【第17話】保育者としての私⑤
「私は親として、瑠璃に一生懸命関わろうとしてくれるその姿勢が嬉しいんです。瑠璃もきっとそんな順子先生の気持ちを感じているんだと思います」
順子はその言葉を聞いて救われる思いだったが、同時に自分の未熟さを突きつけられた気がした。
順子は保育者として子どもたちに頼られる自分が好きだったのだ。しかし、今の自分は保育者としての知識も技術もなく、子どもたちに慕われるぐらいしか能がない。他の保育者や保護者の期待に応えられない自分が惨めで情けなく、まるでこの場に自分の居場所がないと感じた。実際、ヨーヨー釣り担当でなければ、家に逃げ帰っていたかもしれない。
順子は夏休みが終わり短大に戻ってから、障害児保育について真剣に勉強するようになった。短大の授業だけではなく、学外の研究会や研修会にも積極的に参加した。
瑠璃ちゃんとお母さんの期待に応えられるような知識と技術を備えた保育者になりたい、という思いが順子を突き動かしていた。
ある時、研修会で障害のある子どもへの個別対応について講義を聞いていた時だ。順子は、子ども一人一人を理解し、その子にとっての最善を考えていくことは、障害の有無には関係ないということに気づいた。まさに雷に打たれたような感覚で、全身に鳥肌が立った。それは、保育の真髄であると順子は思った。
それから短大を卒業して、保育園で働くようになった順子は、子どもと関わること、そして保育者として、自分の専門性向上について力を注いで来た。
大変なこともあったが、子どものためを思えばどのようなことも乗り越えて来れた。
膝を痛めて手術をしたときも、保護者との関係がうまく行かず、保育園に行くことがつらくて、朝泣きながら家を出た時も。
そうやって保育者として自信を持てるようになった順子であったので、主任になってからは子どもに関われない寂しさを感じた。
園の中で能力を認められ、役割を与えられたことは嬉しかったが、自分は子どもに関わりたくて保育者になったのだ。なのに、主任としての日常は、事務や雑務、そして職員が辞めないようにケアをすることが中心だ。
職員の病欠などで人手が足りず保育に入る時は、飛び上がらんばかりに嬉しい。
しかし、ある時、順子が保育に入ると職員が気を遣うという話を同期の保育者から聞いた。それからは基本的には担当の保育者に任せるように務めるようになった。
ただし、どうしても子どものことを思うと、未熟な保育者のことを見過ごせなかった。順子は保育者として、常に自分に厳しくあり、自己の欠点や課題を見つけ、改善するという努力を積み重ねてきた自負があった。専門家として、保育者は孤独に耐え、そのような努力を積み重ねるべきだと考えていた。
「ストーリーで読むファシリテーション 保育リーダーの挑戦」一覧はこちら
https://note.com/hoikufa/m/mdab778217cb1
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