遺されし爪の跡
喜平が、潮巡る太洋、ひろつ流れ海の南に浮かぶラボーレ島に種を蒔いた「永久の樹」が倒れた。
大蛇が樹の上にいた「永久の色鳥」を狙った。色鳥は、ことのはを風に伝える神、ほのほつみが姿を変えていたものだ。大蛇が鳥を襲ったとき、色鳥と大蛇の2体がひとつとなり大いなる光を発し、それが天に消えていった。あれは8月6日。喜平は目がくらみ、思わず倒れたが、樹が倒れたのは、あの日から数日後の出来事であった。
その日以降、喜平の心の支えとなった、ほのほつみは何者にも姿を変えることなく、喜平の前から消えた。
そして、変化はもうひとつ、あれほど、うるさく飛んできたAMERIGO(アメリゴ)国の爆撃機が姿を見せなくなったのだ。
そんなこんなで日を送るうち、ラボーレ島のあしかび国の将軍から、島のすべての兵たちにむけ最後の命令を下された。
「戦は我が軍の負けとなった。すまぬ、我が輩の責任だ。皆はもうこれ以上戦わなくて良い。かつて我が輩は諸君に、『生きて俘虜となることの恥』を説いた。今日、我々は誇りを持ち、上陸するであろうhyutopos(ヒュトポス)の俘虜となろう。それは、これからのあしかび国を立て直すためだ。もし、だれか王ノ王のため死ぬまで戦おうなどという兵がおれば、それは考え違いである。そのようなことは微塵も思わぬように。武器を捨てよ、生き延びよ」
「戦が終わった……? 負けた? まさか! 今さら、なにを……!」
ラボーレ島に残っていたあしかび国の兵は、兵を支える民たちも含め約10万人と聞く。これまで生き延びるために農園を耕し、野菜を作り、自活してきた。農民あがりの兵、喜平にとって、それが戦をするより生き甲斐でもあった。
ラボーレ島の火砲隊の兵舎。主立った兵の幹部が集められた。喜平もその端に座をしめた。隊長から、hyutoposが上陸してくるまでのわずかの間にやらなくてはならぬ作業が告げられた。
「武器や弾薬、帯剣などの刀剣類は、すべて差し出す。ただし、火砲は解体し、土に埋め処理する。暇はないぞ」
「馬は? どうしましょう? 畑を耕すのに必要ですが?」
「残念ながら馬もを引き渡す、指し出したあとの処分は分からぬ」
「処分って、殺されるのでありますか?」
「だから、分からぬと言っておる」
深い海の色をしたあのくりくりとした瞳で顔をこすりつけてくる、子のような愛らしさ。喜平は、これまで6年にわたり重い火砲や食料を運び、戦をともにしてきた馬を差し出せるわけがないと思った。が、兵として命令に逆らうわけにいかぬ。戦に負けるとはこういうことだ。喜平は、敗残兵の憐れを感じないわけにいかなかった。
9月に入り10日が過ぎたころ、hyutoposの一国、AUSUTOS(アウストス)国がラボーレ島に上陸したとの報せが入った。その兵の数は、思っていたより少ない。
AUSUTOS国は、もともとは大陸の西にあったhyutoposの一国が、太洋を巡るなかで新たな大陸を見つけ、そこに建てた新しい国だ。国名のAUSUTOSはhyutoposのことばで「南」を意味する。あの蛇神大島の戦いで、幼なじみの中島金治が戦った相手だった。
一時は優勢であったあしかび国だが、AUSUTOS国やAMERIGO国に追い詰められ、それを支援するため参戦した金治たち部隊だったが、最後は「玉砕」、敵の的となりほぼ全員自ら命を落とした。そのAUSUTOS国が、ラボーレ島の敗戦処理にあたる。その敵兵が喜平の目の前に現れた。
AUSUTOS国が島で行う敗戦処理の最初の仕事は、あしかび国の兵を取り調べることだった。まずは位の高い兵からひとりずつ呼び出され、取り調べを受ける。位は、曹長とさほど高くない喜平も、取り調べのひとりとなった。
無論、喜平はAUSUTOS国のことばは理解できぬ。
いよいよ取り調べという日、喜平はAUSUTOS国の兵2名の机の前に立たされた。
「たくましい二の腕に、金髪。肌は白く、下の血管が透けてみえるようだ。もうひとりは女? 女も兵になれるのか!」
通訳の兵は女性で、肌の色は白くない、ただ黒いというほどでもない。顔立ちは、自分たちにどこか似ていた。
そんな喜平のまなざしを感じたのか、取り調べ兵が、喜平に鋭い眼光を投げかけてきた。そして、取り調べ兵のボスの指示を受けて通訳が口を開いた。
「これからあなたが戦でしてきたことをいくつか尋ねます。隠さず答えてください」
名前は? 位は? どんな役割を担っていた? 矢継ぎ早にいくつか訊かれ、喜平が短く答えた。
型通りの質問がすむと、やや間があり、ボスが少し長めのことばを通訳に投げかけた。
それをメモし、通訳が喜平に伝える。
