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#若手社長 が語るチャレンジしていく人生の歩みかた

八街市中高生向けの居場所「ナッツアップ?」が運営する『北総ミチ(道×未知)ゆくミライブラリー』は、地元のカッコイイ先輩達がどのような中高生時代を送っていたのかや現在どのような活躍をしているのかをインタビュー記事にまとめ、いま10代を送る方々のキャリアを応援するウェブコンテンツです。


スポーツに打ち込んだ学生時代

学生時代はどんな生活を送られていたんですか?

僕はスポーツマンでしたね。小学校1年生から器械体操を始めて、中学3年生まで続けていました。空手もやっていて、水泳や柔道、合気道もやっていました。
水泳や柔道、合気道は小学校で終わり、中学に入ってからは器械体操と空手を続けました。中学には器械体操部があったので、そこに入って中3まで続け、空手は道場で続けていました。高校に上がるタイミングで器械体操はやめて、空手部のある高校に入って、3年間空手を続けました。

高校時代、空手で関東2位の成績を収めた石原さん。学生時代の経験が、大人になって生きていると感じることはありますか?

やっぱり1つのことをすごく一生懸命頑張った経験って、今も役に立っていると感じます。
僕が見てきた中で、学生時代に何か1つでも熱を持って取り組んだ人は、仕事でも成果を残している人が多いんです。逆に、なんとなく働いている人たちは、学生時代に熱中して頑張ったことがない人が多いですね。僕自身も空手で頑張ってきた経験が、社会に出てからも活きています。若い経営者として馬鹿にされることや舐めた態度を取られることもありますが、負けず嫌いな性格で、絶対に成果を残してやるという忍耐力が役立っています。
あとは学生時代、僕は喋るのが結構好きなんで、めちゃめちゃ色んな人と話してたんですよ。全然仲良くない人にもなんとなく喋ってみたり、喋りかけてみたり。社会に出て営業したりする中で、全然知らない人と話します。全く仲良くない人に急に話しかけたりとかしてたのが意外と役に立ってるなと思います。

大学を辞めて、経営者の道へ

高校卒業後、千葉県内の大学に進学したものの、なんと3ヶ月で中退した石原さん。なぜ大学を辞めたのですか?

大学に入って友達と遊んだり、先輩の現場を手伝っていたりしているうちに、お金を稼ぐ方が楽しくなっちゃって。学生の仕事は勉強と遊びだと言われたって、それでお金はもらえねえんだぞっ!て。だったら普通に仕事してお金を稼いだ方が楽しいと思ってしまったんです。
中退後は、数ヶ月間フリーターをしていました。その間はバイトを4つぐらい掛け持ちしていましたね。先輩のところは土木だったんですけど、土木や引っ越しなどをしていました。元々バイクや車いじりが好きで、その繋がりで鈑金塗装屋に就職しました。その後、車業界に転職し、車の解体屋に勤めました。ただ、この間もずっとダブルワークだったんです。夜暇なのが嫌なんでしょうね。働いているのが苦ではないので、飲食店や運送業、水商売、物販など本当にいろんなことをやっていました。

そこから約10年間働き、起業されたきっかけは何ですか?

高校生ぐらいの時から漠然と社長になりたい、社長と呼ばれたいという夢がありました。最後に勤めた解体屋さんの社長とのやり方が合わず、自分ならこうするという思いが強くなっていました。僕は思ったことを結構言っちゃうタイプなので、その時の社長に対しても色々提案していました。そのやりとりの中で、「そういう視点もあるのか」という気づきを得ているうちに、経営の方にすごく気が向いちゃってたんですよね。
それで、「なくならない仕事」と考えたときに、「虫っていなくならないよな」と思って害虫駆除の会社をはじめました。

害虫駆除の方法はどのようにして学んだんですか?

