積み上げた先、なにを見る?
「一喜一憂」。
この言葉からどんなことが浮かんでくるでしょうか?
一喜一憂
状況の変化などちょっとしたことで、喜んだり不安になったりすること。また、まわりの状況にふりまわされること。
「ふりまわされる」というのは、あまりいい気がしない感じですが、
「ちょっとしたことにも感情が動く」というのは、わるくない気もします。
「一喜一憂」の意味を調べてみて、なんだか改めて思いました。
人は、感情と一緒に生きている
と。
一喜一憂というと、「しない方がいい」という意味で使われることが多いと思います。
それは、
「取るに足らないことでふりまわされるより、もっと大きな目的をみよ」
的なことかな、と思います。
他者に対して、「どうしてそこで、そこまで一喜一憂するのだろう?」と思うことがあります。
おせっかいにも「もっと大事な事はないかい?」と思ってしまうんですね。
でもね、そんな自分もしっかりと一喜一憂してるんですね。
大きな目的、本来の目的を見失うことがなければ、
一喜一憂せずに泰然自若としていられる、のかもしれませんね。
でも、どんなに大きな志を抱いても、
どんなに先の大きな理想を描いても、
一喜一憂するときはする、のではないかとも思います。
一喜一憂しながらも、
淡々と、
粛々と、
続けていくこと。
続けたいと思うこと。
そんなことに出会えたら、それは幸せなことだと思います。
そして、それはやっぱり、大きな目的の中にあるのかもしれません。
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