見出し画像

退屈から回避して「生きた」時間を手にしよう

ここならスケジュール空いているよ。

大学のゼミの集まりの幹事を
やっていたときのこと。
同じ幹事を務めることになったメンバーと
ドトールで打ち合わせを
しようとしていたときのことだ。

手帳を開けると彼の手帳はスケジュールで
埋め尽くされていた。

それは私のような年2回の
大学の学費の納入期に追われ、
逆算されたアルバイトで
埋め尽くされた苦学生のスケジュールとは
まったく性質が異なるものである。

サークル活動やコンパに彼女との旅行。
まさにキャンパスライフを
謳歌するスケジュールである。

いわゆる「イケている」グループに
所属していた彼は、私に候補日時を
いくつか伝えると
誇らしげな表情でその手帳を閉じた。

そのときは主体的に楽しい時間を過ごしている
イケている彼と自分で最終的に決めた東京はいえ、苦学な道のうえ、労働に追われる自分の姿の
ギャップに唖然としたものだ。

自分で主体的に楽しい時間を選択して
いる彼をうらやましく思ったものである。

無自覚な時間の使い方をしていないか

金曜日の夕方は多くのサラリーマン
にとって、休日を控えて
ワクワクする時間だろう。

しかしながら筆者は戸惑うことがたまにある。
理由は単純。
やることがないからだ。
退屈に襲われるという不安。

小学校低学年の夏休みのような
何をしたらいいのかわからない不安。
もちろん大好きなライティングや
サウナに時間を費やすという幸せな趣味がある。
ここに没頭している時間は非常に有意義な時間を
過ごしている実感がある。

ただ子供がいるわけではないので、
家庭の時間に大幅な時間を割かれるわけではなく
可処分時間が同世代より長いことが影響しているかもしれない。

テレビ、映画、本、ネット、スポーツ中継。
これらはいずれも我々が退屈をしのぐために受け身で費やしているものが
含まれていないだろうか。
民放のテレビや動画サイトなど大半が
無料で視聴できるものだ。

たとえば、
今日は大リーグの大谷選手が出場する試合があるから、試合中継を見よう。

このように、自分が見たいコンテンツを主体的に選択して「生きた時間」を過ごすのはいい

それに対して、何もしない時間が
発生するのを恐れて時間を潰すためだけに
テレビのチャンネルを回したり、
動画サイトをスクロールして、
受け身で過ごしてしまっているのは、
「死んだ時間」を過ごしてしまっていることに

ならないだろうか。

もちろん休日に
ダラダラと過ごしてたまった平日の
疲れを癒すことを否定しているわけではない。
それを自覚して過ごしているかどうか
が大きなポイントである。

ダラダラして、結局さらに疲れだけが
たまってしまったということでは 
本末転倒だ。

「生きた時間」を過ごすためには、
学生だろうが、会社だろうが、自営だろうが
自分でコントロールできる時間に
全力を尽くすほかはない。

限られた時間で最大限の
パフォーマンスを発揮するために
退屈な時間を回避して、
「生きた時間」を過ごしていこう。


この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,274件

#仕事について話そう

110,014件

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。 みなさんが生き生き健康に働けるためのメッセージを発信していきます。 ぜひサポート、よろしくお願いします。