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時間を見方にする手段として投資するお金

私は、自分の生活が困窮せず、ある程度の貯蓄さえできていれば、それ以上のお金は必要ないと思っていた。
私の興味があることは『ものづくり』であって、それが自分の満足のいくもので、他者に喜んでもらえるものであれば、それでいいと思っていた。

昨年末くらいに、吉藤健太朗(通称オリィ)さんの書かれた『孤独は消せる』という本を読んだ。
オリィさんは、主に難病と孤独と戦っている方が社会に参加できるよう、AIを用いないロボットを製作しているロボットコミュニケーターである。
オリィさんと一緒に株式会社オリィ研究所を立ち上げた一人である、結城明姫さんの言葉をきっかけに、お金について勉強を始めた。

オリィさんの分身ロボットOriHimeが完成した際に、結城さんはオリィさんに起業を薦めるが、お金儲けに興味がないと即答したオリィさんに、結城さんはこういう。
『吉藤が一人であっているうちはそのままでいい。吉藤の情熱だけで進めていける。でも、分身ロボットを世界中の必要な人に届けるためにはチームを作る必要がある。吉藤がいなくなっても維持されるような社会のシステムにしなくてはいけない。社会のシステムはお金の循環、お金が回るから人が動き続ける。市場を作り、サービスを提供できるのがビジネスですよ』と。

オリィさんも結城さんも十代の頃に、病気をとおして孤独を経験している。そしてこの二人と仕事を通じて出会った方々が大病を患い、遠くない将来に人生の終わりが来る可能性があることと、自身の人生の終わりもどこか見据えていることもあって、仕事への向き合い方は、私とは全く違う。
残された時間(有限である時間)を味方に変え、それを有意義に使うための手段として、お金を循環させる仕事の手法をとっているのだと思う。
ロボット開発を通じてそれを必要とする人にギブし、また、それを必要とする人からも実際に使ってみての更なる開発の余地をギブされる。そこには、クラウドファンディングや出資企業等を通じたお金が循環している。

一見、マイナスに思える様な出来事は不幸ではなく、自身と他者の人生をより深く考え、輝かせるための経験だと言える。

起業を考えていた当時のオリィさん、結城さんと同じ20歳くらいのときの私はといえば、日本学生支援機構から奨学金を借りて学校に通っていた。平凡な学生生活で、起業といったことを全く夢にも思わない生活だったが、奨学金がなければ学校に行けなかった。
誰かが返済してくれるお金で私は学校に通うことができ、私の返済するお金で誰かが学校に通っている。これも、お金の循環だ。

仕事、時間、お金の関係は難しいが向き合い方を改善していく必要があると感じたのが、とある建設事務所で工事の監督をしていたときだった。
その事務所では、工期が迫る中、その土地の状況に合わせて膨大な量の工事を変更してゆかねばならず、常にお金、時間に追われていた。
当時上司だった人は、過労で身体を壊していた。
「まだ若いからって、仕事、頑張りすぎるのもいいけど、ほどほどにしといたほうがいいぞ。いきなり身体にくるからな。ちょっと前、床屋で自分の姿をみて俺、びっくりした。頭って、一気に真っ白になるんやな」
私は内心ヒィィと思ったが、確かに、美容院等で見る自分の姿は自宅で見る自分の姿となぜか違って、客観視することができる。そして、自宅では見たいものしか見なかった鏡が、そこではなぜか真実を見せつけてくれる様な気がする。

それ以来、たまに私は、ミヒャエル・エンデの『モモ』の世界を生きているように錯覚することがある。

ある仕事を始めようとすると、一旦その会社のシステムという軌道に乗るまで苦労するものの、軌道に乗り始めたら遠心力だけでひたすらクルクル回っているような感じがする。
そして、その軌道から外れるのは、ものすごい痛みを伴うことになることが容易に想像できるから、なかなか変革していくことは難しい。
ただ、生きるためにはお金が必要だが、お金では替えられないものもある。それは、健康であったり、家族だったり、時間だったり、人によってはもっとあると思う。
生きてく中で、切っても切れない関係を持つお金や仕事とは、絶妙なバランスをとらなければいけないのだと思う。

