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憧れのマトリョーシカ

私は、ロシアに行ったことがない。

それでも、私の幼少期における、一番贅沢な外食の記憶はロシア料理だ。

福岡の大名に「ツンドラ」という、ロシア料理のレストランがある。博多に家族で買い物に行ったとき、小学校に入学するとき等、何か特別なことがあったときに両親が連れて行ってくれた、思い出のレストランである。

当時、ツンドラ、という言葉の意味が何なのか分からなかったが、何だか言葉の響きが氷に閉ざされた乾燥した雰囲気を持つことに気付いていた。言葉とは、すごい。また、ツンドラ、というお店の持つ雰囲気自体が、レンガ作りで、暖炉があって、厨房は暖かくて、石釜があって…外は寒いけれど、中は暖かいような感じで、不思議なところに迷いこんだ、物語の主人公になった気がしたものだった。

当時、私がイメージしていたロシアとは、小学生の頃に図書館で借りて、初めて読んだ「ゴースト・ドラム」というファンタジーそのものだった。

ゴースト・ドラムとは、スーザン・プライスというイギリスの作家によって書かれた物語で、金原瑞人さんにより、翻訳されている。

内容は、冬に閉ざされた国の奴隷に生まれたチンギスが、魔法使いに育てられ、無償の愛と賢さを持った魔法使いへと成長する。チンギスが残虐な皇帝と女帝から、多くの人々の命を救おうと自ら死へと突き進みつつ、奮闘するお話である。

当時主人公が殺されてしまうということは、まだ小さかった私は嫌でたまらなかったが、何故かこのファンタジーだけは死を穢らわしいものとは思えなかった。残虐な人は残虐なままで、国はそう簡単には変えることができないということを子どもながらに深く感じ取った。また、金原瑞人さんの翻訳がまた素晴らしいのもあって、この物語の情景がありありと浮かび、この物語で目に見えないものや自然も言葉を持つことを知った。そして、生とは単に身体を持つか持たないかの違いであり、その先も死者の魂は生き続けていて、死者になったからといって、物語は終わらない。

何故たくさんのことを知っていた方がいいのか、何故人のために尽くした方がいいのか、何故悪いことをしてはならないのか、それは、魂はずっと続くからであり、魂の成長はその先の生に繋がっていくからだ、とゴースト・ドラムで生、つまり生き方に対する希望や指針を与えられたように思う。

本書の続刊は今年2月に出版された。続刊の出版は訳者の金原瑞人さん自身が熱望されていた。しかしなかなか出版されず、長い年月を経てようやく出版された。

またそれを読んで、改めて紹介したいがゴースト・ドラムは是非全てのファンタジー好きの方に読んで頂きたい一冊である。

さて、ツンドラの話に戻る。ツンドラは、私にとって夢の国であり、食べ物も冬に閉ざされた国ならではの、保存食やオーブンで温かく焼き上げたものが多い。

ビーツという蕪でスープの色が赤く染まったボルシチ、肉と春雨と玉ねぎが中にいっぱいつまったピロシキ、キノコとチキンのクリームスープの壺をパンで包んだグリーバーミ(パンを破りながら食べるので、パンパン潰しと呼んでいた)、イチゴジャムを紅茶に入れて飲むロシアンティー。どれも心と身体が温まる逸品であった。

それから特に記憶に残っているのが、人形の中に人形が入っているマトリョーシカで、ガラスケースに入った赤い頭巾を被った女の子のそれは、本当に魔法の国のように見えたものであった。

それから、マトリョーシカは手には入らないものの、ずっと憧れの人形だった。

3年近く前まで、私は滋賀県の大津市に住んでいた。私は、隣の京都によく遊びに行っていた。といっても、京都は年がら年中人人人で、人ごみが苦手な私は落ち着かない。その中でも、観光客が少ない場所があって、それが北山、というところであった。

地下鉄の北山駅を降りて、あとは自由気ままに歩いて行くと雑貨屋あり、美味しいパン屋あり、上賀茂神社あり、鴨川ありで、ゆっくり楽しんでいた。

あと、贅沢な時間の使い方をしていたのが、北山のカフェ、ヨージクというところだった。

京都に住む妹に教えてもらって、何度も通った。大抵は、妹と窓に向かって二人並んで座った。そして、大食漢な私達は、ご飯からデザート、飲み物まで注文し、そのカフェに置いてあるマンガを読んでいた。

自分からは決して手に取ることのない、本と出会えるのも、カフェ通いする醍醐味だと思う。でも、それだけではない。そのカフェが私たち姉妹にとって、懐かしのロシア料理を提供してくれるところであったからだ。

ピロシキ、ボルシチは定番メニューとしてあったが、そこで初めて知った味が、ペリメニというロシアの水餃子や、ラグマンというウズベキスタンのうどんだった。水餃子は、サーモンや海老が厚めの皮の中に入っていてぷにぷにして、スープも美味しく、ラグマンはトマトベースのスープにチキン(本場はラム肉だそうだ)が入ったいくらでも食べたくなる、そんな感じだった。

ヨージクは、ロシアやその近郊の国から来たと思われる留学生が多く、私たちはその留学生たちの会話を聞きながら、食事と読書を時間をかけて楽しんだ。

ヨージクには、「よつばと」というマンガや、朝倉世界一さんのマンガもあった。朝倉世界一さんは、吉本ばななさんの「ジュージュー」というハンバーグの店を舞台に、朝倉世界一さんの「地獄のサラミちゃん」というマンガを織り交ぜながら展開していく話で知り、どんなマンガを書く人なんだろうと気になっていた矢先、そこで出会えた。

また、小説は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や、ナボコフの「ロリータ」、それから武田百合子さんの「犬が星見た」という旅行記等があり、本との出会いも一期一会だと、図書館で借りて全て読んだ。何れも、ロシア独特の閉鎖的な冷たい空気感が漂いながらも、深い余韻を残す名作であった。

それから間もなく、埼玉県に転勤になり、京都や滋賀の持つ独特の古きを温める、自然と共に目に見えぬものを敬う文化に触れる機会がめっきり減ってしまって、心に空洞ができた感じの私の下に、妹からヨージクで買ったというマトリョーシカが届いた。

だが、封を開くと憧れの女の子マトリョーシカとはほど遠い、年をとったようなチェブラーシカのマトリョーシカであった。

チェブラーシカのマトリョーシカ…。可愛いのかよく分からない。マトリョーシカは、子孫繁栄を願って作られたものというが、この混沌とした感じは、また、ロシア独特のものなのであろうか。しかも、幼少期から憧れてようやく手にしたマトリョーシカが元祖ではなく、オリジナリティー溢れるものとは…。

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これを購入する際、妹はヨージクのオーナーさんに、「この人形、ここが特に可愛いですよね」と、チェブラーシカのしわを指しながら言われたそうだ。

ヨージクのオーナーさんと、妹の趣味は似ており、そしてマンガ好きな妹のマンガの世界を広げてくれたのも、ヨージクであった。

今私は、マトリョーシカのオルチェさん(オールドなチェブラーシカの愛称)に癒されながら、九州の地で、ものづくりに励んでいる。

また、ツンドラやヨージクのような出会いを求めて、これからも生きて行く。


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