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<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【2】

【2】朝菜
 首無しの死体が、まぶたの裏側にちらついていた。
 石畳に流れた血の色が、妙にリアルだと感じる。
 まだ目覚めてないんだ、と思った。

 大きめの電子音が、狭いワンルームの部屋に響く。窓ガラスは半透明で、部屋の中は薄暗い。ベッドの上にお餅のような掛布団の山がある。

 その中から白い手が伸びて、サイドテーブルに置いたスマートフォンをつかんだ。そのまま、手は掛布団の中へ戻ってゆく。アラーム音が止んだ。

「しまった。目覚ましが、いつもの時間のままだ。今日は、もう少し遅くてもよかったのに」

 掛布団の中から、残念そうな声が聞こえた。アラームの時間設定を間違えたようだ。しばらくすると掛布団の山が崩れて、黄色いパジャマを着た若い女性が這い出してきた。

 掛布団に潜って寝ていたので、黒髪は乱れ放題だ。ベッドから降りて、フローリングの床に座る。

『おはようございます。朝菜』
 スマートスピーカから中性的な声が聞こえた。
「おはよう。ホムコ」
 顔をこすりながら、朝菜が答えた。
『今日は晴れです。日光を入れましょうか』
「うん。80%くらいにして」

 窓ガラスに内蔵された液晶シャッターが動いて透過率が変わり、部屋にゆっくりと朝の光が入ってきた。六畳の広さに、五段のチェスト、ローテーブル、大き目の本棚、PCデスクがなんとか収まっている。

「テレビつけて」
 朝菜が言うと、テレビ画面が明るくなった。天気予報、ニュース、バラエティ、ドラマ、映画、スポーツ、その他の番組と項目が表示される。

「ニュース見たい」
 オンデマンドで朝六時のニュース番組が始まった。朝菜のお気に入りのアナウンサーがキャスターを務める番組だ。トップニュースは、外国で起きたテロ事件の速報だ。呆けたようにテレビを見ていると、だんだん目が覚めてくる。
「よし、朝ごはんだ」

 自分に言い聞かせるように声を出すと、キッチンに立った。朝ごはんは、トーストと少しのおかずとコーヒーと決めている。朝からは、胃がお米を受け付けない体質だからだ。
 名前は朝からもりもりお米を食べそうなのに、と周りからよく言われる。必ずしも、名は体を表すとは限らない。

 食パンにチーズをのせてトースターに放り込むと、洗面台に向かう。乱れた髪形を見て躊躇した。今日は家でリモートワークの日だ。出勤しないから、このままでも誰にも会わない。しかし一瞬の後、顔が曇った。

「駄目だ、リモート会議がある。カメラオフだと、ちょっとなあ」
 仕方なく、ボブカットの黒髪をなんとか許せる程度に整えた。

 縄田朝菜は、株式会社フェニックスコープ付属高校に所属する学生社員だ。入学して3年目になる。中学校卒業までは地方で生活し、高校入学を期に都心でひとり暮らしをしている。数学と物理学が好きで、理系の科目で入試を突破したようなものだ。

 フェニックスコープは、システムエンジニアリング会社だが学校経営も行っている。午前中は配属されている部署で仕事を行い、午後は高校教育課程の授業を受ける。

 十六歳で入学し、二十歳で卒業すれば高校の卒業資格を得られ、そのままフェニックスコープへの就職も可能だ。特殊な形態だが、少子化時代では公立の学校が成り立たなくなり、文部科学省も認可を与えざるを得ない状況になっていた。

 会社では、十年前から働き方の改革を進めており、出社しなくても自宅や外出先からリモートワークを行うハイブリッド勤務が認められている。会議がある時も、パソコンがあればネット上で出席可能だ。

 ただし、相手の顔が見えていないと議論にならないと言う人もいて、リモート会議では極力パソコンのカメラをオンにすることが慣習になっている。カメラをオフにして、寝起きのまま会議に参加したら、上司から嫌味の一つも言われそうだ。

