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技能実習生が育つベトナムの胡椒農園

2000年以降から力を入れ始めたにも関わらず、世界一の胡椒の生産国となったベトナム。私は今年のスパイスの旅の前半戦最後に、ベトナム胡椒のメジャーな産地の一つ、ダクラク省の省都、バンメトートに向かいました。

ダクラク省はベトナムの中部高原に位置し、カンボジアと国境を接しています。王朝時代からフランス植民地時代を通じて、エデ族をはじめとした山岳民族の地だったそうですが、ベトナム戦争終結後にマジョリティのキン族が移住し、今でも時折民族間の衝突が起こるのだそうです。実際に、私が訪問する少し前に暴動が起こり、入国管理局に事前の滞在申請が必要になったので、バンメトートに降り立った時には、少し緊張が走りました。

ホーチミンから夜行バスで8時間程度、土曜日の朝6時にも関わらず、辺りの屋台や飲食店には既にお客さんがちらほら。外食文化のベトナムの朝は早いのです。暴動の件で少し気を張っていたのですが、お店の人も地元の人も和やかで、「DIA NHO」という、お米の生地でシーズニングを挟む、ひと手間かかった麺料理。たっぷりのハーブでいただくと、気持ちもほぐれます。

「DIA NHO」。ベトナム料理はひと手間かけたものが多いと感じます。

バンメトートにやってきたのは、Farmers Union Venture Co.,Ltd.(FUV)に伺うため。ベトナムにおける安全・安心な農業の普及と、中部高原の地域資源を商品化することで、誰もが主役になれるビジネスを目指すFUVは、ダクラク省の特産品であるコショウやカカオなどの生産管理品・輸出を行っています。今回、ベトナム歴11年で、2015年からFUVに参画したゼネラルマネージャーの髙埜さんにご案内いただけることになりました。

「コンニチハ〜!」

朝10時にFUVの工場に着くと、休憩中で座っていたベトナム人のスタッフたちが、日本語の挨拶で出迎えてくれました。

「ここには外国人技能実習生として日本で働いた経験があるスタッフもいるんです。送り出しもしていて、来月から日本で技能実習生として働くスタッフも3人います。彼らは明日が最終出勤日なんで、ちょうど今夜はパーティーをするんですよ。なぁ?」

この日の終礼の様子。日本語で業務報告をする練習をしています。

髙埜さんがそう言うと、スタッフたち楽しみな様子で笑っています。農家の高齢化に対して新規就農者が増えないという日本の農業の課題を解決するために、FUVは研修制度を開始しました。農家の高齢化が進む日本。実は外国人技能実習生がいなければ、食料の安定供給は成り立たない状況なのです。その一方で、暴言や暴行などといった受け入れ側の問題や、失踪といった実習生側の問題など、ニュースが絶えません。

そこで、この状況を改善するために、FUVはクリーンな技能実習制度構築を目指して、事業を推進しています。現在スタッフは11人で(みんなキン族出身)、主な取引先が日本の生協。商品の輸出だけでなく、技能実習生の送り先も生協と連携をしています。

「スパイスやハーブは乾季がメインです。今は雨季なんで、胡椒は収穫も加工も終わっていて、フルーツの生産・収穫に注力する時期ですね。あそこに沢山並んでいるのは、カンピョウの実なんですけど、あれは種を輸出するために作っています。スイカは種を植えて育てることはまずなくて、カンピョウの台木に接木をして育てるんですね。糖分が多いものを栽培するときには、タフな種をベースに栽培すると、病気に強くなるんです。今年はエルニーニョもあって雨季に入るのが遅かったんですが、気候変動の影響は大きくて、気温が1度が上がるだけで病気が増えてしまいます。胡椒やコーヒーが主力商品ですが、次に何を植えるか、常に考えていなきゃいけない。」

休憩中だったスタッフたちは持ち場に戻り、カンピョウの種の加工をはじめていました。とても和気あいあいと、丁寧に作業をしています。

カンピョウの種を洗浄しているところ。こぼれたものや、バケツに付いた種も無駄にせず、丁寧に作業しています。

「FUVはミカンの有機栽培で有名な「無茶々園」の創業者である片山が立ち上げました。最初は野菜と豆の少量多品種の有機農業をしていたのですが、赤字経営が続いていたんですね。その頃僕は自分でトマト栽培の事業を経営していたのですが、農薬の使いすぎで土が死んでしまったんです。そこで土のことを一から学びたいと、ここに来た。でも最初は経営の立て直しが優先で、それどころではなかったんですが(笑)。赤字脱出のために、胡椒やコーヒーなどの輸出をはじめて、ようやく事業が軌道に乗り始めました。分かったことは、全ての作物を100%有機栽培でビジネスをすると、潰れてしまうということ。今塩蔵の胡椒は無農薬で栽培していますが、スタッフたちのためにも、まずはちゃんと利益を出して、彼らや地域に還元することが大事だと思うんです。」

