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THE中間管理職、40歳、我々はどこへ向かうのか

「人は仕事をしていないと
不幸になってしまう」

経済学者ケインズの言葉だそうだ。

社会人になりたての頃。

土日の休日すら確保されない中で、
追い込まれたとき。

「もう働きたくない」
会社にも誰にも縛られることなく、
自分自身の選択で生きていきたい。
そんなことができたなら。
そう何度思ったかはわからない。

好きを仕事にしよう
若いときだったら、
そんなどっかの転職サイトのフレーズに
も惑わされて、「自分探し」とやら
をしてもよかったのかもしれない。

逃げたいという気持ちと
怖い気持ちが混在して
結局わたしは働き続けた。
目の前の仕事に没頭することで、
その恐怖を和げていた。

退屈という名の恐怖

その恐怖とは何か。
以前それを突き詰めて
考えていたときだ。

高校の倫理の授業を
思い出した。
いつもクセのある喋り方を
する先生がいつものように
黒板に書き殴った場面を
鮮明に覚えている。

人間は自由という刑に処されている
サルトル

自由には必ず責任が伴う。
自由に選択ができるからこそ、
その責任は自分で取らなければならない。

うまくいかなかったら自己責任。
このあたり前すぎる現実に
急に怖くなった。

何とかがむしゃらに社会人を
やってきて、よくある中間管理職
とやらになって。

決して贅沢できるわけじゃないけど、
それなりの生活ができるようになって。
ふつふつと湧きあがる焦燥感と
失望感が混じり合ったもの。
決してメンタルがやられた鬱っぽい
感じではない。

ただあの時と同じだ。
退屈と選択しなければ
いけない恐怖。

最近は休みの日がこわくなる。
楽しみですらあまりないのかもしれない。
子どももいない無趣味のおっさんの
休日は、社会には必要と
されていないのではないか。

そんな気持ちを振るい払いたくて、
サウナに行っているのもある。

やりがい、生きている実感。
それがなくても淡々と仕事をして
日々を生きていく。
そんなあり方を最近は模索しています。

どこへ向かうのかはわからなくても、
僕らはどこかへは必ず行くのだから。


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