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お水の花道──歌舞伎町編 第3回

お酒好きだと思われているけれど(確かに好きだけど)、飲酒デビューはわりと遅い。

初めて飲んだのは高校の卒業間近、同級生6人くらいで居酒屋に行ったときだったと思う。回を重ねるにつれ、定番どおりビール、サワー、甘めのカクテルとだんだん強いお酒に慣れていき、大学1年生のときにはサワーやカクテルより熱燗を注文するようになっていた。

飲み会に行くようになって、母は私に忠告した。

「あんた、男に酒を注いだり料理を取り分けてあげたり絶対にしないでよ。逆に男に酒を注いでもらえる女になりなさい」

ホステスの母だからこそ、「酒を注ぐのはホステスの仕事」というのが差別発言にはならないところが、面白さであり深さだ。いまでも飲み会で酒を注ぐときはこの母の言葉を思い出すし、デートの相手がそういうことを強要しない人だと、とても嬉しい。

二番館のハウスボトルはスーパーニッカというブレンデッド・ウイスキーで、最初に教わったのは、水割りの作り方とタバコの火の付け方だった。水割りはすぐに覚えられたが、自分がタバコを吸わないので、ライターを一回でバシッとつけられなかった。しかし、そのうちお客様が話しながら胸ポケットに手を入れると、タバコかなと思って、自分もライターに手を伸ばせるようになった。

ホステスは全員40代以上、お客様もほとんど40代、50代の店だった。ヘルプという扱いなので、新しいお客様が入るたびに、席につき、自己紹介をして、お話を聞いた。大学4年生の教育実習前(6月)まで二番館と「婉」の2店舗で2年弱は働いたはずだが、記憶にある人は片手程度だ。やはり、「自分が担当するお客様」でないと、よっぽどのことがないかぎり印象に残らないのだろう。

そのうちの1人目は、西新宿「東京ヒルトン インターナショナル(現ヒルトン東京)」副総支配人、カトウさんである。

カトウさんは当時30代後半か、いっても42歳とかだったと思う。年齢からいうと副総支配人というポジションはかなり優秀だったのではないか。背が高く、快活で、さわやかな愛想というか、いかにも高級ホテルで勤務しているような人だった。

確か初日に、イタリアのヒルトンで働いていた話をしてくれて、「イタリアじゃ、ベルボーイはホテルの入り口に立ってないんだよ。客に呼ばれるまで、ラウンジのソファに足を組んで座って、新聞を読んでいるんだ」と教えてくれた(さすがイタリア!)。それから「新婚夫婦が泊まると、隣の部屋はわざと空けておいて、夜、スタッフ数人で壁にコップをあてて聴いたもんだよ」と笑っていた(さすがイタリア!)。いまなら冗談で笑って済まされない話だろうが、当時のそれは「アモーレの国」ならではの悪戯の範疇だったのだろう。日本の空港で新婚夫婦を見分ける方法というのを教えてくれたのも、カトウさんだった気がする。(ちなみに答えは「男性が荷物をもっていたら新婚」。)

実は、東京ヒルトン インターナショナルは、私たち親子にとってとても思い出深いホテルだ。年に1、2度、歌舞伎町にあるフレンチレストラン「車屋」で家族4人で食事をし、母はそのまま店に出勤、私たち姉弟はホテルに歩いて向かい、部屋でテレビを見たりお風呂に入ったりしながら母の帰りを待つという、夢のような時間があった。後年、それは当時の母の恋人が御膳立てしてくれていたことを知った。

その話をすると、カトウさんはとても喜んで、二番館に来るときは必ず私を席に呼んでくれた。

大学4年生の11月だったろうか。18歳になる弟に、7歳年上の彼女ができた。弟は「クリスマスイブに素敵なレストランで食事をして、高級ホテルに泊まる」という、当時の恋人同士のド定番を彼女にプレゼントしようと思い立ち、秋からアルバイトをしてお金を貯めていたらしい。ある日、私に電話してきて、「ねーちゃん、クリスマスに彼女に喜んでもらえる、いいホテルを知らない?」と尋ねた。予算を確認した私はそれならと東京ヒルトン インターナショナルをお勧めした。「副総支配人を知っているから、いまからでも部屋が予約できるか、聞いてあげるよ」。

名刺を探し、電話をして「二番館で働いていたホリです」というと、カトウさんは覚えていてくれた。そして「うちのホテルを選んでくれてありがとう。ただ申し訳ないんだけど、24日はさすがに部屋が空いていないんだ。でも23日だったら、値段は下げられないけど、すごく眺めのよい部屋を用意できるから」と約束してくれた。

先日、弟にこのときの話を聞いたのだが、フロントで「ホリコウスケです」と名乗ると「予約は入っておりませんが」と言われ、青ざめたという。「えっと、姉の知り合いで副総支配人のカトウさんという方にお願いしているはずなのですが…」「え? カトウですか!? ちょっとお待ちください!」

かくしてふたりが案内されたのは、階上にあるVIP用のフロントだった(笑)。弟は18歳の未成年、25歳の彼女はライダースの革ジャン姿。フロントマンもさぞかし驚いたことだろう。

部屋は約束どおり、東京の夜景を一望できるロマンチックな一室だった。彼女は「こんなこと、いままでしてもらったことがない〜」と感激しては泣き、「まさかこんな素敵なところに泊まれるなんて思っていなかったから〜」とライダースを着てきたことを嘆いては泣いたそうだ。

部屋代は9万円。食事代とプレゼント含めて、15万円を貯めた18歳の弟を、私はカッコいいなと思う。背伸びしないで、無理しないで、「男」になんかなれっこないんだからさ。

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