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<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【10】
【10】朝菜
二十時三十分、夜のオフィス。
人は少ないが、無人ではない時間帯。完全に独りで残っていれば逆に疑われるが、これくらいであれば大丈夫だろう。
比留間が、机の上に置いて帰ったノートパソコンをさりげなく持って、空いている会議室にすべり込む。パソコンを起動すると、比留間のIDとパスワードでログインする。
これくらいは、すぐに調べられた。社内サーバ内で比留間に割り当てられたフォルダを開くと、パスワード入力画面になった。これも調べはついている。かなり面倒なパスワードを設定してある。
学生の割に、セキュリティの意識は高いようだが、まだ甘いな。すぐに、フォルダの中を見れられる状態になった。
社内コンペ用の資料を保存してあるサブフォルダを探すが、それらしい名前のものは無い。フォルダは百近くあり、一つ一つ中を確認するのは手間だ。目的のファイルが、さらに深い階層に保存されている可能性もある。
時計を見た。経過時間は五分弱。時間を掛け過ぎた。今日は撤退して、策を考えよう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
課内レビューの翌朝、朝菜と比留間そして鹿取は、フェニックスコープの03会議室で向き合っていた。
社内コンペの応募内容の検討会議だが、遠目でみると学生二人と教師が面談しているように見える。進路相談だろうか。
朝菜は、昨日ホムコと話し合ったことを要約して語った。
「高岡課長に言われたことも、理解できます。しかし、短期目標の達成感と癒しを融合させたと考えてもらっていいと思います」
「チートデイみたいなものかな? ダイエットしているときの」
鹿取は、身近な話題でたとえた。
「そうです。そうです」
「なんですか? それは」
朝菜はうなずいて同意を示したが、比留間は首をひねった。
「ダイエットをしていると、停滞する期間があって、やる気なくすのよね。それを打破するために、定期的にカロリーの高いもの、お肉とかケーキとかを沢山食べていい日を設定しておくの。ストレスの発散になるし、やる気も出る。程よく効果もあるみたい」
「うん、うん。ズルの日とか、反則の日という意味ですね」
鹿取の説明に、朝菜は共感している。
「へえ。実感こもってますね」
比留間は、そう言ってから後悔した。女性ふたりから、殺気を感じたからだ。特に朝菜から、男子は黙っておけという、無言の圧力が掛かってきた。
「べ、勉強になります」
比留間は、言い繕った。
朝菜は無表情で、説明を続ける。
「気を取りなおして…… 遊びの延長と思われるのは残念ですが、自分の成績の上昇とデジタルペットの成長を掛け合わせることは、受験勉強のモチベーション維持に役立つと考えます」
「なんだか、堅苦しいわね」
鹿取の好みは、噛み砕いた説明だ。
「成績が上がると、嬉しいことが待っている。そのために勉強を続ける。すると成績が上がって、嬉しいことが起こる。それをもう一度体験するために、勉強を続ける。こんな感じかしら」
「すごい。その通りです」
朝菜は、鹿取の理解の早さに驚いた。自分と、何が違うのだろう。
「遊びと言われれば、これは癒しですと反論すればいいのね」
「はい。勤務中でも、昼寝を推奨している会社もあります。癒しで、仕事の効率がアップするらしくて」
「いいわね。昼寝用の部屋を用意するよう、会社に申請してみようか」
ふたりは盛り上がった。朝菜の考えは、鹿取に通じたようだ。
「僕も実体験があります」
比留間は、愛犬モルとの交流を話した。
「これは、母から言われて気付いたのですが、一人っ子の僕は、学校から帰ると今日の出来事をモルに話していたんです。時には、成績が上がったことを自慢していました。話せる相手がいることが、嬉しかったんです」
比留間は、その場面を思い出していた。
「まあ、動物だから黙った聞いてくれますよね。時間が経って、僕の手をペロペロ舐めることしかできなかった子犬は、大きく成長しました。お手をできるようになったり、速く走れるようになったり。それと同時に僕も成長できたと感じるんです」
「いい話じゃない」
