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課金を「悪」とする風潮

 0:始まり

 スマホでインストールできるゲームには無料で長く遊べるものが数多く存在する。しかしそのゲームのほぼ全てにおいて、強くなるためには自身の「運」が要求される。ガチャシステムである。
 だが、そんな運を求められるソーシャルゲームでも、ある方法を使うことで、誰でもすぐに、簡単に強くなれる方法がある。

課金である。

ガチャとはいわば確率だ。強いキャラはガチャを回し続ければいつかは出る。しかし回さなければ一生出ない。だが出るまで回そうというにも無課金では限度があるというもの。そこで課金の登場なのだ。

1:課金で強くなれる理由を知ろう

 そもそも課金とは、現金を使ってゲーム内のアイテムを購入することを言う。なので課金を用いてガチャを回すアイテムを大量に購入することで、プレイヤーはたくさんガチャが回せるし、金を払うプレイヤーによって運営側にも利益が出るというシステムになっている、のだと思う。詳しいことはわからない。
 
 そんな課金の何が良いか、それは先に述べたように大量にガチャが回せるということだ。多くのプレイヤーがそれを目的に課金をする。ソーシャルゲームはガチャを回せば回した分だけ強くなれるため、手っ取り早く強くなるには課金をしてしまえばいいのである。
 
 また、課金の恩恵は大量にガチャを回せることだけではない。課金をしたプレイヤーにはゲームを有利に進められるように様々な特典が与えられることもあれば、期間限定で排出されるキャラやモンスターを確実に入手できる仕様のガチャなども回せたりする。海老で鯛だけでなく鮪まで釣れてしまうような感覚である。課金は偉大である。

2:そんな課金ですが、

 多くの無課金プレイヤーから非難の声が続出する。

『課金プレイヤーを優遇するな!』
『無料でいいアイテムを配れ!』
『無課金プレイヤーにもっと優しくしろ!』

こんなコメントをソーシャルゲームが運営するSNSで見かける。しかしこれは横暴というほかない。子供がおもちゃを見て欲しい欲しいと駄々をこねているようなものだ。課金者が優遇されることは当然だということに気付いていない。
大前提として、金を払っているプレイヤーとそうでないプレイヤーとの待遇を同じにしていいはずがない。

なぜなら課金者はお金払って無料のゲームをやっているのだから。

4:考えてみてほしい

 スマホで無料ゲームが普及する前、我々はどうやってゲームをしていただろう。お金を払って、ソフトを購入してプレイしていたはずだ。
昔はお金を払ってゲームをプレイすることが当たり前だったのだ。無料でやれてることが普通と化してきているが、正直それは普通じゃない。スマホゲームの台頭により、ゲームはお金を払って遊ぶもの、という感性が消えかけてしまっているのは由々しき事態である。無料のスマホゲームには、据え置き型ゲーム機のソフト一本分買うくらいの気持ちで向き合うべきである。

5:強くなるためだけの課金じゃない。

 課金は悪でもなんでもない。ゲームをプレイする上での紳士的行為とも呼べるものだ。それに、多くの課金者は決して強くなるためだけに課金をしてるのではなく、「ここまでのクオリティのゲームを無料でプレイさせてくれてありがとう、ほんの気持ちだけどこのお金を運営の資金にしてください」という、運営に対する感謝を表すために課金をしている者もいるはずだ。
 課金とはゲームに対する愛情表現に他ならない。強くなるためにという気持ちの前に、ゲームが好きという根本的な感情がなければ課金という考えには至らないはずだ。無課金者は課金者を崇め奉れというわけではないが、「お金を払いたいと思うくらいこのゲームが好きなのか」程度は思ってやるべきだし、お金を払ってもいないのに運営に文句を言うのはやめるべきだ。文句を言うなら金払えって運営だって思ってる。

6:まとめ

 「課金」はゲームを愛しているからこそ芽生える考えであり、もっと長くゲームをプレイしたいと願うプレイヤーの気持ちそのものである。その願いを聞き入れた運営がゲームをより楽しんでもらえるよう課金者に好待遇を与えるのは当然なのだ。無課金者は、運営に何を与えているのだろうか。無料のゲームを無料で楽しんでいるだけなのではないだろうか。ゲームがより良い方向に進むのは運営だけでなく課金者も貢献しているということを、頭の片隅にでも置いておいてほしい。愛を持ってゲームに課金をしたプレイヤーが無条件で叩かれるのは辛すぎる。

 

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