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<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【9】

【9】エディス
 アリエスは、一睡もしなかった。
 窓の鎧戸の隙間から漏れる光で、朝が来たことが分かった。その部屋には寝台があったが、横にはならず、椅子に座ったまま夜を過ごした。警備兵が置いていった、蝋燭の火が尽きようとした頃、朝日が射したのだ。

 先程、兵が一人入ってきて、食料が載った盆を下げていった。その時に、開けた扉の向こうに知った顔が見えた。ジョイスだ。おそらく、自分の身元を調べるために、連れてこられたのだろう、とアリエスは考える。

 ジョイスとは、酒場で知り合った。給仕をしていたジョイスを倉庫の雑用係として雇った。病身の母親がいて、もっと稼ぎたいと言ったからだ。地元の人間を雇っておくと、周りに怪しまれない狙いもあった。

 どうだろう、気付いただろうか。ジョイスには男の姿しか見せていないが、意外と頭は回る子供だ。用心に越したことはない。
 今すぐ姿を消すのがいいか、もう一暴れして警備隊をかき回してから逃げた方がよいか。どちらが作戦に有利か、見極めないといけない。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 エディスは、鈴蘭亭四階の一室に戻ることにした。ジョイス少年による、アリエスの首実検は、失敗に終わった。

 ジェイ・イライアスの親類の可能性ありでは、身元を特定したことにはならない。罪に問うこともできない。何かを隠していることは明白だが、釈放することになるだろう。

 ケントは、カダン商会を捜索しているモルダー小隊長に期待しましょうと言い、ジョイスは帰し、エディスには部屋での待機を促した。

 ただ、エディスはケントが普段よりも大きな声で喋っていることに気付いた。扉越しに、わざとアリエスに聞こえるようにしているのだ。もし強盗殺人にアリエスが関与していないならよし、関与していてカダン商会に手がかりを置いたまま捕まったのであれば、動揺を誘うことができる。

「苦肉の策だな、ケント。うまく事が運べばよいが」
 そう言いながら、エディスは窓から外を見た。アストリアム王国では、四階建ての建物は少ない。窓からは、住まいである王城がよく見えた。

 エディスの祖先が築いた城は、古く無骨な外観ではあるが、それゆえの威厳を備えている。普段は、四本の高い尖塔を外から眺めることもないため、不思議な感覚にとらわれた。

 その昔、まだエディスが幼く、やっと小馬に乗れるようになった頃のこと。父の遠乗りに随行したことがあった。小高い丘から城を遠目に見ながら、あれは七代も前の王、アロン・ライオールが築いたのだと父が教えてくれた。

 城の周囲には深い濠が掘ってあり、一本の石橋が架かっている。その橋を通らなければ、入城はできない。橋には、皆殺し橋と不吉な名が付けられている。そういえば、誰もその名の由来を知らないのは、なぜだろう。

 エディスが感慨に耽っていると、側に置いた白銀の剣から、青白い光が漏れ始めた。それに気づく間もなく、剣同士で切り結んだときのような、鋭い金属音が鳴る。はっ、と現実に引き戻された。

 ほぼ同時に、何かを叩きつけるような破裂音が窓の外から響いた。急いで顔を出し、反射的に下を見ると、石畳に木片が散らばっている。そして、通行人だろう、腕を押さえて座り込む男がいた。周り囲んだ者たちが、上を指さして喋っていた。

「あそこから落ちてきたんだ」
「この人に当ったんだよ。かわいそうに」
「誰なんだ。危ないじゃないか」

 エディスは最初、自分を向いて話しているのかと思った。しかし、人々の視線や指さす方向が自分より下を向いていることに気付く。あそこは、三階のアリエスを監禁している部屋ではないのか。窓から身を乗り出したが、何も見えない。まさか、窓から飛び降りて逃げたのか。

 飛びつくようにして部屋の扉を開けると、廊下に護衛の警備兵が立っていた。警備兵は、エディスの形相に驚いて声が出せない。
「今すぐ、アリエスの部屋を調べろ!」
 エディスは叫んだ。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「外から三階の部屋に異変が無いか見張ってほしい。ただし、見つからないように隠れて見張ること。奴が気付くと、行動を控えるかもしれない。何か起こったら、どちらかが報告してくれ。もう一人は見張りを続けること」

