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持たざる者の、声となれ。

先週末、無事に卒業式を迎えました。
私にとっては半年遅れの卒業式。
その週の木曜日に学部だけのこぢんまりとした卒業式を学校で、土曜日には大学全体の卒業式をUSオープンの会場だったテニスコートを借りて行いました。
同期たちとわいわいできたり、日本から来た家族と一緒に時間を過ごせたのは、お祭りみたいでいい思い出になったと思います。

大学全体の卒業式
こちらは学校内であった学部限定の卒業式

卒業式では、優秀だった教授や博士課程、大学院生や学部生に賞が贈られます。その博士課程の受賞者の一人が、イランでの女性の立場向上のために戦うジャーナリズムの学生でした。彼女は、賞をもらうと、すぐに壇上に立って、こう話しました。

“In Iran, women are shut from the society because they’re born as girls.

In Iran, men are hanged because they wanted to support their sisters.

If you want to see a change in the world, be the voice of those who don’t have the freedom you’re granted for.”

原文

(イランでは、ただ女の子に生まれただけで、外の世界から遮断されて生きている女性たちがいる。

そして今日、そのイランでは、自分の姉妹たちの権利を主張しただけで、処刑された男性たちがいる。

もしこの世界が変わることを願うなら、あなたが当たり前のように与えられた自由を、それが与えられなかった人たちの声になることで、使いなさい。)

日本語訳

彼女のスピーチは基本的にはこの3行だけだったのですが、とても力強く、会場中の人が圧倒されているのを感じました。

声なき誰かのために、自分の力を使え、
という、とてもシンプルなメッセージ。

実は今関わっている仕事の一つに、人道支援に関わる組織のブランディングデザインをしています。けれども、普段の仕事の中で自分の仕事の意味をそこまで考える機会が減っていて、ただ作ることに追われていました。

デザインで何をしたい?と聞かれた時に、うっと言葉に詰まってしまうこともあります。

さらに思えば、自分の稼ぎで留学してきたと思っているけれども、そこまで稼げる仕事に就けたこと、そもそも留学したいと思った時に留学できる自由な状況だったこと、さらにはそれを応援してくれた人たちがいたことなど、いろんな運の良さがあって、私は卒業できたわけです。

もし、その運の良さの一部が欠けていたら?一部と言わず、そんな自由が全くなかったら?私だったら、その自由を持っている人を逆に恨んでしまうかもしれない。

今、自分に新しく「モノを作る」力を得られた中で、ささやかかもしれないけれども自分には何ができるんだろう?このスピーチは、改めて自分ができることを考えさせられました。

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