表現者

自分はクリエイティブな人間なのか。
 常に考えているこの問題は自分の人生に最後まで付きまとうものなのだろう。
 毎日、クリエイターであるという自信のある時間と、クリエイターになりたいと思っているだけの消費者であると絶望する時間を繰り返している。
 この文章を書く理由もクリエイターであると思いたいだけで、程度が浅いと思いながら書いている。絵も同様に、練習している間は自分がクリエイターであると思える。
 そんな日々を過ごしていると、自分の分身がどんどん明瞭になっていくのを感じる。
 元から客観的に生きているつもりではあるが、本当に二人になるのでは?という勢いだ。
 今日電車に乗っている時に、ペットボトルが床に転がっていた。揺れによって力なく転がっている様を見て、人間のようだと思った。人の形をしていないもので一番人間に近いのは電車に落ちている空のペットボトルなのではないか。そんなことはないか。
 そんな一見深そうなことを考えている自分と、それを冷笑する自分がいる。
 深そうなことを考えて、感受性が豊かであると思いたいだけだろう。と。抽象画とか好きでしょ、お前。
 常にネットに晒されているような感覚だ。自分の思考が常に監視され、バカにされる。
 クリエイティブなことをしている時でさえ、こいつと話していると、その目的がモノづくりではなく、自分を洗脳するためなのではないかと思えてくる。
 こいつは厄介なもので、本当にずっと見ているのだ。今この文章を書いているときも同じような問いを仕掛けてくる。本当にやかましい。余計なお世話だ。仮に中二病的な要因で色々考えていたとしてもそういう時期もあるだろうが。
 今はクリエイターモードなのでこうしてヤツを撃退することができるが、だらだらとYouTubeを眺めている時なんかはなす術なく殺されている。
 映画やゲーム、漫画などといった趣味に触れているときは、「プランナーにインプットは必須なんだよ!」というと、微妙に納得のいっていないような顔をして渋々帰っていく。
 仮に文章も絵も超絶上手くなって、プログラムもかけます!音楽も作れます!みたいなスーパークリエイターになったところで、ヤツは笑いまじりにお前は本当にクリエイターなのかと聞いてくるだろう。
 こんなことばかり考えているからすぐ病むのだが、もう仕方がないと割り切るほかないのかもしれない。
 もしも未来、胸を張って自分はクリエイターだと言える日が来ていたらこの文章を書いている今の自分に自慢しに来てほしい。多分、小馬鹿にしながら喜ぶから。

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