 ケントは二人の警備兵のに指示を出すと、鈴蘭亭の一階にある椅子に身体を投げ出すように座った。実際のところ疲れていた。他の者にアリエスの尋問を任せて、少しのあいだ壁にもたれて目を閉じたのが、昨日からの睡眠の全てだ。

 すぐに揺すり起され、どのくらい休めたのか、全く分からない。エディスには、戦場よりましと言ったが、命の危険が無いだけましで、疲労の程度は変わらないかもしれない。

「あの、騎士様。お話が……」
 頭の禿げた、四十代の小奇麗な服装の男がケントの側に寄って来た。
「おお、ご亭主。世話になるな」
 ケントが応じると、鈴蘭亭の主人は頭を下げた。

「お役目ご苦労様です。お尋ねしにくいのですが、一つよろしいですかな」
「なにか。宿代のことですか」
「いえ。そちらは前金をいただきましたので、今のところは、結構です」
 抜け目の無い宿の主人は、禿頭を掻いた。

「別の問題ですか」
「はい。どうなんでしょう。この騒ぎは、そろそろ終わりそうですか」
「安心してほしい。非情に疑わしい者を捕らえたから…… と言っても、無理でしょうね」
「はあ」
 宿の主人は、笑顔を崩さない。

「ご亭主には、どう見えるか分からないが、今は警戒中です。もうしばらく、我慢してほしい、としか言えない」
 なんとも歯切れの悪い返答だ。亭主も、あきらめの表情になった。

「我慢しろと言われればしますが、町中の雰囲気が暗くて嫌なんですわ。物騒な輩が増えましたし」
「物騒な輩とは、なんですか」
 ケントの言葉が鋭くなり、目つきが厳しくなった。

「夜の、その…… 強盗事件が始まった頃からですかな。町に入ってくる旅人や行商人が減って、傭兵くずれみたいな輩が増えたんですわ」
「ほう、それで」
 ケントは、先を促した。

「恰好は普通の旅人と同じなんです。けれど、職業柄色々な人と会いますんで、分かります。普通じゃないのが。そいつらの纏ってる空気といいますか、影といいますか。なんか暗いものが町中に漂っている気がするんです」
 宿の主人は、嫌なもの見た顔をしている。

「そいつらが、増えているのか」
「増えてます。町を見物しているみたいに、ぞろぞろ歩いているのが気持ち悪くって。だから、早く元に戻ってほし……」

 宿の主人の心からの願いの言葉は、何かを叩きつけた破裂音と悲鳴で搔き消された。
「なんだ。何が起こった」
 ケントは素早く立ち上がると、周囲を見回した。鈴蘭亭の中は異常が無い。宿の主人は、頭を押さえてしゃがんでいるが、怪我をした様子はない。騒然としているのは表通りだ。

宿の外へ出ようとしたところに、見張りを命じた警備兵が走り込んできた。
「なんの騒ぎだ」
「あの女の部屋の窓から、椅子が投げ落とされました。石畳に当って飛んだ破片が、通行人を直撃しました。倒れて動けないようなので、怪我をしたかもしれません。また、周囲にいた人間が驚いて騒いでいます」
 警備兵は、ひと息で報告した。

「女は? アリエスは見たか」
「いいえ。まだ部屋の中にいるようです」
「そうか、早速動いたな。お前は見張りに戻れ。もし、怪我人がいるようなら、助けてやれ。ただし……」

 ケントは警備兵へ指示を与えると、自分は鈴蘭亭の階段を三階まで駆け上がった。二人の警備兵が、アリエスの部屋の前で見張りをしている。
「異常は無いか?」
「ありません。外が騒がしいようですが」
「説明は後だ。部屋の中を検める」
 ケントは扉の取っ手に、手を掛けた。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 エディスは苛立ちを覚えた。
 護衛の警備兵は、エディスの剣幕に驚いて慌てるだけだった。説明している暇はない。逃げられてしまう。白銀の剣を掴むと、警備兵を押し退けて、自らアリエスの部屋へ向けて走り出した。