「ひとつ確認したいのです。兵舎は自分たちで建てたといったが、椰子の木は、もともとラボーレ島に暮らす民たちのものだ、それをあなたたちは断りもなしに、勝手に伐りたおした。兵舎だけでなく、川を渡す橋にもつかったのだろう? そのことをあなたはどう思っているのか?」
「なに? わけがわからぬ。戦とはそういうものでないのか? おまえ、いやあなたたちも、我々が上陸する前はラボーレ島を支配していたのだろう。そこで民たちの土地をとりあげ、農園をつくり、その作物を売って利益を得ていたのでは? その点で我々と同罪ではないか」
通訳は、「ちっ」といい、ボスに訳すことなく、困ったなという表情でゆっくり喜平に言った。
「私たちのことでなく、あなたがたしてきたことを聞いているのです。もう一度、よく考えて答えなさい」
喜平は、思わず沈黙した。身体から血の気が引き、どくんどくんと鼓動が耳元で聞こえる。
喜平を見つめるふたつの目。
大きく深呼吸し、いつぞ使ったことのない頭をめいっぱい働かせ、たどたどしいが、ひとことずつことばを選びながら喜平は、言った。
「私たちは、いや、少なくとも儂はラボーレ島の民たちをhyutoposの手から解放し、おなじ仲間としてともに暮らす、それが戦の命令で、儂も正直それが正しいと命令に従った。ただ、たしかに、椰子の木は伐った。それは、つまりなんだ、伐ったのは必要最低限で、民たちの住まう場所を奪ったりはしなんだ。これは誓っていえる、もちろん、ここの民の命をひとりたりたも奪うことはしなかった」
通訳が取り調べのボスに喜平のことばを伝えた。
2人は、このとき、初めて笑顔を見せ、うなずいた。
「OK。尋問はこれで終わりです」
そして図体の大きなボスが通訳の女性兵に何かを話した。
女性はさらににっこりうなづき、喜平に語った。
「あなたの隊での役割は人員と物資の配備でしたね」
「そうだ」
「私たちAUSUTOS国の兵は、10万人いると言われるあしかび国の兵を監視するには少なすぎます。とても、足りません。これからラボーレ島のあちこちにキャンプをつくるので、その手助けがいります。あなたにそれができますか?」
「手助け? ふん、何をすればよいか。いや、無論できることはするが……」
「具体的には、海上から運ばれて来る物資の運搬、あなたには、兵たちにその手順を説明し、兵を動かしていただきたいのです。もちろん、私のような通訳はつきます。
もうひとつは、食料はある程度調達しますが、あなたたちの分まではとても足りません。これまで通り、畑を耕し、栽培する、その指導をあなたはできますか?」
「そうしたことなら、できます」
通訳が笑みをみせ、喜平のことばをボスの取り調べ兵に伝えた。
ボスもにっこり笑い、立ち上がり手を差し出したてきた。
大きく厚い手。それは喜平の顔より大きいだろうか。喜平は、思わずその手を握り返した。大きな力。
ボスの取り調べ兵が、喜平の手を放し、扉を開け、部屋をでようとした。
女性兵もそれに続くかと思ったが、立ち止まり喜平の胸元を見つめた。
「あなたの、その胸元の紐には何がついているの? ロゼッタ? ひょとして十字架?」
「いや、これはそんなたいしたものでない。その、ただの護り袋で、なんというか」
「もし良かったら中を見せていただけません? いえ、これは取り調べでなく、個人的な関心からです」
喜平は、首から提げた護り袋を開け、中から折りたたんだ家族の写真と、小さな紙包みを机の上に取り出した。
「拝見しても良いかしら?」
喜平がうなずくのを確認し、女性が写真を広げた。
白黒の映像の、ぼおっとしたしわくちゃな喜平の家族が現れた。
「あなたの家族ですね」
うなずく喜平。
さらに、女性兵は、紙包みを開けようとした。
「あっ、それは……」
女性兵は、そのことばに手を止め、喜平の顔を見つめた。
喜平が自ら紙包みを開けた。癖のある縮れた髪の毛。
「これは? だれのもの? あなたの友人?」
「金治、その儂の幼なじみの髪です。ただ、もうこの世にはいない」
「戦で亡くなったの?」
「そうだ……、蛇神大島の戦で玉砕、つまり、あなた方、AUSUTOS国に、やられた……」
喜平はそういうのが精一杯だった。気が付けば身体が震え、涙が頬を伝っていた。
女性の手が延び、喜平の頬をそっと撫でた。
「もう戦は終わりました。大切なものを見せてくれてありがとう」
喜平も、頬に添えられた女性の指を己の手で包んだ。
「そう、もう殺し合いは終わった」
すると女性兵の指先に力が入った。喜平の手のひらのなかで女性の爪の感触が伝わり、強い傷みが走った。
「……」
「私の夫も、今度のあしかび国の戦で死にました。そして、私たちは勝った。でも勝っても夫は帰ってこない。Yes! We know that Killing each other is over.」
女性兵は、そういうと手を引っ込め、姿勢を正すと、くるり背を向け、開けられた扉の向こうに立っていたボスとともに去った。
