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広告でよく見る「あのゲームの恐ろしさ」をプレイで実感した

#やってみた大賞
の投稿のために、記事を書きました。

広告でよく見る「あのゲーム」

これとか。
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これとか。
これとか。

まず、「こんなクソゲーやらんわ」という人は、

一度騙されたと思ってやってみて下さい。

作業ゲームとか好きな人、凝り性な人は、気づいたら2-30分はプレーしてしまってるはずですから。

プレーしてしまった私の正直な感想

さて、私はこの手のゲームの広告にあるワナ(後述)によって、まんまとプレーしてみたわけです。

恐ろしいんですよ、このゲーム。

時間はあっという間に経つし、
「もっともっと」という感情が気づかぬうちに刺激されているし、何よりも、これに慣れた人間の考え方は恐ろしいものになるな、と。

逆に、この何とも言えない中毒性を逆手にとってたマーケティングは本当によくできているなと、感心もしました。

この手のゲームの「仕掛け」と「思想」


じゃあ何が恐ろしいの?という説明します。

キーワードは、「爽快感・優越感」です。
これをもとに、この手のゲームに見られる仕掛けを4つ示します。

仕掛け① 単純で直感的な操作

チュートリアル(試しプレー)は、説明不要です。
プレー画面を見れば、直感的に何をすればいいのか、分かるようになっています。
ピンを抜けばいいのか、
迫りくる群衆を向かい撃てばいいのか、
あるいは家や部屋を修復したらいいのか…。

プレーの方法は超単純!

あるいは、私たちはもう既に、広告によってそのゲームのプレー方法を知っている、ということもあります。

この広告も実に巧妙。「クリアしない」「非合理的な選択」をしてみせるんです。そうすると、私たちはこう思ってしまいます。


「なんて馬鹿なことをするんだ、私ならこうする」


ここまでは良いです。最後に「貸せ、俺がやる」となったら最後、そのゲームに手を出してしまうことになります。広告のへたくそプレーは、私たちの「優越感」を上手に刺激しているんです。

仕掛け② 「大量」というモチーフ

数字を増やしていくゲームにせよ、
群衆を形成して他を圧倒したり、
陣地を奪ったりするゲームにせよ、
共通しているのは「大量」ということでしょう。

大量!派手!爽快!

多いと派手です。数で圧倒する爽快感があります。
(※何度もいいますが、「そんなんを感じるのはお前だけだ」という批判は、プレーした人間のみから受け付けたいものです)

この手のゲームは、1回のプレーごとに報酬が与えらえます。
その報酬もまた大量。
そして、動画広告を視聴することで、その報酬が倍増していきます。

報酬金をたくさん!

512枚のコインが、たった30秒の動画をみれば、あっという間に1024枚に!
なんて爽快なんだ!

この「大量」「倍化」から生じる爽快感が、ゲームを何度もプレーする動機づけになります。

仕掛け③ 戦力増強→実戦→報酬のサイクル

私はこれを「手元にある刺激的な進歩主義」と名付けたいと思います。

前提として、この手のゲームは単発プレーです。
「実戦」の部分が、短い時間で、ポンポン終わっていきます。1プレーの時間が短く、しかも連続的なプレーが無いんです。

チェスや将棋のように、深くじっくり考える時間はありません。
プレーはすぐに終わります。
花札や麻雀のように、次の回の戦略を考える必要はありません。
1回で全ての決着がつき、報酬が得られます。

有利にクリアするために増強!

プレーで得られる報酬は、何らかの戦力増強に用いられます。
大砲のレベルを上げ、弾丸数や精度を上げたり、
攻撃に耐えらえる強度を上げたり…。

戦力の増強は、何らかの形で実戦での「爽快感」を向上させます。
敵を一掃できたり、
強化された群衆の圧倒的な数の力で制圧したり、
1プレーで得られる報酬がさらに増えたり…。
何らかの要素が派手になるのは間違いありません。

そして、実戦を経て、報酬をもらう。
報酬→戦力強化→実戦→報酬…というサイクルです。
このサイクルにハマると、継続してゲームをプレーしてしまいます。

これ以外にもゲームのプレーを継続させる仕掛けがあります。
報酬には2つの種類があります。
1つは、先に示した「戦力増強」のための報酬です。
もう1つは、自らの「ゲームステータスを上げる」ための報酬です。

ランクを上げて上位数%に入りたい!

プレイヤーには、何かしらの形でランク付けがされます。
最初は、銅(ブロンズ)色のバッジや称号から始まることが多いでしょう。
自らのステータスを具現化した何かは、プレーで得られる報酬で、ドンドンと豪華になっていきます。

この2つの報酬が、短期的にも、長期的にもプレーを継続する意欲を掻き立てているように感じます。

仕掛け④ ランキング制

自らのゲームステータスは、他のプレイヤーと比較されます。
ステータスランクに応じて、「あなたは上位○%です!」と、
優越感を与えると同時に鼓舞されます。

上位を目指して他人を追い抜け!

よーく見ると、ランキングがあまりに多国籍。
実際のプレイヤーかは定かではありません。
ゲームにはまった人間からすれば、そんなことはどうでも良いのです。

順位を追い越す側の人間が、なぜ追い越される側の人間に注意を払分ければならないのでしょうか?
ひたすらに、上位○%を目指し続けて、上へ上へと順位を進めるために時間を費やしていくだけです。

「この手のゲーム」の恐ろしさ

まず単純に、広告視聴回数が多いので、マーケティングには最適でしょう。
戦力増強の時も、実戦プレーが終わり時も、得た報酬を倍増させたい時も、
動画広告を視聴しなければなりません。

そして、「数で圧倒する」ことや「相手を攻撃する」、「より良い順位を目指していく」ということに慣れ、抵抗感が薄れていくでしょうか。ここは筆者の主観が多分に含まれていますね。

別に、頑固な保守親父のように「ゲームなんてけしからん!」と言いたいわけではないんですが…。
こうしたゲームに慣れ、「多い数の方が良い」「高い順位の方が良い」という価値観を絶対的なものとみなす人が増えることは、何となく避けたいなと思っているくらいです。


さて、いろいろ書いてきましたが、最後に1つだけ。

私がこの記事で「この手のゲーム」と言ってきた「ゲーム」の特徴は、はたして、広告でよく見るゲームに限った話でしょうか?

通勤通学の電車の中で、
注文した料理が届くまでの間で、
ちょっとした時間にプレーしているそのゲームも、
実は「この手のゲーム」と同じ特徴を持ってはいないでしょうか?

小児病

最後に、ヨハン・ホイジンガという歴史学者の著作
『ホモ・ルーデンス』より、こんな一節を引用して終わります。
強調部分は筆者です。

 私は数年前に、今日の社会生活の危険な幾つかの現象は、一括して小児病という名で呼ぶのがよい、と考えたことがある。
…これに属するものには、たとえば、たやすく満足は得られても、けっしてそれで飽和してしまうということのない、つまらぬ気晴らしを求めたがる欲望、粗野なセンセーションの追求、巨大な見せ物に対する喜び、などがある。

ホイジンガ,2019(改版),『ホモ・ルーデンス』,中央公論新社: 472-473頁

自ら成熟を放棄してしまうような精神のあらわれのなかには、ただ迫りつつある崩壊の兆ししか見ることができない。小児病的挙動がしばしば外形的に遊びの形を帯びることはあるだろう。だが、そのなかには真の遊びの徴があるわけはない。奉献と尊厳と様式をふたたび獲得するためには、文化は他の道を行かねばならないのだ。

同上: 476頁

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