地雷を踏み抜いた先

人にはそれぞれ、踏み入られたくない領域がある。
できれば知らず、見ず、聞かずに過ごしたいことがある。

それを見ることで、悲しくなったり、胸糞悪くなったり、はたまた怒り狂うことがある。その原因は個人的に一種トラウマ的なものに起因する発作みたいなものだと思っていて、だからこそ簡単にさらけ出せ、なんてことは言えない。

でも最近わたしは気がついてしまった。
地雷を踏み抜いた先には、新しい自分がいることに。

『押しのキャラ崩壊が許せない』
10年来の付き合いのあるヲタクの友人の一言だ。

つまり自分の理想とする推し像があることで、そこから漏れるものは許せない、地雷だという主張。まぁわからんでもない。

しかしわたしは思った。
その地雷を踏み抜いた先には、これまでなかった新しい推しに出会えるのでは?と。

たしかに踏んで爆発した瞬間はキツイかもしれない。
こんな…こんな推し…認められない…と思うかもしれない。

でも、その先にある新たな推し像を受け入れることができれば押しを追いかけることに幅も深みもでて、ヲタ活楽しいのではないだろうかと、彼女を見ていて思った次第だ。

つまり地雷は自分を守る殻みたいなもので、その殻を破ることで感じる辛さという摩擦から身を守ってくれている。

これは新しいことに挑戦するときにも同じことが言える。

これまで知らなかった世界、苦手だった分野に飛び込むときは誰だって不安になる。失敗したときのことを考えて足が竦むこともある。

でも大抵の失敗は取り戻せるし、学びを得れば、失敗ではなくなる。少なくともわたしは挑戦しなかった自分より、挑戦した自分のほうが断然好きだ。

だから、たまには地雷にどーんとぶつかって、苦しみながらも、新たな自分と対峙してみるのもいいんじゃないだろうか。

その先には見たこともない世界が広がっているはずだ。

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