私は、その会話をきっかけに、他の人たちがどう働き、お金を得ているのか、そしてその人たちはどんな考え方であるのか、に興味を持ち、観察する様になった。

最近、興味深いカフェとの出会いがあった。
そこのお店のオーナーは女性で、内装も最高で、とてもよい時間を客に提供してくれている。提供される飲食物のお代は、その温かな時間の豊かさに比べれば、決して高いものではない。
そして、店内では作家さんが作られた服やお菓子等も販売されているが、そこになぜかのお店の純利益が付加されていない。そのお店の利益のからくりは、どうなっているのであろうか。
直接伺うのは、親しい訳でもなく、憚られたため、その店に置かれている本を読んでみることにした。オーナーの思考を覗き見するには、本が手段の一つとなるはずだ。

それは、西国分寺にあるカフェ、クルミドコーヒーの店主、影山知明さんの著書『ゆっくり、いそげ』という本だった。
本書で、影山さんは、地域を活性化するためのコミュニティとして、カフェという場をいかに創るかということを実践しながら経済のあり方を提案している。
そして、客に贈るものには『かけるべき時間をちゃんとかけ、かけるべき手間ひまをちゃんとかけ、いい仕事をすること。さらにはその仕事を丁寧に受け手に届け、コール&レスポンスで時間をかけて関係を育てること』を目的とすべきという。そこには、客が店に渡すお金以上の付加価値が宿っているはずだ、という。
さらに、本書では、舘岡康夫さんの『利他性の経済学』にまで話が及び、そこでは『自分の利得を最大化させたいと思うならば、利他的な支援が必須だ』という。

1999年にNHKで放送されたドキュメンタリーを本にまとめた『エンデの遺言』は、ミヒャエル・エンデへの取材をもとに、エンデの蔵書、貨幣社会の歴史を紹介しながら、現代の金融システムが引き起こす弊害に警鐘を鳴らしたものである。

その中で、スイスの経済学者ハンス=クリストフ・ビンズヴァンガーはお金について次の様に語っている。
『将来に生じる利益をいま、われわれは価値として受け取っているのであって、将来的価値、つまり発展度が低くなれば現在ある貨幣価値、すなわち株における貨幣価値は下がります。もちろん、そのダイナミズムがより効果的な成果を生むということ、われわれの給料が高くなったり、買いたいものがたくさん手に入るようになるという積極的な面をもっているのも事実です。これは、魅力的でしょう。しかし豊かさが存在する一方で、環境が搾取され破壊されているという否定的な面を見なければなりません。われわれは将来を“輸入”していまを生きています。そのために環境を消費し、資源を食いつぶしているのです』と。

その解決の有効な方法として、ドイツの建築家マルグリット・ケネディは『お金に対する意識を変えること』といい、『自分のお金が倫理的に問題のない生産物やプロジェクトに投資されるように心がけること、あるいは購買者として、自分が購入する生産物が環境にやさしい方法で、社会に問題を引き起こさないようにつくられているかどうか、チェックすることができるはずだ』という。
そして、一つのモデル実験として地域で固有の通貨を発行・運用することをケネディは提案している。国分寺で発行されている『ぶんじ』という地域通貨等が、それにあたる。

結局、お金とは、活かしてはじめてその力が発揮できるものであるから、未来に生きるヒトやモノに投資して、循環させてみることが大切ではないかと思う。
その投資先は、例えば自分で人が集う場を創造するとか、自身で倫理的に問題がないと判断できるものであれば何から始めてもいい。
贈る、与えるから少しずつ始めてみること、それが、いつか自分にまた、お金として還って来るかもしれないし、また別のカタチに姿を変えて還って来るかもしれない。

循環させたお金は、自分と未来の誰かの、希望の灯に成り得るのかもしれない。

(了)


本記事を書くにあたって、参考にした書籍は以下のとおりです。

その他、本文中に出てくる書籍は、以下のとおりです。


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