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今日も伝わっていくものがあると信じて書いた自由なnote

今朝、シャワーを浴びながら「エネルギーの使いどころ」について考えていました。
「自分が自分である」というのは、自分に負荷がかからない状態な気がしています。
と思っていたら、「自分に正直であることは、パワーがいる。」と以前自分が書いた記事を再発見しました。
読み返してみると、自分が自分によって納得させられます。
「自分が自分である」って、きっと心地よくて、それだけで放たれるパワーがあるのだと思います。
でも、そうじゃない方が波が立たない場面もあったりします。

山口周さんのnoteで印象に残っている記事があります。

課題へ向かっていく時にはやっぱりエネルギーが必要なのでしょうか。
それはそう、かもしれませんね。
課題を生成したら、そこへのアプローチ方法は無数にあって、「その方法をどう選ぶか」も使うエネルギーに関わっているのだと思います。

脳のお休み(蟹の親子)を読んでから、「それはそう」という言葉がお気に入りです。
「それはそう」と片付けられてしまうことでも、もっともっと書いていい。
そう思っています。

「日記を書くのが苦手」というのを何度かnoteで言っているのですが、そのことについてまた新しい発見がありました。
僕は、「日記は、全部出すもの」という感覚を持っていることに気がついたんですね。
もちろんその人の日記を読めばその人の全部がわかってしまう、ということはないです。
SNSで公開されている日記は取捨選択されたものだということも心得ています。
でも、たとえば「あるテーマ」を持って書こうと思ったら、「そのテーマ以外のことは書かなくていい」んですよね。
テーマから外れたことは隠しておける、まだ自分の手元に残しておける。
日記はそうじゃなくて、その日のことを「全部出す」感じ。
日記には日記の良さがあるし、テーマに沿って書かれた文章の良さもある。
僕は、日記の「全部出す」というところに憧れを持っているのだと思います。

今日もブラッドベリチャレンジが面白いです。
月は無慈悲な夜の女王」という小説を読んでいるのですが、「魚は水に気づいていない」という諺を知りました。
「気づく」って、go outsideした時のプレゼントなのかもしれないですね。
突然の英語は、「鬼はそと、福はうち」のことを「Oni go outside,Happiness come inside」と説明しているのを聞いてgo outsideを使いたくなったからです。
詩は谷川俊太郎の「大きなクリスマスツリーが立った」(うつむく青年より)を読みました。

影しか見えない人だっているんだよ

光の中から見た時に「影しか見えない」と思っているだけで、そこにいる人は漆黒に見えるその中に光を見つけていることもあるんじゃないかな、と思いました。
そして、それだけが希望になるわけじゃないことも。
平和を広げたいです。

「それはそう」と片付けられてしまうことでも、もっともっと書いていい。
大事なことなので。
何が溢れてきても、何を隠していても、伝わっていくものがあるものです。

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