見出し画像

猫とシーシャと呼吸する感覚

「猫なんかよりも道端に散乱してるガラス片でも眺めてる方が好きだよ。綺麗だし臭わないし」と何気なく発言して、想定以上に白眼視されたことがある。僕は口調こそ冗談混じりなものの、本音ではあった。その場にいた複数人の誰にも同意を得られなかった。残ったのは「あ、一線を引かれたな」って感覚だけ。リアル対人関係では二度と口に出すまいと誓った価値観の一つである。

猫が特別嫌いという訳じゃないけど、人間社会において覇権を握り過ぎだとは常々思っている。猫愛しの信条は権威的だ。そもそも動物好きに悪い奴はいないよな。翻って、生き物に愛着を示せない人はどうだ? まるで冷血漢か、極度の潔癖症みたいに扱われがちだ。……実際はそこまで意識的に排斥はされずとも、プラスの印象が働くことは稀有だろう。ジェンダー問題なんかよりよほど、無意識に執行されているマイノリティの弾圧だ。少なくとも、なんの抵抗もなく公言できる虫嫌いなんかとは明確に違いがある。

そう考えると、猫の社会的地位は中々に高い。人間という頂点捕食者が支配する地球において、その人間様に寵愛される見目と仕草とはそれだけで生存適性の高い遺伝子なのだ。

動物がDNAレベルで「人間に好かれる容姿になる」みたいな高度な順応はできないと思えるので、偶然の産物か……。いや、これは典型的な進化論の誤解だ。キリンは餌を食べるために首が長くなったのではなく、首の長い個体が生き残ることができたのだ。

昨今では「猫吸い」なる狂気の文化まで浸透してきている。愛情とは往々にして衛生観念を軽視させるものだ。彼ら彼女らに対して「猫はお尻の汚れがついた手足で毛づくろいをしてしまうことがあるから、猫吸いは回虫症のリスクがある」みたいな蘊蓄は明らかに歓迎されないだろう。情報の価値は時に、実用性よりも快・不快の方が重視されるのだ。

それに僕も学習する人間ではあるので、衒学症状を堪えてモヤモヤを飲み込むことを学んでいる。人はそれを社会性フィルター等と呼称したりもする。にゃーん。今やなんてことの無い日常茶飯だ。



先日初めて新宿でシーシャバーなる店へ赴いた。いわゆる水タバコというやつ。当方、人生で煙草の一本すら吸ったこのとのない優等生である。それがいきなり夜の都心で専門店入りとは。何事も初体験とは仰々しく思えるのものだが、にしたって一足飛びな感は否めない。なお同伴者によれば、煙草とは全然別物カウントとのことだった。

店内にはチルなBGMがかかっており、ほどよく薄暗く落ち着いた雰囲気だった。しかしバーという名称のイメージに反して、通されたのはソファ椅子と低いテーブルのあるゆったりとした空間だ。内装のお洒落な調度品も相俟って、ちょっとお高いマッサージ店の待合室みたいだった。

席について、メニュー表に目を通す。何やら色々なフルーツやらスイーツやらの写真が羅列している。これは提供される商品画像ではなくイメージ、つまりシーシャのフレーバーを表しているようだ。

しばし悩んだ後、柑橘系のフレーバーに決める。店員さんに「3000円+ワンドリンク制です」と説明を受けた時点で「まあまあするんやな……」と密かに戦慄していたが、さも何でもないよう涼やかに注文を済ませた。食後だったこともあり、写真通りのスイーツを食べたい気持ちの方が強かったが、流石に黙っていた。

そして到着するシーシャのボトル。2Lペットボトルを凌駕する大きさのガラス容器には煙が充満しており、頂上には熱した炭を格納するスペースがあり、側面から煙吸引用のホースが伸びている。日常生活では馴染みのない物々しい形状のオブジェクトだ。このホースに、シャボン玉の吹き棒みたいな小筒を差して内容物を吸うのだ。

肝心の味はと言うと……まあ……可もなく不可もなく……? 限りなく無に近いんだけど、口に含んだ空気の中にほのかな柑橘の香りが潜んでいる。息をゆっくり吐けば、香りと共に白い煙がぶわっと排出される。喫煙未経験の自分にとってこれは面白い感覚だ。面白い感覚ではあるが……それだけだ。この希薄な体験の繊細さを堪能するのが流行であり、通であり、現代流のお洒落というやつなんだろう。3000円かあ。グミが食べたい気分だった。

肩透かしと興味深さが綯交ぜになった感情のまま、それでも場の談笑に興じることはできた。無理や我慢という程でもない。人間社会の中で、誰しもが自然と身に付けている抑制だ。たとえ二度目は無いかなあと心に決めていても、今その時を楽しむ障害にはなり得ないのだ。

店を出て、夜でも明かる過ぎる新宿の街に戻っていく。夏の茹だるような熱とじめじめとした湿気を孕んだ空気が肺に流れ込む。「普通の呼吸って美味しいんだな」と素朴に思った。ちなみに、好き勝手色々と吐き出しているnoteでも、僕は結構似たようなことを感じることが多い。どうせ物好きしか読んでないんだから、煙たがられることもなかろうて。

冷静になるんだ。