧に断ち切っていった。その過程で何人かの友人もなくした。今も交流が続いている人は、本当に少ない。

社会人として何とか生きていた時期も、あるにはあった。けれど在りし日の社会人はいつの間にか引きこもりになり、気づけば緩やかに妖怪へと進化していた。

思わしくない進化を遂げる私を制止する人間はいなかった。私が遠ざけたからだ。

外部との接触を極端に減らすと、人間はいとも簡単にバランスを崩していく。自宅からわずか300m離れた土地で、妖怪おふとん女はそんなことを考えていた。


「もしかして、この辺に住んでます?」

突然の声に喉元まで心臓が跳ね上がった。何事かと視線を上げると、いつの間に来たのか、隣のベンチに老夫婦が腰掛けていた。奈良のソリッド・スネークはここにもいた。

「あ、はい。この辺ですねえ」

突然のエンカウントにプチパニックを起こしながら、前職で培った営業スマイルと笑声で応戦する。

大丈夫だ。冒頭に「あ」がついたことでちょっとコミュ障な雰囲気が出てしまったが、まあ許容範囲だろう。焦るな。大丈夫だ。

「ぼくら、最近引っ越してきたんですよ。前は神戸にいてんけど、定年迎えて、息子夫婦の近くに越そかーってなって」

めっちゃ世間話してくる。

こうなったら妖怪おふとん女はお手上げだ。おとなしくソリッド・スネークの話を聞くことにした。お年寄りは、人に話を聞いてもらうのが好きだ。

スネークが話したのは他愛もないことばかりだった。

今まで携わってきた仕事のこと、息子夫婦のこと、孫がこんど結婚すること、以前住んでいた町のこと。何でも話した。スネークの口から次々に出てくる人生譚は、普遍的だがとても幸せそうなものだった。

「いや、すみませんね、付き合わせちゃって。これも何かの縁だと思って声かけてみたんです。またどこかで会うことがあれば、よろしく」

一通り話して満足したのか、スネーク夫妻は最後にそれを伝えるとベンチをあとにした。スネークの奥さんは、私のトートバッグに粟おこしを一掴み放り込んで去っていった。空襲かな?


これも何かの縁。

使い古された表現だが、妙に心にストンと落ちてくる。“縁”なんて概念は、長らく私が忘れていたものだ。

スネークは、無作為な人との出会いを楽しんでいた。人との接触を減らそうという、この時勢に。そして、かたくなに人を拒んでいた私と対照的に。

知らない人とコミュニケーションをとるだけなら、インターネットでもできる。むしろ、距離という障害がない分、インターネットの方が有利だろう。

だけれどスネークとの会話には、インターネットでは代替できない“空気”があった。表情の機微、匂い、粟おこしの空襲。遠隔で伝えるのは難しい。これには大きな体験価値がある。

2021年春、私は人とのランダムな出会いの楽しさを思い出した。

また、外に出てみたいと思えるようになった。これまで断ち切ってきた分、新しい縁を探すために。妖怪から人に戻るために。

バッタもんのメタルギア生活を送る必要はない。

人を避けて心身を消耗するよりも、スネークのように当たり前のことを当たり前に話して、その場の“空気”を楽しんだ方が豊かに生きられる。

引きこもることだけが感染対策ではない。マスクをして飛沫を防ぐのも、こまめにアルコールで手指消毒をするのも、立派な感染対策だ。

パンデミックと戦いながらだって、人と出会うことはできる。

未だに人が苦手な私だけれど、些細な縁を愛おしく思いながら外に出よう。これも何かの縁だから。

この春、私は人に戻る。

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