それからラボーレ島で、あしかび国の兵を収容するキャンプがあちこちにできていった。それを造るのは無論、あしかび国の兵。兵自らが動き、自らを閉じ込める兵舎を建て、周りに有刺鉄線を張り巡らす。
部下の兵からは、「『仏の野木曹長』も変われば変わるものだ。俺たちに厳しく命令して、いったいあれじゃあ敵の廻しものだ」などと嫌みを言われた。しかし、そんなことは承知の上で、喜平は先頭に立って、キャンプを造り、合間を見て畑を開き、耕した。
AUSUTOS国が上陸して約4か月が経ち、戦に出て7度目の正月を迎える。
喜平たち火砲隊は、正月の少し前に、ラボーレ島の東端につくったキャンプに移った。
キャンプは位によって別れ、ほかの隊の兵もいっしょにまとめられた。
隊を位ごとに分けることで、軍の命令系統が分断できる。が、一番の目的は戦を指導してきた高い位のあしかび国の兵を取り調べ、裁くためだった。
喜平は、この間の取り調べで、裁くべき犯罪がないと判断されたようだ。その証拠に喜平は位の下の兵たちといっしょのキャンプに入れられた。
外地で向かえる7度目の正月、一応形として餅をつき、それを雑煮にした。雑煮に添える青物は、南瓜の芽。だしにいたっては、すぐ前の浜で取った名前も知らぬ魚だ。
「あぁ、ほうれん草、かぶに大根、それにゆずを乗っけて食いたいなぁ」
「どれも冬野菜だ、ここは南国、ラボーレ島だぞ」
「分かっておるわ。ただな、来年も、その次も、南瓜の芽を乗せるのか? 俺たち、いつになったら故郷に帰れるんだ?」
「帰国は4年、いや5年先という話だ」
「帰還兵は自分たちだけではないからな、あれだけ大きな戦をしたんだ。まだ、こうして餅が食べられるだけいいのかも」
「俺の知っている兵は、『こっくりさん』をやって、1年以内に帰れると出たそうだ。俺はそいつを信じるね」
喜平は、「こっくりさん」のことばに思わず耳を傾けた。
それは、狐神を招いて、その託宣を聞く占いで、喜平が子どものころに流行った。
(喜平さん、あなたはいつかきっと帰れる)
喜平は、ことのはを風に伝える神、ほのほつみのことばを思い浮かべた。
「儂の小さき神も、狐憑きの類いだったのか? いや、違う。小さき神は、確かに存在していた」
すると、別の兵が大きな声を挙げた。
「いや、帰還どころか船に乗せられ、途中で俺たちを海に捨てるらしいぞ」
「お前、いったいだれから聞いたんだ」
喜平が、兵たちの会話を遮った。
「いいかげんな噂を信じるな。間違いなくいつかは帰れる。そのときまで、マラリアに罹らぬように気を付けて、いっしょに畑を耕していこう、な! 少なくとも、今は爆撃機や戦闘機は襲ってこない。そして、何より、hyutoposの船が、ああして沖に浮かんでいても、儂たちは火砲をぶっ放さなくても良いんだ」
喜平が指した沖に何艘かの大きな船が浮かんでいた。いまは、hyutoposのいかつい灰色の戦の船も、そこから魚雷が発射されることも、大砲が火を噴くこともない。どこの国の船かは知らぬが、いつかは沈まぬ船で、あしかび国に帰れる、はずだ。
「待てば海路の日和あり、だ。なっ!」
喜平があしかび国で古くから言い伝えられてきたことばを兵たちに投げかけた。
「おい、あの帆掛けのような舟はなんだ?」
ひとりの兵が、沖を指さした。
指の先に、帆を上げた小さな舟が浮かんでいる。帆は三角を逆さまにしたような形で、あしかび国で見かける帆かけ舟と形を異にしていた。
たしかに、戦をしている間は見かけなかった舟だ。何艘かがそれぞれ気ままに、南国の日をうけてきらきら輝く水面の上を、ゆるやかに動いている。
「ラボーレ島の民たちの舟かな?」
「ようやく漁ができるようになったんだな」
「何を取っているんだろう」
「俺の故郷では、ああした帆掛け舟で、わかさぎを取るんだ」
「ああ、早く帰りたいなぁ」
喜平は兵たちの会話を聞きながら、「小さき神よ、いずこに」と、はるか海原を見つめた。が、姿も、無論、返事もない。
【裸の子】
陽が昇り砂浜の目覚めを奏でる
陽が昇りヒトデの瞬きを沈める
浜の村に声の湧き上がる
波 波 波 くりかえし くりかえす波
朝餉をすませ浜に子どもの現れる
みんな裸だ
父のこしらえた小さな舟を手に子どもの現れる
みんな笑顔だ
裸の子は浜で舟を浮かべる
めいっぱいの遊びだ
裸の子は沖に向かって舟を出す
めいっぱいの明日だ
風の神よ やさしく風を吹きおくれ
裸の子の送り出す舟のために
裸の子の歩みだす一歩のために
・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら
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