鹿取が感激して、大きな声を出した。朝菜も、いいね、とハンドサインを送った。
「その体験が、今回の提案システムに反映されてるの?」
「あまり意識してはなかったのですが、そうなのかもしれません」
比留間は、照れて笑った。朝菜がフォローするように尋ねる。
「ねえ。モルちゃんて、あのキャラクターに似てるのかな」
「あれは、タヌキでしょ」
すかさず、鹿取が言った。
「いや、もう。どっちでもいいです」
比留間は、あきらめて、そう言い放った。
しばらく雑談が続いた。仕切り直すように、朝菜がふたりの顔を見た。
「まだ、宿題が残っています。セキュリティ対策の件です」
「ああ、新宮さんの指摘ね。デジタルペットを無理に成長させたがる人、それこそチートな行為への対策だよね」
鹿取の言葉に、朝菜は頷いた。
ホムコの提案ではブロックチェーン技術を使って、データの改ざん防止ができるようだ。朝菜は、その後自分でも利用例を調べていた。
例えば、映画や音楽データの改ざんを防止して、著作権管理に利用するサービスが始まっている。朝菜たちが構築しようとしているシステムには、ぴったりだ。
朝菜は口を開いたが、比留間が早かった。
「ブロックチェーンを使いましょう」
「なるほど、そうなるよね」
鹿取が同意を示した。よし、それでいこう、とふたりの間では瞬時に決定がされた様子だ。
しかし、朝菜は面白くない。口を尖らせて黙っていると、比留間が気付いた。
「先輩はどうですか、気に入りませんか」
「いいよ、それで。私も、ブロックチェーンを考えてましたから」
不機嫌そうな顔は変わらない。比留間の頭が三秒ほど思考停止した。
「ははは」
急に鹿取が笑い始めた。椅子の背に反り返って、体を肩をゆらしている。
「あなた達、いいコンビね。面白過ぎるわ」
「そうですか?」
「そうよ。考えていることも、だいたい一致しているし。さすが、あさひるコンビだね」
鹿取が言うと、朝菜と比留間は、不思議そうに顔を見合わせた。
「なんですか、そのコンビ名は」
「高岡課長が言い始めたの。朝菜のあさと比留間のひるで、あさひるコンビだなって。あれよ、あれ。スポーツのダブルスのコンビ名をマスコミが付けるでしょ。嫌かな?」
「私は構いませんが」
「僕は、恥ずかしいです。コンビ名とか」
朝菜は平気そうだが、比留間は顔が赤くなっている。朝菜は、気を遣えとばかり、比留間の腕を指でつついた。
「まあ、課長のジョークだから、つき合ってあげて。そろそろ、一時間経つね。会議は、一時間以内ルールを守りましょう」
「はい。ありがとうございました」
朝菜は、軽く頭を下げた。
「次の進捗報告のタイミングは、決まってたよね」
「明日です。皆さんの空き時間に設定はすんでいます」
「わかった。この後も、よろしくね。それから、午後の授業も頑張って」
鹿取は、サッと席を立つと会議室から出て行った。朝菜はあこがれの目で見送った。
「やっぱり、素敵だわ鹿取さん。相談し甲斐があるなあ」
「あの、先輩。ちょっといいですか」
比留間が小声で言った。
「なに。どうしたの」
「放課後に、相談したいことがあります」
比留間は、いつになく真剣な目だ。
変だな、とは感じたが軽く返答した。
「今じゃ、駄目なの?」
「駄目です。ここでは」
「いいよ。じゃあ、十七時にロビーで待ち合わせしよう」
「わかりました」
比留間は頷いて席を立つと、逃げるように部屋を出て行った。朝菜はひとり残された。
比留間の不可解な行動は、解けないナゾナゾを考え続けているような気分にさせる。
「変だなあ。相談くらい、今すればいいじゃない」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝菜は、オフィスビルのロビーでソファに座っていた。フェニックスコープのオフィスが入っていて、付属高校の教室も同じビル内にあるので、その間の移動はとても楽だ。
十七時十分前。目の前を多くのサラリーマンが通り過ぎる。まだ終業時間には早いので、これから外出する者か、打合せを終えて帰る他社の社員かもしれない。
今のところ、朝菜の将来はこの人々の一員になる可能性が高い。そのためにフェニックスコープ付属高校を選んだとも言えるが、きっと就職活動の苦労が少ないかなという打算もあった。
見習いだが仕事をしながら、勉強もできるという特殊な環境に、惹かれたのかもしれない。
