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つまりもう自由でしかないわけですよね。

「音を視る、時を聴く[哲学講義]/大森荘蔵+坂本龍一を読んだ。

O
たとえばピカソがピエロの絵を描く時に、彼自身が、非常に醜悪な何かを意図して訴えたい、それをわれわれが見たらもっとはるかにスケールが小さくてただの悲しそうなピエロに見えたという、こういうことならしょっちゅうあると思います。

あると思う。

S
私の作るものが「自由だよ」と言うか、言わないかじゃなくて、つまりもう自由でしかないわけですよね。
キャッチボールできないんだから。

*

芸術作品でも、言葉でも、相手の意図した通りに受け取るということはできない。
意図した通りに受け取れると思うこと自体が、傲慢なのかもしれない。
相手から発せられたものをどう受け取るか。
そこには、自分の「主観」がある。

共感やエンパシーということを思い浮かべる。
今年のテーマにもしている「アナーキック・エンパシー」にも繋がってくる。
共感とは、「相手のことを相手の視点から考えよう、感じようとすること」だと思っていた。
でも、それは「しようとすることはできたとしても、そうはできないこと」だ。
主観を手放すことはできないし、手放す必要もない。
そう考えていくと、「アナーキック・エンパシー」とは、「主観を持ったままエンパシーを発揮すること」とも言えるかもしれない。

相手から発せられたものを相手の意図通りには受け取れない。
自分が発したものも自分の意図通りに相手に伝わることはない。
ネガティブに聞こえるかもしれないが、それは「自由でしかないこと」とも言える。

キャッチボールができない自由の中、どうやって他者と生きていくのか。
本の中の言葉にヒントがあった。

O
同じ一つの世界があり、それぞれの時代とそれぞれの人間にさまざまな相貌で現れてくるわけです。
十人十色で。
その十通りの世界をある整合性をもって重ね描いていけるならばいいんじゃないかと思うんです。

自由でしかない中で「ある整合性」を探していく。
そのプロセスこそが「他者と生きること」なのだと思う。

とても面白い本だった。

*

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