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69."本音を言うと涙が出る”と向き合う


泣きたくないに本音を話すと涙が出てしまう

自分の本音が言えなくなった

子供の頃から、本音を話すと涙が出てしまう事が多かったです

全ての本音に対して涙が出るのではなく、
嫌だ、辛い、怒っているなど、ネガティヴな本音を伝える時だけ、
なぜか涙が出てきました

なぜ、泣いてしまうのか自分でもわかりませんでした

泣きたくないのに、
本音を伝えると泣いてしまい、
泣き出すとなかなか止められませんでした

なぜ泣いているのか説明したくても、
嗚咽が出てしまい、
相手をただただ、
困らせてしまうこともありました

それがより一層、
申し訳なく感じました

また、普段は全く感情的ではない為、
自分が泣くと周囲から非常に驚かれ、
ただ事ではないと、
大ごとにされてしまったことが度々ありました

ただ、自分の本音を言いたいだけなのに、
涙が出てしまい、
周囲の反応と、自分の本心との温度感の差が、
余計に苦しくなりました

また、両親から泣くな、泣いて誤魔化すなと、
子供の頃、よく怒られました

泣いたらダメなんだと、
自分に感情を蓋をする為に、
自分の気持ちを我慢してしまう様になりました

本当は1番意思表示しなければならないはずの
嫌だ、辛い、怒っているという本音を
泣かない為に、言えなくなってしまいました

我慢やストレスを感じやすくなってしまった

自分が嫌だ、辛い、怒っているという本音を伝えられないと、
自分の中に溜め込んでしまう様になります

また、相手側もこれまで何も言って来ていない相手が、
内心、嫌だ、辛い、怒っていると思っているなんて
思っていたなんて想像もしていない為、
自分が嫌だと思う人や行動を避ける事が出来なくなります

ストレスはどんどん増え、
自分の中で減る事は無く、
どんどん溜め込まれてしまいました

そして、我慢の限界に達すると、
怒りが爆発してしまい、
その人といきなり縁を切ったり、
人間関係リセット症候群に陥ってしまう事が
何度かありました

何とかしたいと思いつつも、
誰かに相談しようと思うと泣いてしまい、
嗚咽が出て説明が出来ず、
結局誰にも相談する事が出来ませんでした

また、軽く誰かに話してみた事が何度かあるのですが、
そうならない人の方が多い様で、
「なんでそんな事で泣くの?」と、
理解される事は出来ませんでした

言いたいのに言えず、
我慢する機会が増え、
イライラしやすくなってしまいました

なぜ本音を話そうとすると泣いてしまうのか

身体的理由

感情によって交感神経が優位になり、
涙腺が刺激されることで
涙が流れるというのは、
人間の特徴としてはあるようです

感動して涙が出た、泣いてスッキリしたというのも、
同じ原理から涙が出るそうです

自分の場合は、
恐らく怒りを伝える際、特に感情が高ぶり、
涙が出てしまうのだと思います

でも、それだけで無く、
自分の考え方が原因で、
本音を話すと泣いてしまった自分を責めてしまう事になりました

自己肯定感の低さと
自分の感情を押し殺して来たせいだと思っていた

泣きたく無いのに泣いてしまう、
皆が当たり前にできる事が自分はできない、
泣いて相手を困らせてしまった、

そんな気持ちから、
ネガティヴな本音を話すと
涙が出てしまう自分のことを
責めてしまっていました

自責してしまうのは、
きっと自分の自己肯定感の低さのせいだろうと思っていました

また、自分の気持ちをしっかり言語化し、
伝える練習をすれば、
改善するだろうと思っていました

このnoteで自分と向き合って、
自分の嫌だと言う感情とも向き合い、
しっかり言語化して来ました

その結果、自己肯定感を養うことが出来ました

でも、ネガティヴな本音を伝えると涙が出てしまう症状は
改善しませんでした

本当の原因

本音を伝えると涙が出る本当の原因は、
自分の考え方にありました

ネガティヴな感情を伝えると涙が出る際、
それが発動してしまう相手は、
ある程度自分と関わりがあり、
良くしてくれている人でした

初めから興味のない人や、
嫌われえても構わないと思っている人が相手の場合、

嫌だと言う意思表示を行う練習は必要でしたが、
涙は全く出ませんでした

自分が好意的な印象を持っている人が相手の時だけ、
本音を伝えると涙が出てしまっていました

それは、大事な人を傷付けたくないという想いがあったからです

自分の感情的な想いや、
嫌だ、辛い、怒っているという、
ネガティヴな本音を伝えると、
相手を拒絶してしまうのではないか、
相手を傷付けるのでは無いかという想いが根底にありました

