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差別意識とか、バイアスとか、わがままさとか、

ブラッドベリチャレンジを始めて、130日を超えました。
今日も、「サード・キッチン」という小説を読み終えました。

念願叶ってアメリカの大学に留学するも、英会話がままならずひとりぼっちの尚美は、ある日、人種や性別などあらゆるマイノリティが集う特別な学生食堂に招かれる。
ー自らに潜む偏見や差別意識に気付いた尚美は初めて自分と深く向き合う

差別。
よくないことで、したくない、なくなればいいと思うこと。
では、自分が「絶対に差別をしない、と言い切れるか?」と問われれば、僕は正直、言い切れません。
世の中には色んな差別が存在していて、どれだけ気をつけていたとしても、「誰かを傷つけている瞬間」を自分が生み出している可能性を僕は否定できません。

「差別を知らずにいること、それも特権」と言われたりします。
確かにそうかもしれません。
でも、この言葉、なんだか突き放しているような印象も受けます。
「あなたは特権を持っているんだ」と言われると、
「自分は差別をする側にいるということ?」と自分を疑ったり、
「そんなことも知らずにいた自分って情けない」という思いが湧いたり。
そういう思いが、自分事として考えるきっかけにもなるのだとも思います。
それでも、「特権」という言葉を突き付けられると、溝を深めてしまうようなものを感じます。
溝の深さを認識することと、溝を深めて認識することは違うと思います。
世の中にどんな差別があるのか、その全てを知ることはおそらくできません。
それは、知らなくてもいいということではありません。
知っていく機会が大事なのだと思います。

「差別を絶対にしない」と言い切れない。
それは、無意識・無自覚なこと(それで誰かを傷つけていること)があるからです。
それは、自分のバイアス(思考や行動の偏り)がある、ということでもあります。
バイアスがあるとどうなるか。
素直に相手の声を聞けなくなります。
でも、バイアスがない人はいないと思います。
自分にはバイアスがある。
無意識・無自覚な事はある。
そういう自分を覚えていることは、少しでも相手の声に素直に耳を傾けられるようになったり、素直なかかわり合いができる手助けになってくれると思います。

まとまりのない感じになっておりますが、最後にまたブラッドベリチャレンジで読んだ哲学の本の言葉を紹介します。

ヘーゲルはそのうえ、生や社会のあるべき形についてみずから考え、その知を多様な他者たちとのあいだで交わしあい補いあうこと
ー彼はその活動を「良心(知をともにすること)」と呼ぶー
それ自体が、一つの承認の過程だとも考えていた。

西洋倫理思想の考え方/池松辰男

みずから考え、多様な他者たちと交わしあい、補いあう。
そんな姿勢を大事にしたいと思います。

色んな本に触れて、それらが繋がっていく感覚が持てるブラッドベリチャレンジ、楽しいです☟

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