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宗教教団の健全なあり方は?

昨今、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)がニュースの話題となりました。霊感商法や高額献金を行い家族関係が乱れ、宗教団体と密接な関係があったという政治家を刺殺するという事件が起こりました。
 今から二十七年前のオウム真理教地下鉄サリン事件を思い出した方も多いのではないでしょうか。
 ここでは宗教全般ではなく、仏教教団と社会の関わり合いに絞って考えてみます。
 インドで始まった初期仏教教団は、修行する僧侶(出家)と支援をする信者(檀家)でできています。日本の仏教では、寺院子弟の世襲が多数ですが、本来は、一般家庭から志を持って出家します。その折、家族がある人は、必ず許可が必要となります。
 出家するのには面倒な手続きがありますが、還俗(在家に戻る)ことは、近くにいる僧侶に意思を伝えるだけでできました。
 また、師匠(和尚)と弟子の関係は大切で、世間の親子関係と同じに考えられていました。出家生活全般、学問も和尚から学ぶのです。ただし、和尚に過ちがあれば、それを指摘することは許されていました。このように僧侶(出家)の集団は、出入り自由でオープンな組織でありました。
 これは、仏教という宗教の特徴とも関わります。仏教は真理(法・教え)を体得した人間(仏・ブッダ)に成ることを目的としました。まず、教えがあって、仏がいるのです。釈尊は神のような絶対的な存在ではなく、良き生き方をしたモデル、先達でしかありません。
 
ブッダは下記のごとく言います。
この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ

オウム真理教や旧統一教会が世間と乖離して急進的な方向に進んでしまった理由は秘密主義であり、教祖を絶対的存在としてしまったことであります。自ら考えることを放棄し、依存してしまったためではないでしょうか?


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