【世界が美しく見える視点】はひとつじゃない
今、ブラッドベリチャレンジで「存在の耐えられない軽さ」という小説を読んでいます。
フランツは自身の不倫を妻のマリー=クロードに打ち明け、不倫相手との旅から帰ってきた後での会話です。
「あなた帰ってきたの?」と言われてしまうフランツは、ある意味で自己中心的、能天気のようにも映りました。
でも、どこまでも純粋な気持ちの持ち主であるようにも思います。
愛は戦いなのか、戦う気なんかまったく必要ないものなのか。
どちらが正しいとか、どちらの方が良いとか、どちらの方が素晴らしいとか。
それはわからないし、きっとマリー=クロードの愛も、フランツの愛も素晴らしいものだと思います。
自分にとって素晴らしいと思うもの。
心から好きで、それがあると心地よくて、美しいと感じるもの。
そんなものを誰かにお勧めしたり、世界に発信することは、ポジティブなエネルギーの循環を生むように思います。
そして、自分の好きなものを「好き」と言うことは、敵をつくることでもあります。
上で引用している山口周さんのnoteにあるように、
がいるからです。
敵というとトゲトゲしい感じがしますが、ただ否定するだけではなく尊重し合える相手でもあります。
自分の見ている素晴らしい世界。
その視点を大事にして、誰かにお勧めすることもできるけれど、それだけが世界を見る視点ではないのです。
自分の視点が「世界を素晴らしいと思える唯一の視点」だと思ってしまえば、他の視点を受け入れられず、フランツのように相手から立ち去ってしまうことになるかもしれません。
(この後の展開はまだ読んでいないので、どうなるか分からないですが)
自分の視点を大事に、そのポジティブなエネルギーを発揮する。
そして、それが唯一の視点なのではなく、他にも世界を美しく見る視点があると知っていること。
世界を美しく見る視点がいくつもあるって、とっても素敵じゃないですか?
他の視点を尊重し、その見方をワクワクした気持ちで覗かせてもらいにいくと、世界の美しさが広がっていくと思います。
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