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味読の魔力

「1年間で100冊読破しました」

そんな投稿をSNSやネットで見かける。
1冊の本を読んだことで
そんな簡単に人生は変わらない。

「本を読むこと」が目的になってしまって、
その先をどうしたいのかわからなくなって
しまっている人も多い。

速読は本当に必要か



冒頭の例ではないが、
本をたくさん読むことが
目的化していて、そのことで
自己満足している人がいるのではないか。

かつての私もそうだった。

きっと若い人の中には多いの
ではないだろうか。

「コスパ」と言う言葉が
使われるようになってから、
「速読」や「瞬読」といった言葉が
もてはやされるようになっていると
感じている。


情報や知識をインプットする。
このような目的であれば、速読は
大きな武器になるのかもしれない。
ビジネス書をたくさん読む人には
こういったスキルが魅力的に映るのであろう。気持ちはわかる。

読書の目的は人それぞれだ。
自己研鑽、資格試験の勉強、
娯楽としての読書もあるだろう。

私は常に思っている。
読書を継続して、ポジティブな
感情や成長につながる実感を得ていたいと。

もちろんよりたくさんの方に出会いたいし、
大量のほうに触れることで良書に
出会える可能性は当然高くなる。

だが自分はコスパを重視した速読は苦手だ。

今目の前に出会っている本から
「成長につながる何か」と対話しながら
身に付けたいと思っているからだ。


それを味読と呼んでいる。

意味はゆっくり味わって、
その文章と対話しながら読むと
いうことになるだろうか。

とにかく味わって読む。
自分が良書だと思った本は
このように向き合っている。

なぜ味わって読むのか。

理由はシンプルだ。

人は悲しいほど忘れる
生き物ということが
関係している。

受験生の時代に、エビングハウスの
忘却曲線を学んで愕然とした。

100%覚えたとしても、20分経過すると
その約40%は忘れてしまう。

1日経過するとその約75%、1ヵ月経過すると約80%は忘れてしまう。

知識や技術だけでなく、
大切な人との思い出までも
忘れ去っていくものではないか。

まだ10代だった自分はこの理論を知り、
勝手に感傷的になったものだ。


ところが今はいちど読んだ本を
忘れてもいいと思っている。
それは味読の楽しみがあるからだ。


若い時に読んでいる小説。

当時は少し背伸びをしたつもりで
読んだ気になっていた。

ところが15年以上経って再読してみると、
物語が新鮮に見えるだけでなく
15年前ではわからなかった場面や
作者の言葉選びの意図などがわかったりする。

不思議だ。

本に掲載されている文字は、
改訂版などを手に取らない限りは
絶対に変わらない。

しかし年月を経て読者は歳をとり、
その間にさまざまな考えや価値観に触れ、
変化している。

そのためか、はじめて読んだときの
印象とガラッと変わってしまうような本が
次々に現れることがある。

夏目漱石の「こころ」
国語の教科書で出会った時は
「ふーん、なるほどね」と分かった
つもりになっていたのが、
今改めて読み返してみると
「そうか、そうだったのか、
だから言葉を使っているのか」と
納得できたことがあった。


じっくり再び本と
向き合う機会を得ることで、
学びの機会は十分に得られる。
それが味読の魔力と言っていいだろう。

それは速読を繰り返し、
大量に読書するよりも
自分には幸せな向き合い方だと
思っている。

速読、多読も大いに結構だと思う。
読書法の本が世の中に相変わらず
溢れているところを見ると、
まだまだ読み方に悩んでいる人が
多いようだ。

参考までに筆者が参考になった
読書法の本を紹介しよう。

読むことが目的に
なっての自己満足は避けたい
と思う。

大学生のときに、背伸びし過ぎて
難しい学術本を身銭を払って
買っただけで満足してしまう
ようなことはしたくない。

いまは一度買った本も簡単にネットで
売買できるので、損をするということ
もない。

まずは味読できる素晴らしい本との
出会いを求めて、近所の本屋に
足を運ぶことにしよう。

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