11月4日の朝日新聞 鷲田清一の「折々のことば」
では
正気を失わずに、ただ信仰に属するところのもののみを信仰にゆだねるなら、それはたいへん健全である。 フランシス・ベーコン
という言葉を引いている。あわせてとマタイの福音書の「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に」を引いている。
昨今の政治と宗教の関係に関しても以上の言葉は大切だと思う。
政治家が宗教教団の力を借りようとする。宗教教団が政治家の力を利用しようとする。この点を佐々木閑先生は『「律」に学ぶ生き方の智慧 (新潮選書)』
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で「布施と見返り」で政治家への政治献金の問題を布施との関係で以下のように述べている。
「「政治献金と、そのみかえりとしての個別利益のための政治活動」というセットは防ぐことができない。 しかし重要なのは、社会の中の特定個人や特定団体の利益のために活動することは、政治家としての本筋ではないという点である。」
の指摘は重要であろう。
○○学会なども政権与党の政治団体を支援しているのだから現行法律では容認されている。しかし、「社会全体からのお布施、つまり税金によって維持されている」わけで政治家は「社会全体に利益をもたらす活動のために捧げ」ることをしなければならない。その教団を支持することの影響力等はよく理解するべきだったと思われる。特に今回問題となった教団は、従来から宗教学者から問題視されてきた。
『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から 』
とある。著者は親鸞会から脱会の過程で、旧統一教会の手法(マインドコントロール)を分析したものを読むことで、自らが行っていることがに疑問を持ったことを表明している。ここまで有名だった問題行動をする教団の支援を受け、見返りとして元総理が宣伝をする。かなり問題があると思われる。
宗教と政治の問題を考えるとき、○○学会の件もあり、日蓮聖人の思考が往々にして問題にされてきた。特に『立正安国論』はかつて震災天罰論が巻き起こったときにも問題視されている。ここでは、かつて自分が『立正安国論』において政治と宗教をどう捉えていたのかをで検討したものを一部抜粋しよう。現代宗教研究 第44号 岩田親靜「『立正安国論』考」
ここでは「為政者の精神を正すことで政治を機能させようとするものではないだろうか。 」と考えた。となると現代に日蓮聖人がいるならば、特定の宗教団体を支援することを積極的に行うことは否定されるであろうし、あえて第三者的立場(ジャーナリスト的立場)にたっただろうと 思う。
しかし今回の選挙では、日蓮宗も(檀家さんだからということが理由か?)で支援をし、宗報にも載せていた。これは、上記の考えから言うならば問題であろう。
今回の一連の報道は、宗教と政治のバランス、我々の立ち位置をもう一度考えるべきことを表している。都合ではないあり方を考えるべきではないたろうか?それは、己の立ち位置すら危ぶられることかもしれない。でもだからこそ、聖域を設けず見直すべきではないだろうか。