 キッチンに戻ると、チンとトースターが鳴った。パンが焼ける良い匂いが漂ってくる。おかずは、何にしようかと考えていると、ふと思い出すことがあった。
「なんか変な夢だったなあ」

 起きた時には頭の中がぼやけていたが、今は記憶が甦ってくる。中世の騎士が馬に乗って、駆けまわっていた。酔っ払いともめて、剣を振り回した。
そして……

「首無し死体は、いただけないな」
 食欲を無くして、おかずは無しにした。ローテーブルで、インスタントコーヒーとチーズトーストを食べる。ニュース番組は、昨日のスポーツの話題で盛り上がっていた。

 しかし、こんなにはっきりと夢の内容を覚えていることは、今まで無かった。どんなに良い夢でも、ベッドから降りるとたいがいは思い出せなくなっていた。

 それでも、ぼんやりと記憶に残る夢がないわけではない、何かに追いかけられたり、空を飛んだり、歯が抜ける夢は、その時の心理状態を反映していると雑誌で読んだことがある。

 今回の夢は、何に該当するだろうか。皿とコップを洗いながら考えていると、ホムコが話しかけてきた。
『チャットが送られてきました』

 ホムコは、朝菜がつけたニックネームだ。正式にはホーム・マネジメント・コンピュータだが、短くしてホムコと呼んでいる。ちゃんと登録されていて、ホムコと呼べば返事をしてくれる。

 周囲にはペットの様な名前を付けている人もいると聞くが、朝菜は満足していた。この部屋に最初から付属している機能で、スマートスピーカを介してコミュニケーションできる。インターネットにも接続しているから、検索も得意だ。ひとり暮らしには何かと便利にできている。

 朝菜は時計を見た。七時十分。誰だろう。スマホの画面をタップする。
「おっ、鹿取さんからだ」
 鹿取奈々は、朝菜の所属するSE3課の先輩だ。年は離れているが、友人のように接してくれる同性の貴重な存在だ。

<おはよう。今日のリモート会議のファシリテータよろしく。課長には言っておいたから。がんばって>

「鹿取さん、無茶言うなあ。私まだ三年目の学生社員ですよ」
 朝菜は口をとがらせた。ファシリテーションの社内研修を受けたと、鹿取に話したことが後悔される。

 ファシリテータは、会議の進行役だ。活発すぎる会議には抑制を掛けたり、沈鬱な会議では発言を促したりする。そして、最後には結論を出せるよう、まとめなければならない。

 まあ、結論が出ない会議も多いが、その時は次への課題を明らかにして、設定時間内に会議を終わらせるスキルが必要になる。

<私で大丈夫でしょうか。ハードル高くないですか>
 と返信しようとして、朝菜はためらった。まだまだ新人とはいえ、期待されているのかもしれない。先輩の指名を簡単に断っていいだろうか。

<わかりました。お任せください>
 待て待て、これでは自信過剰過ぎないかと思い、削除する。朝菜は、優柔不断な性格だった。

 子供の頃から変わらない。何かを決めようとすると、二つの対立する意見が頭の中にに湧き出して、迷って決められない。自分の一番嫌いなところだ。

 スマホを見ながら固まっていると、夢の中の王女が思い出された。王族の一員として、問題解決のために、自ら颯爽と夜の町を駆ける姿が頭に浮かんできた。ノブレス・オブリージュ。高貴なる者の義務。

「恰好いいな。でも早とちりなのは、私と一緒かも」
 同じ年頃の仕事を持つ女性として、エディスに親近感を抱いた。

<私でよければやってみます。ミスしたら助けて下さい>
 不安ではあったが、そう返信した。なんだか、疲れた。時計を見ると、返信ひとつで三十分近く経っている。貴重な朝の時間を損した気がした。