また、思春期の頃、
自分が母親から感情的に怒られる事がとても嫌いであった為、
同じ様になるまいと、
感情をコントロールする練習をしてきました

そして、感情的に怒りを伝えてくる人を
軽蔑する気持ちもありました

冷静になぜそう思うのか、
説明してくれれば理解するのに、
なぜそんな、子供の様な感情的に訴える言い方しかできないのかと

また、普段あまり人の事を悪く言わない分、
人とぶつかった際、
相手からショックを受けられる事もありました

自分のストレートな物言いと、
洞察力の高さ故に、
相手の核心を突いてしまう様な発言、

また、自分の言動で相手が傷付いていると受け取れる表情をキャッチしてしまう事もあり、

誰かに意見を伝え、
衝突する事が怖くなってしまいました

こうした経験から、

「人と衝突したく無い
 なぜなら、自分の本音を伝えると人を傷付けてしまうから
 そして、それに自分自信が傷付いてしまい、自責が止まらないから
 だから、自分の本音言ってはいけない」

という考え方が形成されてしまいました

その為、大切な人相手に、
嫌だ、辛い、怒っているというネガティヴな感情を感じて
平常時よりも感情が高ぶっている事に加え、

感情的になってはいけない、
自分の本音を伝えるとまた相手を傷付け、
自分も傷つくかもしれないと、
自分自身を押さえ込む感情も同時に生まれ、

一気に感情が高ぶり、
涙が出てしまっていた事に気が付きました

そして、泣いてしまった際、
相手が困っている顔を見て、
また相手を傷付けたかもしれないと自分が傷付いたり、

困らせてしまった事に申し訳なくなり
より一層悲しくなったり、

周囲の人が大ごとに捉えた際には、
ただ自分の気持ちを伝えたかっただけなのに、
どうして誰もわかってくれないのかと、
また悲しくなり、

余計に感情が高ぶって、
嗚咽が止まらなくなってしまっていたのだと気が付きました

良くも悪くも、
自分の感受性が高かったが為に、

洞察力も高くなり、
誰かに対してイライラしやすくなってしまったり、
相手の核心を突いてしまいました

また、良くも悪くも、
相手の視点に立って物事を考えられるからこそ、
優しくなり過ぎてしまい、
人の痛みが自分の痛みの様に感じてしまい、

相手の表情の変化にも敏感に反応しては、
1人勝手に傷付いてしまっていた事に気が付きました

自分が思っていた以上に、
自分はとても繊細な性格をしていたのだと、
30年近く生きて初めて知りました

振り返ってみて、
自分がどういう考え方を持っているか知ろうにも、
誰かとの比較がなければ難しく、

自分と同じ様に感じない人もいる事を知るには、
やはり人と関わる必要があります

人と関わる量が増えるだけ、
傷付く機会も増え、
自分に自信が無くなり、
一時的に辛い時期が発生したのは
しょうがなかった様に思います

感受性の高さとは何か、
どういうメカニズムで、
そうである人とそうでない人の違いは何か、
全てが解明されていたら、
もっと早くこの辛さから抜け出す事が出来たと思います

でも、今現在それはまだ完全に解明されていない為、
やはり仕方なかったのだと思います

また、もしかしたら、
自分が相手にネガティブな事を伝えたことで、
自分も相手からネガティブな事を言われるかもしれない、
それによって傷付くかもしれないという
怖さがあったのかもしれません

大事な人こそネガティヴな本音を伝える重要性

初めてこうして向き合い、
根本的な原因を深掘りました

書き出してみて、

自分の本音を伝えると、
泣いて困らせてしまうかもしれない、
核心を突いて大事な人を傷付けるかもしれない、
そしてその傷付いた様子を見て、自分も傷付くかもしれない

だから、自分の本音を押し込むという

自分が経験則的に持ってしまったこの考え方は、
間違っていたと気付かされました

短期的に見ると、
一見相手を気遣っているように見えても、

長期的に見ると、
寧ろ相手には迷惑をかけていたり、
自分が本来望まない長期的な関係を持てなくなるような
矛盾したデメリットしかない行動を
自分は取っていたのではないかと気づかされました

