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富山から世界に広がる羅臼昆布ロードのこと。

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 富山県黒部市生地(いくじ)。「黒部の太陽」の黒四ダムから山を越えると海に向かって広がる扇状地にある町だ。渓谷に降った雪や雨は地深く染みこみ、80キロほど離れた町で湧き水にとなってこんこんと湧き出す。硬度38。体にすうと染みていく柔らかな水は、昆布から出汁をとるのに最適だ。

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 1800年代、不漁がこの生地を襲った。漁師たちが食べていけなくなり、厳しい自然なれど漁業資源の豊かな根室、歯舞、羅臼、利尻に開拓に入った。南から北、西から東へ進んだ北海道開拓の最後の地だ。働き者でアイデアに富む彼らは越中衆と慕われ、道東の漁業を担うようになる。そして、彼らの昆布は北前船で北陸に運ばれた。
(18世紀の終わりから道東の昆布は本州に大量に運ばれるようになりました。)

昆布ロード


その歴史を持つ羅臼昆布を扱う四十物昆布が生地にある。四十物って読めますか?長万部(おしゃまんべ)より難しいと思いませんか?

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あいもの、と読みます。一夜干しの魚を四十物といったことから地名にも苗字にも四十物があり、北前船にゆかりが深いとのこと。

あいものさん

 こちらの社長、四十物直之さんは、元気だ。
豪快に笑い、標準語が越中弁に変ってもご本人は気づいているのかいないのか。昆布、歴史、人との出会い、感動したこと、と話はここの湧き水のように溢れてくる。

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 甘やかないい匂いのする羅臼昆布の倉庫での昆布の説明がとても印象的だった。
生産者の名前が書かれた箱に触れながら、「この人の昆布はあんじょうをよくしていておいしいんですよ。」とか、「この人のところは人手が足りなくてこうしてざくさくと切った状態なんですが、味は抜群です。きちっと切ったらものすごく高いものですよ」と話される。よりうま味の出るように生産の現場で仕立てられてきた羅臼昆布を、40年間伝えてきた人の言葉は、沁みる。 

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 工場に進むと、みなさんご挨拶してくださる。
90歳のおじいさんが楽しそうに働いていらして、私は、えりもの昆布漁でおじいちゃんおばあちゃんもできる仕事をしたという話を思いだす。
とろろ昆布は成型で切った時にでる端切れ部分を酢を使って固めて削っていく。
まったく無駄がない。昆布はすごいサステナブルフードなのだ!!!

 昆布を大事にして、使い尽くす知恵のいろいろを見せていただいた。それは、ここ富山では普通の毎日の知恵で、伝わってきたことなのだ。
遠い羅臼で所縁ある人たちが漁をして丁寧に仕立て、「板の下は地獄」と言われた北前船で運んできた昆布を工夫して使いきるのは、至極当然のことだったのだろう。

(昆布〆は、富山の人たちが大好きな調理法のひとつ。富山のバーでお隣の方に、どうやって昆布を使うか聞いてみたら、「残ったおさしみは何でも〆る」って教えてくれました。写真はあいもの昆布さんのHPから)

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 羅臼と富山を結ぶ四十物さんの昆布ロードは、羅臼の生産者を元気づけようとフランスの展示会へぎゅーんと伸びた。
味見をしたシェフたちが驚いた。「なんだこれは。うまいじゃないか」。羅臼昆布のうまみがヨーロッパに伝わった瞬間だった。
そしてそこで四十物さんは、デンマークのあのnomaに一駄の羅臼昆布を背負って運ぶことになるロンドン在住のトレーダー末永雅美さんに出会う。
すごい!一駄って15キロですよ!!
漁師を思う気持ちと彼らの昆布への信頼が末永さんの心に届き、彼女の感動とともに、昆布ロードはなんと、北欧へと伸びたのだ。

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 この昆布ロードはどこまで伸びるのだろう。
土地への愛情、人や技術へのリスペクトがそれぞれをつなぐ21世紀の昆布ロードは、きっと未来に続いていく。
給食でも昆布のうまみを体験している黒部のこどもたちが大人になる未来。
彼らは持ち前の富山スピリッツで、また新しい昆布ロードを開拓するのではないかと思う。


★2017年、取材後にFBにアップした文章をリライトしました。
沖縄料理でなぜ一番遠い道東の昆布を使うのか?という疑問から始まった私の昆布を巡る旅は、その鍵を握る富山へ向かい、そこから羅臼へ続きます。


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