 まだ八時前だが、メールをチェックしておこうと、ローテーブルの上でノートパソコンを起動した。未読は二十三件。

 総務部からのお知らせが三件、朝菜宛ではないがCCで送られてきた仕事の連絡が十九件、会社の同期会のボーリング大会のお知らせが一件だ。昨日、朝菜がお昼に退社した以降に送られている。二十一時以降に発信されたものもあるようだ。

「みんな、遅くまで仕事してるなあ。そんなに、仕事好きなのかな。ねえ、ホムコ」
『統計的に、仕事が好きな社会人は45%だそうです』
 ホムコは、朝菜の愚痴にも律儀に返答してくれる。

「そうなの?結構多いな。私は55%の方だ」
『好きな仕事に就職できた人は6%です』

 社会人が皆、好きなことを仕事にできている訳ではない。朝菜もなんとなく配属されて、割り振られた役目をこなしているだけだ。だいいち、まだ高校生だ。

 仕事に命を懸けるなんてことは実感がわかない。自分で管理するプロジェクトを持てば、どうだろうか。まだ十年先だよね、それ位の感覚だ。

 全ての未読メールにざっと目を通すと、ボーリング大会のお知らせには出席の返信をした。同期との付き合いは大事にしている。

「さて、仕事やりますか」
 昨日途中まで書いた文書のファイルを表示した。課長の高岡から頼まれた調査の報告書だ。

 最近、フェニックスコープではAIを利用して教育業界への進出を狙っている。主に私立小中高校や進学塾がターゲットだ。市場動向や競合他社を簡単に調べておくよう指示されている。

 どうも社内で提案コンペが開催されると噂が流れていて、その関係かもしれなかった。と言っても、私は指示通りやるだけだからね、と朝菜は気楽に調べた内容を文章にしてゆく。

「ねえ、ホムコ。受験の時に試験問題の正確な予想ができたら、すごいかな」
『すごいですが、100%の予想は難しいでしょう』
「それはそうだ。人間はたまに突拍子もないものをつくる時があるから、予測が難しいかもね」
『それは発明か発見といわれるものです』
「発明的な試験問題はやめてほしいな。受験生が、かわいそうだ」

 くだらない話をしながら、報告書を書き上げた。最初からさっと一読すると、文書ファイルをメールで高岡課長へ送信した。
「よし、会議前に終わらせた。締切は守ったから、多少おかしくても文句言わせないぞ」

 朝菜は、両手を上げて伸びをした。時計を見ると九時十五分だ。リモート会議まで、あと四十五分。
「着替えないとまずいな。あー、パソコンの中で服着せてくれないかな。いかん、メイクもしてない」

 時間をかけずにメイクをしてから、上だけ高校の制服を着る。紺色のブレザータイプの制服だから、オフィスにいても目立たないようになっている。下はカメラに映らないから、黄色いパジャマのままだ。

 九時五十五分になり、パソコンのスケジュール表を表示する。今日の十時から十二時に表示されている「定例MTG」をクリックすると、リモート会議アプリが起動した。

先に入室していた二名の顔が見える。先輩の鹿取奈々と一年後輩の比留間賢人だ。
「おはようございます」
 朝菜は二人に挨拶した。
「おはよう」
 鹿取は、小さく手を振った。

 三十代前半の色白の女性だ。小顔でショートカットの髪が、よく似合っている。朝菜がうらやましいと思っているところだ。

「先輩、おはようございます」
 比留間が頭を下げた。高校二年生、十七歳。課の中では最年少だ。
 朝菜は弟の感覚で接している。鋭い意見を言う時もあれば、間の抜けた行動をすることもある、憎めない存在だ。

「比留間君、髪跳ねてるよ。寝ぐせ?」
 朝菜は、意地悪な声を出した。
「どこですか」
「右側。耳の上辺り。ああ、君からすれば、左側か」
「ええ?どっち」
 比留間は両手で髪をなでつけながら、画面からいなくなった。