例えば、
相手の事を気遣って
その場では自分の感情を我慢したのに、
ストレスを溜めた結果、
怒りが爆発してしまい、
また相手と縁を切ろうとするかもしれません

何かにイライラしたり、
怒っていても、
理由を伝えないと、
相手は理由がわからない為、
寧ろ困らせてしまいます

また、イライラされていると勘付かない相手の場合は、
突然連絡が来なくなったことで、
余計な心配をさせたり、

突然怒られてびっくりしたり、
余計に困らせ、
望まない行動を自分から相手に取らせていました

大事な人だからこそ、
お互いに気持ちの良い付き合いを維持し、
長期的な関係を築きたいと本来は思っている筈です

こういう行動でイライラしていると相手に伝えなけければ、
自分をイライラさせる事を相手はずっと続けて来ます

それでは、気持ちの良い関係作りは出来ず、
長期的な関係の継続も出来ません

本当にその人と長期的に良い関係を作りたければ、
自分の意見をしっかり伝え、
相手の意見も聞き、
お互いの認識を擦り合わせる必要があると
今更ながら気付かされました

日本語でのコミュニケーション上、
そうした思考になりやすい要因もありますが、
相手に察してもらうなんて、
糞食らえだなと思いました
(言葉が汚くてすみません)

また、ネガティヴな本音を相手に伝える事は、
確かに相手を傷付けることがあるかもしれません

でも、相手にとっても、
どの様な事で相手をイラつかせているか、
相手を無意識に傷付けているかを知る
良い学習の機会でもあります

昔、母親から細かく
あれはやめろ、これはやめろと、
細かく色んなことを注意されて来ました

細か過ぎるし、うるさいし、
思春期のから、ずっと反抗して来ました

以前の記事の投稿でも触れていますが、
自分の繊細な性格と、
母親のストレートな言い方が原因で、
自分はダメなところばかりだと、
自己否定する要因になりました

でも、社会人になり、
そうして指摘されて来た事が
他人への気遣いに変わりました

自分が自然に取っていた行動は、
母親から注意を受け、
治してきたことでした

自分の経験を振り返ってみて、
嫌だ、辛い、怒っているという事を相手に伝える事は、
絶対に悪いことではなく、
実は相手にとっては良い学習の機会であった事に
こうして書いている中で思い起こされました

また、ネガティブな事を伝える時ほど、
慎重にならなければ、
相手の自己肯定感を折ってしまう事も知りました

もし、自分がネガティブな感情を相手に伝えたことで、
相手を傷付けてしまったとしても、
自分の本音を伝える行為自体が悪いのでは無く、
ただ伝え方が悪かっただけです

自分の言葉遣いが相手にとって不快感を与えるのだと、
自分自身も伝え方を改善する
とても良い学習の機会なのだと気付かされました

必要なのは自責ではなく、
ただ改善あるのみなのだと思います

繊細さをカバーできる手段の1つは論理的思考

今回書き出してみて、
繊細さを良い方向へ活用する
繊細さを補完する手段として、
論理的思考(ロジック)はとても有効だと感じました

自分の間違った思考の癖である
「自分が本音を伝えたら、相手を気付けた
 だから、自分の本音を伝えてはいけない」は、
二極化思考が原因だったと思います

これは、幼少期〜思春期の経験で形成されたものです、
目の前の事象に対して、
当時は、主観的にしか考える事が出来ませんでした

根本原因を特定する為の論理的思考が身に付いたのは、
大学生以降、理系の環境になり、
徹底的に論理的に考えるようになってからです

社会人で仕事を通じ、
論理的思考、問題解決能力、深く考える力が身に付いてから、

今回のことを含め、
これまでの記事でも書いている
過去の出来事ともう一度
自分の主観と切り離してた上で、
客観的に見られる様になりました

繊細である為に、
一瞬不快感を感じたり、
傷付きそうになたり、
極端な自責思考に陥りそうになっても、

一度、自分の考えを疑ってみて、
ロジカルに考えることで、

ここまでは、自分でコントロールできるが、
これ以上は自分ではどうしようもできないと、
問題の切り分けができる様になります

そうすると、極端な自責思考を辞める事が出来ます

自分の中に形成された思考の癖を修正すると、
不快を感じる場面に遭遇しても、
冷静に対処できる様になり、
イライラもかなり減らせる様になりました

また、いつまでも過去ばかり悔やむ行動をやめられただけで無く、
自分の繊細さが他人への共感力へ変わり、
生かすことが出来る様になりました

何事も、良い/悪いという
どちらか一方では無く、
良い面もあり、悪い面もあり、

悪い面をどうカバーして良い面を活かすかという
使い様を考える事が
生きづらさの解消の鍵ではないかと思います

これまで、自分の繊細さが嫌で、
感情を抜いて冷静に考えられる様になりたくて、
徹底的に論理的思考を続けていました

論理的に考えてばかりいると、
感情のないロボットの様になるのかと思っていましたが、

結果として、
自分の繊細さと論理的思考が融合するという不思議な現象が起きました

やってみないと何が起きるか/生まれるかわからない
面白いさがあるなと思いました

皆様の貴重なお時間を頂き、ありがとうございました

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