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「立春」・・・見えない世界へ突っ込んでゆく!

今日は立春で新しい出会いがあった
シュタイナーを勉強していると、どうしてもキリスト教のところにたどり着く
(シュタイナーのキリスト教はキリスト者共同体という)
ちょっとだけ聞き齧っただけでも、仏教と同じようにいろいろな宗派があるんだなということがわかる


自分なりに聖書を読んでみたり、YouTubeで聖書を聞いてみたりしてみたものの
この際本当に学んでみたくなった

そんな時、11年ぶりに会った友達から
すぐさま近くにある大きな教会につなげてもらった

驚きの展開である!!

そこでは、私の知らない世界が広がっていたし大変興味深かった

私がしたい事はここでできそうな気がした
ちょうど新しいことが始まるのが3月の半ばだと言うので、
明日から出産のために娘が里帰りしてくるため、
それが終わった頃にちょうど始まることになる

これも絶妙なタイミングだ⭐️
それまでの1ヵ月半位の時間は
また、独学する時間に当てられる

私はまだキリスト教の世界を知らない
その中に入っている人に触れるのも、今日が初めてだった
(本物に会うのが初めて!という感じかな)

「私は罪深い人なのだ」という意味が、やっとわかった気がする
彼女らの話によると、、、
洗礼を受けた日までの罪はきれいに洗い流されるのだけれど、
その後の罪が降り積もっていると言うのだ

最初はちょっと意味がわからなかった
私はまだ洗礼を受けていない
だが、今日話した2人は 生まれてまもなく洗礼を受けているのだ

ということは、 その後の人生の罪は全て降り積もっていると言うことになる
60年近く生きていると言う事は60年分溜まっていると言うことだ

逆に、私が 62歳になった時に洗礼を受けると、それまでの罪が洗い流される
(なんと都合が良いんだろうと思ってしまった)
信者で先に洗礼を受けていた奥さんが亡くなった時に
旦那さんが 自分も同じ墓に入りたいと洗礼を受けた

洗礼を受けたのは、なんと80歳を超えてから
ということは、80歳までの罪は全て洗い流されたと言うことだ
なんだかちょっと笑えてしまう

洗礼を受けるのには、どうしたらいいの?と聞いたら
1年間、週に1回以上お勉強をするそうだ

それは願ってもないこと!
私は3月からお勉強をさせてもらうつもりなので、来年の3月以降には
洗礼を受けられると言うことになる

さて、そこまで行けるかな?

とりあえず私が手元に持っている聖書はカトリックではないようだった
これもたくさんの本があるので、全く読んでないよりはマシだけれども
勉強会となると、その勉強会に合わせた本を持っている必要がある

手元には2冊の聖書があり、Kindleにも1冊聖書が入っている
あと2冊必要なんだそうだ

それでアマゾンさんで見てみると、レビューのところに2ヶ月に1冊ぐらい聖書はボロボロになると言うコメントがあった。線を引いたり書き込んだりしてボロボロになるらしい。それはそれで大変 興味深い。

私たちの使っているレパートリーやマテリアメディカみたいなものなんだな?

今までずっと仏教 の中で育ってきた私が
キリスト教の中に、もう入ってみようと思うのだから
新しい試みとなる

実は、同時進行でヒンドゥー教にも触れる機会がある
こちらも、積極的にやってみようと思っている
インド人の友達もいることだし、こっちも本格的にできそうだ

人間は見えないものを相手にする方が安定している
見えるものは全て移ろいやすいからだ


この世の中にあるものを制覇したら、ぜひ見えない世界に突っ込んでいきましょう
変なこと言ってるようだけど、きっと この意味がわかってくれる人がいると思う


今年はいろいろなことでワクワクすることが多い
節分立春と必ず何かが起こると思っていたけれど
こんなに大きな出来事が起こるとは!!


出会いに感謝する🙏




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