「縄田さん、言っちゃったね」
「鹿取さんも気づいてたでしょ」
「なんだか、言いづらくて。ちょっと可愛かったし」
 鹿取が、小さく舌を出した。
「どんどん、言ってやってください。多分、朝起きてから一度も鏡を見てないと思いますよ」
 二人が笑いながら話していると、比留間が戻ってきた。なんとか、寝ぐせを直したようだ。

 パソコンの画面には、さらに二人の男性の顔が表示された。高岡龍二と新宮哲だ。

 高岡は朝菜の在籍するSE3課の課長だ。五十歳だが、見た目よりも若く見える。本人曰く、色々な努力の結果らしい。出世欲はないようで、業務を淡々とこなすところに、朝菜は好感を持っている。

 新宮は、二十代後半で朝菜のすぐ上の先輩だ。真面目に仕事をするが、口数が少なく、コミュニケーションが取りづらいので、朝菜は苦手にしている。プライベートがよく分からないのも、原因の一つだ。

「全員揃ってるな。出社しているのは私だけだが、みんなは自宅かな」
 高岡課長が言った。
「私は実家からです」
 鹿取が小さく手を上げた。

「土曜日に両親の顔を見に来ました。今日は、ここで仕事をして、今晩そちらに戻ります。客先を訪問する予定はありませんので、問題ありません」
「わかった。鹿取君に任せる。親孝行だな」
 高岡課長は頷いた。

「たまに帰らないと、うるさいからですよ。帰ったら、帰ったで愚痴を聞かされますけどね」
「親なんて、そんなものだよ。なってみないと分からないだろうけど」
 高岡課長は苦笑しながら、鹿取をなだめた。

「さて、始めようか。連絡事項は、総務部からメールが送られているので、よく読んでおいてほしい」

 SE3課の定例会議が始まった。週一回集まって、会社からの連絡や皆のスケジュール、仕事の進捗状況を確認する会議だ。出席形態は決まっておらず、自宅や出張先からのリモート参加も許されている。

 出席者は必ず発言のタイミングが回ってくるので、いつも朝菜は緊張してしまう。顧客との打合せでも、ほとんど話したことはないので、練習だと思って臨んでいるが、なかなか慣れないものだ。

「確認事項は終わりだな。まだ、話したい人はいるか…… 無ければ、今日はもう少しつき合ってほしい」
 全員の報告が終わってから、高岡課長が言った。

 あれだな、と朝菜は思った。ファシリテータも初めてなので、あらためて緊張が高まる。心臓が止まりそうだ。

「当社の新規事業として、教育関連業界へ参入しようとしていることは、皆知ってると思う。AIを使って新しいサービスを展開してきた今までの経験を生かそうという訳だ。これを見てほしい」
 パソコン画面に資料が表示された。今朝、朝菜が作った資料だ。ここで使うのか。

「縄田君に作成してもらった資料だ。少子化だというのに、業界規模は毎年過去最高を更新しているし、まだまだ拡大しそうだ。上層部もいい所へ目を付けたと思う」
 高岡課長が、解説する。

「だが、今一つアイデアに恵まれていない。発想が古いと考えているらしい。そこで、社内コンペを開催してアイデアを募集することになった」
 噂は正しかったようだ。でも誰が応募するのかな、と朝菜は想像した。

 SE1課は官公庁向けが得意だから、ちょっと堅め。SE2課はスポーツ業界に詳しい人がいたから、柔軟な発想ができるかも。うちの課は・・・・・・

「そこで、SE3課もエントリーをします。と言うか、部長から全ての課にエントリーするよう指示があった。ひとまず、心構えはしておいてほしい」

 高岡課長、たいへんだな。朝菜は、他人事のように思った。そして、自分にはどんな協力ができるか考えた。資料まとめぐらいかな。

「そこで、相談だが。リーダーを決めたいと思う」
 朝菜は、パソコンの画面の高岡と目が合った気がした。

「縄田君、やってくれないかな。社内コンペのリーダー」
「えっ」
 思わず声が出た。
 口が開いたままになる。ファシリテーターじゃなかったの? 朝菜の心臓が三秒ほど止まった。
(つづく)

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