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他の皿へと移りながら生きていく〜「ボーはおそれている」をみて〜

「わからないものに触れたい」ということでこの映画をみた、というつぶやきが流れてきていたのですが、みおわると「共感を覚えることが多かったな」と個人的に思います。
みた方いらっしゃったら、どうでしたでしょうか。

タイトルにもある「おそれ」。
皆さんは、何に「おそれ」を感じますか。
「おそれ」はどこからやってくるものなのでしょうか。
「おそれ」とは良いものでしょうか、悪いものでしょうか。

映画には何度か「利己的」という言葉が登場します。
おそれは利己的でしょうか。
人は、おそれを感じることで自己防衛の行動をとっているのかもしれません。
自分を守るという側面のある「おそれ」ですが、誰かのためにある「おそれ」もあるのではないかと感じました。
誰かを悲しませたくない。
誰かに苦しんでほしくない。
誰かが怒らずにいてほしい。
そんな気持ちたちが「おそれ」に繋がっていることもあるのではないでしょうか。
結局それも自分を守っていることなのかもしれないですが。

「捜されていたのに、あまりに利己的で見つけてもらえなかった」

「おそれ」はどこからやってくるのか。
利己的なときもあるし、利他的なときもあるかもしれません。
その中で、「あまりに利己的」でいることを続ける。
そうすると、自分の持っているものが「自分だけ」に閉ざされたものとなり、誰かと生きるために放たれるべき光が弱くなってしまうのかもしれません。

映画の中に「中庸」という言葉も出てきました。
利己的、利他的。
何かを身につけること、何も身につけないでいること。
無垢でいて欲しいと願うこと、そうではないと疑うこと。
自分が奪われたものを誰かから奪うこと、他のもので新たに作り出そうとすること、他の誰かに与えようとすること。
どこかへの偏りが、独りよがりに繋がってしまうのかもしれません。

天秤が偏ってしまうこと自体を避けようとするのではなく、その偏りに気付いたときにどうするのか。
他の腕の皿へと移れることが、「他者と生きていく力」に繋がっているように思います。
他の皿は対極の場所だけにあるわけではなく、天秤の腕は無数に渡されています。
他の皿へ移ることには「おそれ」もあるかもしれないけれど、独りよがりではない「他者と生きる喜び」も感じられるのではないでしょうか。

主人公のボーと周りの人々の態度が表れるラストシーンが良かったです。
気になる方はぜひ。

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