「すみません。先生に質問してたら、遅くなりました」
比留間が、小走りで現れた。朝菜が先にいると分かって、慌てたようだ。
「大丈夫。まだ十分前。誰に質問してたの」
「吉野先生です」
「化学の吉野先生か。化学反応式とか結構難しいよね。ああ、話があるんでしょ。ファミレスでいい?」
「いいえ。あっちにしましょう」
比留間が指定したのは駅ビルの中ではなく、オフィスビルからは少し離れた場所にあるカフェだった。朝菜は、なぜとは聞かず、ショルダーバックを肩に掛けてソファーから立ち上がった。
ビルを出て、ふたり並んで歩き始める。
今日は快晴で熱いくらいの気温だったが、日も傾いて過ごし易くなっていた。車道では夕方の渋滞が始まっている。
EVの割合が増えたからだろうか、渋滞していても車の騒音は、さほど気にならない。
朝菜は、話したいことがあった。
「今日の昼休みに、お昼寝を試してみたよ」
「へえ、どうでしたか。勉強の効率アップ」
比留間は、興味あるようだ。
「当然だけど、いつもより授業中に眠たくならなかった。これって、効率アップかな」
「なるほど、先に寝だめをする、ということですかね」
「ちょっと、違う気がする。でも、気分転換にはなったかな」
他にもネット配信が始まった音楽やドラマの話をしながら、十五分ほど歩いた。目的のカフェは、山小屋風のログハウスだ。
店中に入ると、駅ビルのレストランよりは、混んではいない。席に案内されると、朝菜はアイス・ラテ、比留間はコーヒーを注文した。
「それで、どんな相談なの」
早速、朝菜が尋ねる。気にしていたのだ。
「あのですね。昨日の夜になんですが…… ハッキングされました」
「はあ?」
宿題の事かキャラクターデザインの相談だろうと、勝手に想像していた朝菜には、想定外の相談だった。おかしな声をもらしてしまって、耳が赤くなるのが分かる。
「スパイドラマの見過ぎじゃないの」
「確かにスパイドラマは好きですが、これは事実です。証拠もあります」
「ハッキングって、パソコンやサーバから、無理やりデータを盗むアレでしょ」
「そうです。ドラマでは、ハッカーに世界平和が脅かされたりしますが、そこまでではないです。会社のサーバ内の僕のフォルダが覗き見された程度でした。でも、許可した覚えはないので、立派なハッキングです」
比留間は淡々と話した。怒っているが態度にでないタイプようだ。
「でも、自分のフォルダは、パスワードが無いと開かないよ。パスワードの設定してないの?」
「……順を追って説明します。昨日の夜は、先輩とファミレスで食事して、二十時には家に帰っていました。家で仕事はしていません」
比留間が、平然と状況を語る。
「パソコンは、オフィスに置いたままでした。今朝、出社してみると違和感があります。なんとなく、パソコンの置き場所が記憶と違ったんです」
「そんなこと、ふつう気付かないでしょ」
どれだけ神経質なんだ、と朝菜は思った。
「僕も半信半疑でした。でも実際にフォルダのログを調べると、二十時三十一分にアクセスされていました。僕のパソコンからです」
「誰かが、比留間君のパソコンを使った」
「はい。ログだと、アクセスしたパソコンの管理番号は僕のものでした」
「でも。比留間君のパソコンを起動するには、IDとパスワードがいる。IDは従業員番号だから、調べれば分かるけど、パスワードは無理でしょ。それとも、偶然なのか」
「僕のパスワードは、二十四桁です。偶然はありえません」
比留間が、さらりと言った凄いことに、朝菜が反応した。
「ちょっと、なにそれ。二十四桁のパスワードなんて、聞いたことない」
「普通だと思いますけど。友人で、もっと多い桁数の奴もいますよ」
「……まあ、いいや。問題はそれが、盗まれてるってことね。それは誰?」
「会社のネットワーク管理部門の社員なら調べられるでしょうね。でも、そんなことはしない。一番最初に疑われるからです。あえて、処罰される覚悟で学生社員のフォルダを覗いても、一文の得にもなりません」
比留間は首を横に振った。すると朝菜は、最初から感じていた違和感を口にした。
「そもそも、比留間君のフォルダを覗き見する理由が分からないよ。ああ、何か秘密の写真データでも隠してるんじゃないの」
「先輩。それは、不適切発言ですよ」
「ごめん。冗談。ははは」
朝菜は素直に謝った。
それにしても、ハッキングの目的が思いあたらな……
「えっ、まさか」
