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つながりとつながる

友人がラインからとある本とそれに関わる情報を頂いた。買いたいと願ってアマゾンや楽天で調べたり、したがちょい高い。

買えず躊躇していたら、友人のフェイスブックの投稿から、本を何冊かお持ちの方がいるという話になり、友人が紹介してくださり購入できた

つながりがつながるを作ってくれた例と言える。

Tシャツ

つながるというとチャリティーTシャツなどもつながりからつながるになるかと思う。

知り合いが企画したものを購入して買うことで社会貢献につながる。そこにファッション性はもちろんあるが・・つながりもファッションと考えられたらよいと思う。

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つい最近、友人がバースデードネーションなるクラファンを行い私もほんの些少だか寄付をした。ここで大事なのは、そのお金の行き先が社会貢献であり、彼自身がそれにボランティアで体も金も出して実践しているという事実があることだ。

そのお金は必ず社会に貢献されるという信頼であり、自分のためでないという信頼がそこにある。自分の住職寺院の壁や柱という話なら、寄付する可能性がないとは言わないが、説得力は極めて低くなる、何故ならそのままでは共益であって公益にならない。その寺院が建物をどのように運用して来たのか、今後どのように運用していくのかが具体的に可視化されなければ、公益性が極めて低くなるからだ。

ツナガリイム

つながる話をしてきたが、今、本休寺はツナガリイムという活動に賛同して関わっている。

ダウンロードした下絵を写仏して賛同寺院にお送りいただく。それに対して賛同寺院が専用用紙で御朱印をお送りするという形である。もうすぐ期間終了なんで詳細は下記。

これはコロナ禍での一つの試みであることを強く述べておきたい。賛同したのは信用できる先ほど上げた友人が立ち上げたからだが、こちらの思いも大事だろう。祈願をする行為も大事だが、写仏を通して心を静かにし、リフレッシュする。同時に一定期間(一週間ごとに下絵が変わる)中に多くの人々と一緒に行っていることで、孤独でないことを感じる。さらに出来上がりを見れば自分の精神状態もわかるし、何度か行うことでうでもあがる。賛同寺院も多いので期間中によき習慣化する方もあるだろう。

本休寺では、寺報とパンフレットを同封しているが、お参りできないできないなりに寺院としてつながる形を少しでも供給できたらなんて考えてきた。

パチンコに行くよりは有意義な時間をもち、かつ少しでも仏教を知って、人生に役だてて欲しいと思う。

また、寺院には、目的ベースでつながる感覚が得られないだろうか。宗派という縦の分類でなく、目的という横の関係であり、目的が達成されればある種解散し、必要や要望があればつながり続けることも可能になる。宗派はなかなか出入り自由とは行かないが、これは出入りが自由だ。

さらに、目的ベースの考え方は寺院間を超えることも可能になる。手前味噌で悪いが、自坊のデスカフェなどもそうだと思う。

寺院も絡んではいるが、スタッフは医療関係者やケアマネさん。賛同し、目的ベースで関わってくれている。

ここで大事なのは、お金すなわち金銭的利益を求めていない事実だと思う。あくまでも志に基づいている。参加費をいただいたとしても、それは経費や社会貢献に使われる形を設計することが好ましいのではと考えている。

なかなか、面倒なことを考えていると自分でも呆れるが・・(笑)





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