見出し画像

読書日記その539 「播磨灘物語 4」

高松城水攻め〜本能寺の変〜中国大返し〜山崎の戦い〜隠居〜関ヶ原の戦い

秀吉の天下取りの構想を描き、ついに実現させる官兵衛。これは「中国大返し」からの構想が秀吉の思案なのか、官兵衛の思案なのかでずいぶんとちがう。

このとき官兵衛は微笑し、秀吉のひざをしずかにたたき、
「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心の儘(まま)になりけり」
と、なぞのようなことをいった。

播磨灘物語 4

このように、本書は官兵衛が秀吉をうながしたという説をとっているので、天下取りの構想を描いたのは官兵衛になる。

また山崎の合戦において、秀吉と官兵衛にとって幸運だったのは、信長の三男信孝が大坂にいたことだろう。主・信長のあだ討ち、とむらい合戦という形を完成させるには、織田家の血を引く信孝を自軍に引きいれる必要があるからだ。父のあだ討ちという図式だ。そして秀吉にも大義名分が立つ。

京へのぼる秀吉軍は途中、大坂にいる信孝と尼崎で合流することになる。そして信孝を引きいれて、山崎で明智光秀と対峙するのだ。案の定、信孝のいる秀吉軍は織田家の正規軍となる。主・信長のあだ討ちがここに完成するのだ。

実際どこまでが秀吉の思案で、どこまでが官兵衛の思案かはわからない。しかし天下取りの構想の過程で、その官兵衛の果てのない器才に、秀吉は嫉妬をおぼえるようになる。そして徐々に猜疑心を見せる、そんな秀吉の姿がおもしろい。あえて大封を与えずに徐々に遠ざけたのも、秀吉が官兵衛をおそれたからだ。

物語は残念ながら、この山崎の合戦でおおかた終わることになる。その後の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いは最後の1章にザックリとまとめられてるだけだ。ゆえに本書は、官兵衛の目からみた信長と秀吉の天下取りの物語なのだと想像する。

名を「如水」とあらためて隠居した官兵衛。最後の関ヶ原の戦いでは、ひそかに天下取りの野心をいだく黒田如水の姿がある。わずか300人の士卒しかもたない如水だったが、あれよあれよと1万3,000人もの大軍に変貌していく。もはや見事としか言いようがない。

ところがここで、彼の予想をくつがえす事態となる。わずか一日で関ヶ原の戦いは終了するのだ。そこからのあきらめのよさもまた見事だ。天下取りのために切り取った九州をあっさり家康に返上してしまい、あとはそしらぬ顔で隠居の身にもどってしまうのだ。

「せっかくここまで」「もったいない」という声も聞こえようが、これが黒田官兵衛という男なのだろう。自分の欲得や栄達欲というものがまるでないのだ。彼は天下の理想を構想し、ロールプレイングゲームのプレイヤーのように秀吉というキャラクターを操縦しながらそれらを実現させてみたい、ただそれだけ、ということなのではないだろうか。

決断の鮮やかさはまさに水の如し。これが後世まで、黒田官兵衛という男の人柄と痛快さを与えることになるのだろう。司馬リョウ先生はそんな官兵衛の生きざまに「友人をもつなら、こういう男をもちたい」と賛辞をおくる。うん、お見事。あっぱれッ!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?