まず僕、なんでも結構独学でやっているので、1から始めた感じなんです。始めると決めた後にめちゃくちゃ勉強しました。既存のやり方ではなく、新しい方法も試したいと思っていました。自分なりに考えたり実験したりして、今の形に至っています。
例えば、創業して始めてすぐにネズミ駆除の営業が取れて。そこで逆にネズミを捕まえてきて、そいつらを飼育しながら、色んな毒餌を試して、どれが一番効くかなとか実験してました。
僕はとりあえずやってみよう、とにかく試してみることが大事だと思っています。鉛筆とノートで勉強しているうちは、どれだけ知識をつけても現場での経験には勝てません。現場での実践が重要です。

そんな中で居酒屋も立ち上げられたと聞きました。害虫駆除とは全く違う業界ですが、立ち上げたきっかけは何ですか?

1つは、リフォームの現場での打ち合わせが多かったことですね。他の業者さんも含めて、現場が終わってからどこかの飯屋で打ち合わせすることが多かったんです。どこにするか決めるのが面倒で、自分の店があれば楽だと思ったんです。
あとは現金を回すためです。リフォームの現場は大きな仕事が入ってきますが、支払いが月末締めの翌月末払いなので、その間に材料費を建て替える必要があります。売上はあるけど現金がないという状況になるので、現金を回すための場所として居酒屋を立ち上げました。

居酒屋を立ち上げて良かったこと、大変だったことを教えてください。

良かったことは、いろんな人と会えることです。本当に老若男女問わずいろんな人に出会えます。そこから仕事に繋がることもあります。自分の店だからこそ、お客さんが「最近こういうこと困ってて」と話してくれたときに、「僕できますよ」と言えて、実はこういう会社もやっていてという流れで仕事が入ってきたりします。いろんな視点や価値観に触れることができるのも大きいですね。
大変だったことの1番は集客ですかね。これは飲食店の永遠の課題だと思います。特に最初の1年は、数字を見るのが嫌でした。

やらない後悔より、やった後悔

石原さん自身が日々大切にしていることはどんなことですか?

チャレンジですかね。ものは試しです。ビビってやらないのが一番損だと思います。なので、やらないで後悔するより、やって後悔した方がまだいいんじゃないかなって思います。やって失敗しても死にはしないですから。
常に新しいことにチャレンジするのを癖づけないと進歩しません。現状維持は結局衰退と一緒なんです。 今の時代は本当に流れが早いです。お笑い芸人さんだって3カ月後、誰が流行っているか、誰が生き残るかなんてわからない。昭和の時代は現状維持が大事という風潮があったみたいですけど、今は常に変化していかないとダメなんです。

今後の展望があればきかせてください。

夢がいっぱいありますよ。やりたいことがありすぎて、お金がいくらあっても足りないくらいです。
僕は美容の複合施設を作りたいんです。1つの施設で、頭の先からつま先まで全部整うようにしたいです。部屋を5、6個ぐらい用意して、美容室、ネイル、マツエク、整体、マッサージ、エステや脱毛などを全部各部屋に入れて、予約も一括でできるようにするんです。お客様が来たら「まず美容室の1番の部屋へ行って、その後は5番の部屋で脱毛」といった感じです。そういう1つの施設を作りたいですね。
みんなどんな年齢でも綺麗でいたい生き物だと思っています。おばあちゃんでもネイルをすれば嬉しいですよね。そういう気持ちを大切にしたいです。

中高生に向けてのメッセージ

社会とは安全に失敗できる場所なので、いろんなことにチャレンジした方がいいと思います。僕の知っている限り、失敗して死んだ人はいないです。安心して失敗して、どんどんチャレンジすべきだと思いますよ!

-文:北澤香寿美
=写真:石原さん提供

〈profile〉
石原篤(いしはらあつし)
1993年生まれ。千葉県八街市出身。現在八街市在住。
28歳のときに株式会社ATSを創業。害虫・害獣駆除にとどまらず住宅のリノベーションや店舗の改修工事まで幅広く行う。現在は、富里市にてDINING KITCHEN LOOPも経営する若手起業家。

石原さんが手がける会社情報

八街市中高生の居場所「ナッツアップ?」



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