元同居人含めて友人3人で住むルームシェアの話が没になった。 昨年、元同居人と再びルームシェアをしようと話していたところ、もう1人お互いの大事な友人を交えたらもっと楽しくなりそうだと話が上がり、誘ってみたところ軽々OKをもらった。 その後3人で夜な夜な武蔵小杉のガストで、住みたい家の条件を出し合って、みんなの理想の家像を固めた。悪巧みをしている子どもみたいにはしゃいで、ふざけて笑って、でもみんなが心地よい暮らしになるようにたくさん考えた。 ようやく方向性が固まり、ルームシェ
歯列矯正を始めてから、今日でちょうど1年が経った。 矯正器具をつけたてだった頃は、少しの衝撃で外れてしまうような華奢なワイヤーも、今では指で押してもたわまない、恐ろしく太いものに変わった。(ここ数ヶ月間の器具の調整は、それを口の中に入れるなんて正気か?と思うほどゴツいペンチで行われる。) 腹がたつほど痛かった抜歯なんてとうの昔に乗り越えたし、真っ赤に腫れ上がっていた抜歯の傷跡も今では穏やかな更地と化している。 日々、歯が動く鈍い痛みとともに過ごしてはいるけれど、1年もた
目が覚めたけど、具合が悪くてすぐには起き上がれない。1週間ほど前にひいた喉風邪をこじらせて、今では気管支炎一歩手前まで進んでいる。咳は辛いけど腹筋がついてきていてちょっと嬉しい。 布団でゴロゴロして、スマホを見る。LINEニュースに『宇野昌磨現役引退』という速報が入って飛び起きる。競技スケートは多分10年ぐらい欠かさずに見ていて、宇野くんが出てきた時の衝撃は忘れられないし、みるみるうちに深く磨かれていく演技に毎回心を躍らせていた。 音に合わせて滑る、ではなくて音になって滑る
電車で通勤しているとき、一瞬だけど大きな川がひろがり、その先にうっすらと富士山が見えるポイントがある。 私は毎回その瞬間を逃さないようにスマホや本から目線を離して、窓の外を見るようにしている。 富士山が見れても、見れなくてもどちらでもいい。とにかく見てみる。 ある朝、満員電車でそれでも富士山を見逃すまいとなんとか入り口付近に場所を確保した。 少し揺られ、富士山スポットにきた。 ふっと目線を窓にやると、横にいたおじさんが同じタイミングで顔をあげて、同じ方を眺めていた。 周
数年前からずっとやりたかった「顔タイプ・パーソナルカラー・骨格診断」。 興味はあるものの金額の高さにおののいて、なかなか予約ができずにやり過ごしていたある日、一時帰国していた幼馴染が誘ってくれた。 もうすぐ帰っちゃうし、仕方がないな~と心の中でブツブツ文句を垂らしつつ、 にこにこ重い腰を上げて行くことにした。高すぎる~と思いながらもずっと診断当日を楽しみにしていた。 そして迎えた診断日。 お気に入りのタボっとした犬のトレーナーに、大きめのモッズコート、ジーンズを装い、最近
「楽しく過ごす」というのが唯一の将来の夢だ。そのために楽しくいる練習をしている。 楽しくいるということはなかなか難しい。 日々暮らしているなかで感じる違和感や不満、不安の正体を暴いて、根気よく一つずつ解消していかないと、ほんとうの楽しいには到達できない。しかも、不満や不安は歳や環境によって微妙に変わっていくから、常に目を凝らす必要がある。 大変だけど、それでもやっぱりたくさん笑いたいし、楽しくいたいと思っている。 そんなことで会社を辞めることになりました。 そして好きな街
補助輪なしで自転車を漕げるようになった時、苦手だった逆上がりができた時、バタフライが泳げるようになった時、トランペットで高音が出せた時…。 今まで幾度となく、できなかったことができるようになってきた。そしてそれに伴う喜びや、時には悲しみを味わってきたように思う。 ここ数年を振り返ると、小さい頃に感じた大きな達成感を感じることが少なくなってきて、"うまいこと立ち回れるようになった"とか、"どうにかさせられる力がついた"とか、キラキラしたものではない成長が多くなってきている気も
自分の「みほ」という名前が好きだ。 やわらかい名前がいいとつけてくれたこの名前は、名前の最後の母音がoで終わるからか、空気と一緒に気も抜ける感じがする。ちょっと間抜けでなんだか自分に合っていると思う。 自分でも信じがたいのだけど、丁度ひと月前ぐらいはオランダのアムステルダムにいた。 4人旅行ではあったけど、旅先は基本それぞれが行きたいところにいくという感じの自由な旅行だったので、アムステルダムでもそれぞれが行きたい本屋や古着屋、美術館などをふらついていた。 その日は朝からみ
