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その指先にあった「絆」が、みんなを強くする

何度触れても、涙が出てくる。

やる気が満ち溢れてくる。
そんな存在はあるだろうか。

音楽、映画、小説、絵画、
もしくは大切な人に会うことかもしれない。
何でもいい。

なにか落ち込んだときに、一瞬で
奮い立たせるトリガーのようなもの


これを持っていると、
人は強く生きられる。

苦しくなったときに取り出して、
前を向く力を再生する。

自分はそういうものだと信じている。

みんなの気持ちが
ひとつになったゴール

「カズは・・・やはり・・・カズでした」

興奮を隠しきれないその実況の声と
スタジアムの歓声で、
自分の唇が震えているのが分かった。

その瞬間は、試合の終盤にやってきた。

ショートバウンドを鮮やかに
すくい上げたボールは
キーパーの頭上を超え、
ゴールに吸い込まれていった。

あっという間に。

そして、
全盛期を彷彿とさせる
パフォーマンスである、カズダンス。

最後に指し示した指先が、
サポーターが掲げた「絆」と
書かれた旗にテレビごしに
きれいにはまっているように、
私には見えた。

試合後に相手チームの
監督だったザッケローニ氏が
残した言葉がこのゴールの感動を
最もよく表している。

私はゴールを決められるのは大嫌いだが、
私のキャリアのなかで相手に決められて
嬉しかったのは、今日が初めてだ。



2011年3月29日。

東日本大震災の発生から、
わずか18日後に行われた
復興支援チャリティーマッチ。

この記事で書きたいのは、
その試合でいち選手がゴールを決めた。
それだけである。

ただ数え切れないくらい
の「注釈」をつけたいことを
許してほしい。

三浦知良選手、当時44歳。
この当時の年齢で現役を続けている
ことだけでも、驚異的なこと。

自身の息子でもおかしくない
年齢の選手と同じように
ピッチで躍動する姿は、
多くの人の胸を打つ。

スーパースターとしてのストーリー

なぜあのゴールが、
10年がたとうとしている
今も魅了するのか。
多くの人を勇気づけるのか。

それはカズ選手(ここからはそうリスペクトを込めて呼ばせていただく)の
スーパースターとしての「宿命」
を生きてきた物語
にある。

わずか15歳で単身でブラジルに渡り、
プロとしてのキャリアをスタートし
常に日本サッカー界を牽引してきた
ひとりである。
それは、野球少年だった私の
ように、サッカーに直接触れ合う
機会もなかった人達の多くも
その後ろ姿に魅了され続けている。

そしてスターとして、
スポットライトを浴びるときに
その影さえも強烈に残している。

あと一步でワールドカップ
出場を逃した、「ドーハの悲劇」

その次のワールドカップでは、
最後の最後で代表メンバーから漏れる
という経験をしている。

当時でさえも、選手としての
ピークは過ぎているという見かたを
するファンも少なくなかった。

そんな中、次のワールドカップを
目指すといった発言をする映像を見て、
心の底からワクワクした。

幾多の困難を乗り越えてきた、
過去を見てきた我々は、

「きっとやってくれる」

「何か奇跡を起こしてくれるんじゃないか」


そんな気持ちを抱かずにはいられない。


後にも先にもこんな気持ちに
させてくれるアスリートはこの選手だけだ。

そして多くの人が今もなおカズ選手の
スーパースターとしての物語に
寄り添ってきているのだろう。

あのゴールはそんな物語の大きな、
大きな1ページになっていると思っている。

胸を熱くするものは大事に
しまっておこう

気持ちが沈んでいるとき、
何かの本番前に気合いを入れたいとき、
自分を奮い立たせたいとき、

何かトリガーを持っておく。
すぐに取り出せるようにしておく。

自分にはあの試合のゴールシーンが
トリガーになっている。
ただそのワンシーンだけを
切り取った、パフォーマンスではない
気がいましている。

スーパースターとして、周囲の期待に
応え続ける宿命。
その物語の一ページとしての試合で
あり、あのゴールに前に進まざるを
えない推進力を受け取るのだ。

カズダンスの後の指先の「絆」

あのゴールをみた全ての人を
時と場所を超えて、いまもなお
勇気づけている。

あなたの記憶をとてつもなく惹きつけて、
エネルギーを生み出すものが必ずある。

ちょっと目をこらせば、すぐに見つかる
はずだ。

ぜひあなたに合うトリガーを
見つけてほしい。

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