「そうです。先輩と僕に、最近起きた大きな変化があります。社内コンペへの参加です」
「社内の誰かが、私たちの提案を妨害しようとしてるってこと?」
「または、どういう内容なのか、偵察しにきたとか」
比留間はいくつか理由を考えたが、可能性が高いのは、その二つだった。
朝菜は右手で左の二の腕をさすった。店内は適温だが、寒気がした。比留間がオフィスから離れたカフェを指定したのも頷ける。できるだけ、フェニックスコープの社員のいない場所を選んだのだ。
「気味悪いね。いずれにしても、悪意しか感じないよ。それで、被害はどれくらいなの」
「被害はありません。僕のフォルダの中には、サブフォルダが九十八個ありますから、見当が付かなくて、どれも開けずにログアウトしています。侵入していた時間は、五分程度です」
「九十八個もフォルダを作って、何を入れているの」
朝菜は、あきれたように言った。
「ほとんどがダミーです。適当に作ったファイルを入れてます。九十八個のサブフォルダの中にも、十個づつサブフォルダがあるので、重要なファイルが入ったフォルダに行き当たるまでに、相当時間がかかるはずです」
「それ、迷宮だわ」
ここで、比留間は両手で軽く机を叩くと、朝菜を真っ直ぐ見た。
「ここまでは報告です。そして、これからが相談です。どうしても、僕はこのハッカーを見つけ出したい。協力してもらえませんか」
「それは構わないけど。パスワードが二十四桁の人の手伝いを私ができるかな。高岡課長に報告して、何か対策をとってもらうのじゃ駄目なの」
朝菜は困り顔で答えた。
「駄目です。これ関しては、社員は信用できません。先輩以外は」
「そ、そう。ありがとう」
「おそらく、今晩もう一度侵入してくると思います。それを監視して、誰なのかを特定します。なんなら、捕まえます」
比留間は、勢い込んで言った。
普段はクールな比留間の怒りが伝わってくる。つられて、朝菜が尋ねた。
「なんで、今晩だって思うの?」
「僕なら、そうするからです」
類は友を呼ぶ、ということ? 朝菜は、なんとなく理解した。
要するに、比留間にもハッカーの素養があって、相手の行動が読めるということなのだろう。と言うことは放っておくと、ひとりで何かやらかしそうで危ないな、とも感じた。
朝菜は、アイス・ラテを一口飲んだ。
「……うん、分かった。協力します。どうすれば、いい?」
「ありがとうございます。では、もう少しここで時間を潰してから、オフィスに戻ります。そうですね、十九時過ぎにします。会議室を予約してあるので、そこで張り込みです」
「比留間君にしては、アナログだね」
朝菜は、素直に疑問を口にした。すると、比留間は生徒に質問を受けた教師の様に、説明を始めた。
「ハッキングは、社外からでも可能です。そうすると、まずフェニックスコープのセキュリティを突破する必要があります。うちの会社は、その辺りのレベルは高いので、プロのハッカーでも手こずると思います」
何でわかるんだよ、朝菜は心の中でツッコんだ。
「その点、社内ネットワークからだと、僕のパスワードを調べるくらいで済みます。難点は、どのパソコンで何をしたかが、まる判りなことです。全てログが残ってますからね」
「自分のパソコンでハッキングしたらバレてしまう。だから、比留間君のパソコンを使ったのか」
「今日もパソコンを机に置いてきました。同じ時間帯を狙って、やってくると思います。だから張り込みをするんです」
説明終了とばかりに、比留間はもう一度、机を叩いた。
「だとすると、二十時半頃か。今から緊張するなあ。スパイドラマみたいだよ」
「スパイドラマなら、必ず正義が勝ちます。大丈夫ですよ」
比留間は、自信があることを示すように頷いた。
朝菜は椅子に、ぐったりと身を預けた。
正直に言うと、あまり気が進まなかった。自分向きの状況ではないからだ。でも、比留間が暴走したら、止めてあげるのが役目だ、とも思っている。
こんな時、エディスなら喜んで張り込みに同意するだろうな。荒事は得意そうだ。もう慣れてしまったが、昼寝をした際も鎧を付けた金髪の少女の活躍を見ている。
失敗もあったが、解明された謎もあった。
「ねえ。こちらにも力を貸して、剣姫」
朝菜は、目を閉じて小さくつぶやいた。
(つづく)
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