「性」と「生」と「一貫性」

昨日、通っているwebスクールの人たちと花火に行きました。その中に同じ学生のママさんがいて、その息子の4才児(♂)もいました。花火をする広場に向かう真夜中の道中で、やたらポケモンが好きらしく「あ!ベロリンガ!」「イシツブテもおるで!」って歩きながら俺の後ろで叫んでいました。何か見えてはいけないものが彼には見えているのでしょうか。あまりに叫ぶので、僕はその辺に生えている雑草を指さして「あ!ナゾノクサがおるで!」ってからかってみたら「あ!ホンマやぁ~♪」と上機嫌。わたあめのようなふわふわで軽い優しい声で「ホンマやぁ~♪」と言った。その素直さを目の当たりにして、罪悪感が今年史上最高に重くのしかかってきて痛かったです。

どうもそんなKenです。

今日は花火の事ではなく、最近ある小説を読み終え、その感想をまとめようと思い、投稿させて頂きました。その小説はこれです。

画像1

『ノルウェイの森』村上春樹著

短くまとめるなら、人間の「性」と「生」

これらを想像しやすい表現で描写している小説だと感じました。

主人公のワタナベには親友のキズキがいて、キズキの彼女の直子がいました。ある時キズキは自殺してしまいます。その後のワタナベと直子の関係性、クラスメイト緑とのやりとり、先輩永沢さんの思考等、色んな人たちとの会話が様々な場面で繰り広げられます。

全ての会話が非常におもしろかった!


そして、情景描写で個人的に好きな表現が下記です。

『彼女は素早く起用に体を動かしながら、一度に四つくらいの料理のプロセスをこなしていた。こちらで煮ものの味見をしたかと思うと、何かをまな板で素早く刻み、冷蔵庫から何かを出して盛りつけ、使い終わった鍋をさっと洗った。うしろから見ているとその姿はインドの打楽器奏者を思わせた。あっちのベルを鳴らしたかと思うとこっちの板を叩き、そして水牛の骨を打ったり、という具合だ。』

主人公のワタナベが緑というクラスメイトの家を訪ねる事になった時のこの描写には感銘を受けました。

打楽器と例えるだけで、緑の手際の良さと「楽しそう」感が伝わってきます。緑はめちゃくちゃ軽快でポップな人

という印象から後々


「スーパーわがままメンヘラ」


へと変貌していきます(笑)

登場人物たちの情緒不安定さと一貫性の無さがまさに「人間」というものをうまく表現していると思いました。主人公のワタナベも読者によってはイライラの対象になるのかもしれません。僕はどちらかというとワタナベチックな思考を持っているからそのワタナベの行動に対して「まあ、そうなる事もあるかなー」って感じでした。共感はしなかったですが。

下(しも)が多めですので、それに敏感で抵抗がある方は読むなら覚悟しておいた方がいいです。正直、この本、やりまくってますw

そこの描写も生々し過ぎて吹いてしまいました。

漫画で吹く事はあっても、小説で吹いてしまうのは僕にとってすごい珍しい体験でした。


「一貫性」

に関して言うと、

日本では、義務教育を通して、または漫画、アニメ、映画等様々なメディアを通して「一貫性が大事」だという種を知らず知らずのうちに頭の中に植え付けられる事が多いのではないでしょうか。


「最後まで決めた事は変えずに貫き通しなさい」


「一個だけでも良いから自分の信念は曲げてはダメ」


「諦めたらそこで試合終了ですよ。(既視感)」


こんな感じの言葉を何回も。


僕は信念はその都度状況に応じて変えても良いと思っています。



「やり始めたら絶対に諦めない」という信念。

「逃げる」という選択肢は私はあっていいと思っています。今、目の当たりにしている状況だけを見つめて人生を決めつけてしまうのは本当にもったいないです。世界は私たちが思っているよりも広く複雑で色んな要素が絡みに絡みあっています。

(別の話ですが、コロナの統計も数字だけで、世の中が複雑過ぎて実体なんて何も反映されていないと思っております。海外と比べて成功だ失敗だと言わない方が良い。PCR検査母体数の桁数が全然違うし、習慣、衣食住も違い、前提条件が違い過ぎるので比較するのは不適切だと思っております。)

テクノロジーや医療の発展スピードがさらに加速する中で、昔のやり方に固執するのは、周りに順応できていない事にも繋がりかねません。


一貫性を他人に求め過ぎるとパワハラの温床にもなりかねません。人は矛盾を引き起こすし、不完全な生き物。(「人は、なぜ他人を許せないのか?」中野信子著 参照)



「人は良い所と悪い所両方があるから魅力的」だと私は信じております。

強いて言うなら上記が今の僕の信念であり、希望です。


しかし、資本主義の「成功」が「金持ち」である限りは、それは求め続けられるでしょう。なぜなら、その完璧さを求める人がいるからです。ビジネスにおいては競争であり、その完璧さを追求したモノを売って勝ちを取っていく構図だからです。資本主義である限り、その社会に変わりはありません。ビジネスは勝ち負けの世界です。

ただ、生き方の成功は違うと思います。

個人の生き方にはそれぞれのやり方で、一貫性は求められません。

自分のやりたいように生きていく。他人に流されず、本能のままに素直に生きる。


一貫性を持つ

一貫性を持たない


それぞれメリット、デメリットがありますが、これをここまで読んで頂いた方々は「一貫性」に関してどう感じるところがあるでしょう。


ここまで読んで下さった方々には本当に感謝しております。今回は長文にも関わらず私の言葉をここまで見て下さっているというのは、少なからず私の心の一部をご精読下さったという事。


心は言葉です。

言葉は心です。


でも、言葉にできない事もありますよね。

分かります。

どんなに言葉を並べても表現しきれない状況、心境だってもちろんある。

ある日、ポケモンのオンライン対戦を楽しくやっていたら

急にその瞬間がやってきました。




その瞬間がこちら。







画像2

※BGM: 小田和正「言葉にできない」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?