 飛び降りるようにして階段を下る。三階に着くと倒れそうになりながら方向転換し、再び走り出した。ケントがエディスの部屋に入るのが見える。
「あっ、姫様。お待ちください」
「今、副隊長が中を検めますので、止まって下さい」
 見張りの警備兵が、両手を広げて声を上げた。


「うるさい! 邪魔をするな」
 二人の警備兵の制止を振り払って、エディスはアリエスの部屋へ駆け込んだ。最初に見えたのは、先に中へ入ったケントの背中だ。
 そして、その向こうに、石の窓枠に腰掛けたアリエスが見えた。鎧戸が開け放たれ、アリエスの体半分は空中に突き出しているようだ。

「おや、女の騎士様まで来てくれたのかい。餌を撒いたら、大物二匹も釣れるとは、大漁大漁。ありがたいねえ」
 アリエスの唇の端が吊り上がった。魔女の微笑みに、エディスの全身の毛が逆立った。

「……気味悪い奴め。お前、何者だ」
「なんと口の悪い。お里が知れるよ剣姫さん。いや、王女様」
「なにっ!」
「危険です」
 前に出ようとするエディスをケントは手で制した。
「お前の目的は何だ、アリエス。答えろ」
 冷静な声で、ケントが尋ねた。

「目的もなにも、あるわけないね。わたしは罪もないのに捕らえられた、あわれな町民だよ」
「いや、カダン商会にいた時点で、ジェイ・イライアスとの関係を疑われてもしかたないだろう。ジェイ・イライアスには、町民への強盗傷害及び三人の警備兵の殺害の嫌疑が掛けられている」
 ケントは、お前は怪しい、と言い放った。

「ジェイ・イライアスなど知らない。何度言わせる」
「ならば、アリエス・イライアスはどうだ。お前の名ではないのか」
「ふん。子供の言うことを真に受けてるのかい」
 アリエスは、嘲るように顎を突き出し、足をぶらぶらと揺らした。

「子供に聞いたとなぜ分かる」
「おっと、おしゃべりが過ぎたか」
 アリエスは、おどけた口調で言った。
「お前は、子供のことをなぜ知っているのだ。あの子は、お前を知らないと明言したぞ」
 ケントは一歩近づいた。アリエスは、変わらず微笑を浮かべている。

「なぜだろうねえ。子供には知らない方がいいことも、あるから…… さて、ここにじっとしているのも飽きたので、出て行かせてもらいますよ」
 アリエスは、ちらりと表通りを見下ろした。
「待て、ここは三階だぞ」
「知ってますよ」
「飛び降りたら、怪我だけじゃすまない」
「そうかしら」

 ゆっくりと上半身を後ろに傾けると、次に膝を抱え込むようにして、灰色の服を着た女は窓の外へ消えていった。後には、王城と青い空という絶景が見える窓が残された。

 部屋の中には静寂がひろがったが、それとは逆に表通りからは大きな破裂音が響き、再び通行人の悲鳴や叫び声が上がった。
「今度は人が落ちたぞ」
「ああっ、見てられないよ」
「早く助けてあげて」
 エディスは急いで窓に駆け寄ると、表通りを見下ろした。

 想像では、石畳に叩きつけられた血まみれのアリエスが、横たわっているはずだった。しかし、その光景にエディスは、驚きを禁じ得なかった。思わず、言葉が漏れてしまう。
「なんという奴だ。荷馬車の上に飛び降りたのか……」

 アリエスは、荷物を満載した馬車が窓の下を通るのに合わせて、荷台の上に飛び降りたのだった。荷台には木製の箱やら布袋が積んであり、かなりの衝撃を吸収している。その証拠に、アリエスは荷台から素早く降りると、驚く周囲を尻目に走り去ろうとしていた。

「待て! 逃げるな」
 エディスが叫ぶと、アリエスは三階の窓を振り仰いだ。悪戯っ子のように舌を出す。そして、角を曲がって、姿を消した。

「くっ!」
 エディスは怒りと屈辱で、頭の中が真っ白になった。何をしていたんだ。逃げられるくらいなら、剣で突き殺せばよかったと、自分を責めた。
 それとは反対に、ケントは慌てず、窓から眼下の状況を見定めた。