実家のキャビネットの中にはいろんな思い出が詰まっている。 なんとなく掃除を始めたついでにキャビネットの整理を始めて、昔のバイト先の通帳や、もう行かなくなった病院の診察券を捨てていたら、分厚い写真の束を発見した。 掃除をしていた手を止めて座り込みながら写真をパラパラとめくる。 幼稚園に入る前のサークルで運動会をした時の写真が出てきた。そこには頑張って綱を引く私と、少し離れたところに頬を赤くして同じ綱を引くいくこが映っている。3歳の頃の写真。いくことは今年で出会ってから22
カレーが好きだ。 匂い、味、見た目、食べ終わった後の幸福感…全てにおいて完璧なご飯だと思う。 10歳まで住んでいた家は3階建てで、1階に曽祖母、2階に祖母、3階に私の家族が暮らしていた。 小学校から下校し、玄関の扉を開けた時、ふわりとターメリックの香りが漂ってくると居ても立っても居られず、2階の祖母の部屋にむかって階段を駆け上がり、16時そこらの時間におやつとしてカレーを貰った。 祖母のカレーは、辛口のカレー粉とローリエなどの香草を圧力鍋でぎゅっと煮ていて、一口食べると
再び看護師さんが現れ、棉を回収してくれた。痛みはほとんどなく、ただ段々と腫れてきて口の中がなんだか気持ちが悪かった。 またipadで動画を見ながら時々うたた寝を繰り返していたら、18時になっていて順番に夕食が配膳され始めた。 事前に読み込んでいた入院の栞的なものに「食事:刻み食」と書いてあり、想像できなさすぎて楽しみにしていた。いざ運ばれてきたご飯を見てみるとまず目に入るのは主食はお粥(300gもある、しかも無味)。副菜や果物は全て木っ端微塵に刻まれていた。8本も抜いたから
入院前夜、手術後に貧血になったら困るからとレバニラを食べ、しばらく飲めないからと缶ビールをばっちり飲み、せっせと荷造りをして、入院のしおり的なものを見てワクワクしつつ早めに眠りについた。 そして入院当日の朝。起きて荷物を確認していたら、持っていかなければいけない大切な書類に何一つ記入していないことに気がついた。己のへっぽこさに呆れつつ一通り名前なり住所なりをかき、印鑑を押して無事に書類を完成させた。 家を出る少し前にいつも午後まで寝ている姉が布団から出てきて、大げさに言っ
あ、今なら抜歯できる気がする。 仕事帰りにただなんとなく家までぷらぷら歩いていたら、不思議な自信がこみ上げてきた。お酒を飲んだ帰りでもなければ特段上機嫌でもない。いやなことがあったわけでもなく、悲しくもない。喜怒哀楽のどれでもない、「無」の状態で歩いていたらなぜか覚悟が決まった。 家に帰ると、その覚悟が顔に出ていたのか姉から「凛々しい顔をしてるね」と言われた。そんな凛々しい顔つきのまま、そそくさと翌日の午前休の申請に取り組んだ。やる気になったら居ても立っても居られないので
いくつか候補を出していた病院の中で家から近くて通いやすく、親身になってくれる病院に決めて3月中旬にレントゲンや型取りといった精密検査をした。 それを踏まえて、3月末に先生から処置の方針を聞くという検診日が設けられた。 検診当日、怖くてキャンセルした。 これが大人がやることでしょうか。 いつかしっかりした大人になりたい。情けないにも程がある。 キャンセルするほどなにに怯えているかというと、抜歯だ。 私の歯並びは上下の前の歯が前に出ていて、かつ上の奥歯が激しく広がっているら
手を動かした分、目に見えて結果がわかる単純なことが大好きなので、磨いた分綺麗になっていく歯磨きが好きだ。 歯ブラシで入念に磨いた後、デンタルフロスで歯間一つ一つを磨いている。最近ではルームシェア時代に同居人が使っていたコンクールのマウスウォッシュまで導入している。 磨いた分だけツヤツヤになるのでとにかく楽しい。 小さい頃は狂ったように歯磨きをしていたので、小学校6年間歯磨き検査でA⚪︎を取り続けて表彰され、残りの学生生活でも歯に関して特に指摘を受けずにいた。 社会人になった
「そうそう、つかださんの他にもう1人美大に通っている子がいるよ」 バイトの面接の終わり際に当時の店長が言った。店長が美大出身なこともあり、おそらく美大生は、美大に通う人と聞くだけで不思議と親しみを覚えることを知っていたのだと思う。 面接が終わり、事務所を出て帰ろうとしていたらバイト先の隣にある雑貨屋さんでシロクマのポシェットをじっくり手に取って眺めている子がいた。なぜかわからないけど「あ、もう1人の美大生は絶対この子だな」と思った。そのときは(なぜか)お互い会釈をしてその