髙埜さんは工場の敷地内にある農園に、胡椒などの作物を見せてくれました。その中に一つ、枯れてしまった胡椒の樹が。原因は線虫。胡椒が死んでしまう1番の原因なのだそうです。また、肥料が足りなかったり、日差しが強すぎる場合も枯れてしまうのだとか。

コーヒーやターメリックなども同じ敷地に植えています。ターメリックは勝手にどんどん増えてしまうので、輸出品として商品化を検討中。

ランチの後、輸出する胡椒を直接取引して買い付けをしているというFUVの近くのエデ族の村に行きました。実は現在、髙埜さんも現在この村の住民で、バイク走っていると「もっちゃん!」と、彼のあだ名を呼ぶ住民の声が至るところから聞こえてきます。そして、彼が「お母さん」と呼んで親しむ、胡椒農家のホディンニエさんのお宅に到着しました。彼女の娘さんもFUVを通じて福岡に技能実習生として働いています。美味しいベトナムコーヒーをいただきながら、私が少し前にインドネシアにいたことや、そこで食べた料理や、学んだ言葉について話すと、共通点が沢山あることがわかりました。キリスト教徒で、マジョリティのキン族の人々とは異なる言語や文化を持つエデ族。そのルーツは、現在のインドネシアの一部と繋がっているのかもしれません。

「彼らは普段、自分たちのアイデンティティについて語らないんです。今でも民族間の衝突が続いているので、政府の目が厳しいということもあります。でも何より、他の民族と同様に見てほしいという思いを感じます。彼らは伝統的を重んじて年中行事をしているので、いわゆるサラリーマンのような働き方はできないんです。だから金銭的に苦しい家庭も少なくない。でも、今はスマートフォンも使うし情報は入ってくるでしょ。都市部や他の民族の人たちの暮らしとのギャップを知っていて、劣等感を感じている人も多いんです。」

そんな話をしつつ、髙埜さんはホディンニエさんと家族の話をしたり、笑いながら肩をさすったり、親子のように会話をしています。彼は村に住み始めたことで、エデ族寄りのベトナム語が染み付いてしまったそうで、そんなこともあり、村人から親しまれているのです。

「お母さん」ことホディンニエさんのお宅にて。美味しいベトナムコーヒーとセットのお茶をいただきました。

甘苦いベトナムコーヒーを味わった後、一路ホディンニエさんの自宅から近い胡椒のあるジャングルへ。その道は、巨大なバナナの樹が倒れていたり、雨の後赤土がぬかるんでいたりと、決して走りやすいものではありません。それを、地元の人たちで協力しながら手入れをしているのだそうです。この日お母さんは胡椒の苗木を植えるということで、その様子を見学させていただきました。手際よく、周囲の伸びすぎた木の枝や蔓をカットして、土を掘り起こし支柱となる気の横に苗を植えます。

「この村から胡椒の調達を選んだ理由は、自分が住んでいることもありますが、水脈があり作付けしたものがよく育つんです。地力が強いというか。でも、ほとんどの農家が効率が良くなくて。それを自分たちが支援することが出来ればいいなと考えています。」

後を追ってきたお母さんが、胡椒の苗と農具を持って登場。胡椒の収穫の際は高くて華奢な梯子を軽々と登っていくのだとか。かっこいい!

森林伐採や農薬の過剰利用、少数民族の生活水準の違いなど、様々な課題があるベトナムの農業。今髙埜さんは、彼らが森と共に生きる叡智を失わずして次の世代につなぐ「フードフォレスト化」をミッションとして取り組んでいます。胡椒だけでなく、一年を通して森の恵みで収入を得られるアグリフォレストリーを目指して、試行錯誤する日々。その中心には常に「人」がいました。同じベトナム人でも、バックグラウンドによって「働きがい」や「理想の働き方」が異なります。それを理解することが、パフォーマンスの向上や、ひいてはビジネスの成長につながると、髙埜さんは言います。

このスパイスの旅を通じて、日本とベトナムの農業の課題を解決するヒントとリソースが、胡椒の実る、このバンメトートという地で育まれていることを知りました。

日本に発つ技能実習生が、明日最終出勤日ということで、壮行会をしているところ。嬉しいことに私も参加させていただきました!向かいの女の子は「日本で働くのが楽しみ」とも。







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