「なんとも見事に逃げましたね」
「感心は後だ。あいつを追うぞ! 逃げたということは、罪を認めたのと同じだ!」
 エディスは怒りが治まらず、今にも部屋を飛び出しそうだ。

「いや、お待ちください。この建物の外で見張りをさせていた者に、もしアリエスが逃げだしたら、追跡するよう指示してあります」
「なに……」

「二人一組で行動させています。アリエスがどこかに隠れるようなことがあれば、一人が見張り、もう一人が報告に戻るはずです。それまで、待機願います」
 用意周到なケントに、エディスも冷静にならざるおえなかった。

「寝ていない割に、冴えているな」
「ありがとうございます。普段からの訓練の賜物です」
「ふん。事前に、一言あってもよかったのではないか。大声を上げたわたしが、馬鹿のようではないか」

「申し訳ありません。この部屋に駆け付けられるとは、思いませんでした」
 ケントは胸に手を当てて、頭を下げた。ここで、機嫌を損ねるのは得策ではない。
「まあ、いいだろう。わたしは、四階に戻る」
「はい。そう願います」

 エディスが怒りを鎮めたとき、一人の警備兵が部屋の入口に現れた。
「申し上げます。フィン・モルダー小隊長が一階にお越しです」
「小隊長か。ここに来るよう伝えろ」
 しばらくして、フィン・モルダーが姿を見せた。ケントの隣にエディスがいることに気付き、跪いて頭を下げた。

「フィン・モルダー小隊長。こんな状況だ。堅苦しいことは無しだ」
 エディスが声を掛けた。フィン・モルダーは頭を上げ、ケントが頷くのを見て、話し始めた。

「報告します。先程まで、カダン商会の中を捜索しておりました。倉庫の奥に、錠が下りた木箱を発見しました。重要な証拠が隠されている可能性を感じ、壊して中のものを取り出しました」
 エディスは、興味深げに聞き入った。

「衣装箱でしたが、不思議なことに男の衣装と女の衣装が、混じって入っていました。そして、こんなものが」
 フィン・モルダーは、発見したものを懐から出して、二人に見せた。
「これは、なんだ」
「毛の塊か?」
 エディスとケントは、珍しいものを見たという様子だ。

「おそらく、変装のための小道具かと思われます。女が男に化けるための」
「なるほど、口髭か」
 フィン・モルダーの言葉で、ケントはすぐに気が付いた。エディスの方を向いて、説明する。

「エディス様は、ジョイス少年の証言を憶えておられますか」
「あの女が妹だとか、なにか言っていたな」
「あの女に髭を付けると、自分の知っている男に似ている。だから、妹ではないかと証言したのです。その髭がこれです」
「あっ」
 エディスも気が付いた。そして、眉をひそめた。汚泥のような不快感が広まり、胸の中をいっぱいに満たした。

「深夜にエディス商会に潜んでいたアリエスという女、ジョイスが主人だといったアリエス・イライアスという男、そして我が王国の民に害をなしたジェイ・イライアスが同一人物だというのか」
「おそらく」

「なんと、いやらしい。なんと、唾棄すべき魔女。このような愚弄、許しがたい」
 エディスは、胸の中の淀んだものを吐き出すように、アリエスをさらに罵った。それでも、受けた屈辱は晴れなかった。

「エディス様。それ以上は…… 姫君が口にする言葉ではありません」
 ケントはエディスをなだめたが、気持ちは同じだった。仲間を傷つけた奴は、許さない。しかし、ケントの中にいる冷静なケントが、策謀の匂い感じ始めていた。

「……わかった。しかし、これで狙いは一つに絞られた。ケント・ゴドリー副隊長、フィン・モルダー小隊長。まずは、アリエスを捕らえて、わたしの前に連れてこい。処断はそのあと考える。よいな」

 エディスは、二人の騎士を残して、大股で歩いてその部屋を後にした。ゆっくりと四階の部屋に戻り、後ろ手に扉を閉める。

脳裏に、黒髪の少女の顔が浮かんでいた。扉に背を預けると、目を閉じた。
「アサナ。わたしにも、成すべきことが定まったぞ」 
(つづく)

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