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AIにない「自然知能」の素晴らしさ~忘却の創造性~

「自然知能」という本を読みました。
時々毒気を感じるような言葉もありましたが、それが不快なわけではなくて、笑いがこみ上げる感じで、面白かったです。
こういう言葉って、きっと「大切な武器」なんだなと思いました。

本の中の「忘却の創造性」という言葉が印象的でした。

一般には、記憶力が強く、いつまでも、忘れないでいるほど頭がよいように考えられているが、本当にすぐれた頭脳は、不要なことをさっさと忘れる。
いくら忘れると言っても、すべてが忘れられるわけではない。
忘れ切れなかったことから、新しいものが生まれる。
記憶した通りを再生すれば、模倣ではあるけれどもそれを抜け出せない。
忘れて忘れ切れなかったことの中から、新しいことが生まれる。

「忘れる」ことは、悪者にされがちだけれど、それは「自然知性」のひとつでもある、と知りました。
レム睡眠というものが、「忘却活動であり、頭の掃除である」そうです。

忘れて忘れ切れなかったことの中から、新しいことが生まれる。
これは、素敵な事だと思います。
頭の掃除として、レム睡眠で忘却活動をするけれど、忘れない何かがある。
それはきっと、「覚えていよう」と意識して記憶されたものではなくて、「残っている」とか「染みついている」ということなのかな、と思います。
そして、そこから「新しいことが生まれる」。

知識や技術を使えば、自然力だけではどうにもならないことを、うまく処理できる。
それはありがたいことであるが、眠っているものを揺さぶり起こすということもないとは言えない。
まして自然の力を殺してしまう。

自然知能と対になっているのが、「人工知能(AI)」です。
今は、AIという言葉の方がよく聞くようになっているかもしれません。
でも、

自然知能があって、そのあと、人工知能があらわれるのが順序である

ということは、確かにそうだな、と納得します。

「自然」という言葉の響きにどんなイメージが浮かぶでしょうか?

日本語の「自然」は、山川草木、動物などを呼ぶことばで、その中に、人間が含まれていない。
ところが、英語のnature、自然、は生まれたものを意味するから、人間が含まれる。

こちらも、そうだなと思います。
日本は、自然(山川草木など)の影響をたくさん受けてきた国であるはずなのに、その響きの中に「人間」は含まれていない。
自然の影響力に圧倒され過ぎて、そこから「人間」を切り離してしまったのかもしれませんね。
でも、人間も「生まれたもの」であり、「自然知性」を生まれながらに持っています。
そして、それはきっと人工知能には代替できないものです。
「記憶」は人工知能の得意分野であっても、「忘却」という自然知能の素晴らしさは持ち合わせていないですからね。

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