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15 コミュニケーションはサシしか勝たん?! #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」

音声は以下に上がっています!このnoteと同内容を喋っていますので、ぜひ音声でもお聴きください〜

https://u8kv3.app.goo.gl/m2ccp

怠惰ってまさにこのこと

 めちゃくちゃ久しぶりやね。なんとか8月に滑り込みで喋れそうで良かったけど、1ヶ月以上ぶりってほんま、最初は4日に1回出しとったんが嘘のようやわ。いや、ちゃうねん、書くネタはまだまだ尽きてへんねん、ぎょうさんあんねんで、でも純粋に書こうっちゅう気になかなかなれへんのよ。これを怠惰と言わずしてなんと言うんやろな、自分に呆れてもうてアキレス腱になってる今日この頃やねんけど、皆さん最近はどない過ごしてますか? 暦で言うたら秋を目前にして、コンビニでも「秋」をイメージしたビールが発売されるような時期に入ってきて、世間はもう晩夏の感を漂わせつつあるよな。まあでも俺の夏はまだまだ終わらんよ。てか、終わらせへんよ。でもにしたって夏本番っちゅうのはそろそろ終わりかなあとも思うし、ここら辺でこの夏、特に就活を終えてからの50日くらいを一旦振り返ろうかなと思うわけやね。

「サシ」の多い夏

 まあこんな状況やったっていうのもあって、今年の夏はなんやろな、集団でパーっと遊ぶみたいな機会はなかなかなくて、どっちか言うたら小規模の人数で遊ぶことが多かったんよね。特に「2人で」っていうのが中心になる文脈の占める割合が高くて、これは普段からしたらちょっと新鮮なことやった。学生最後の夏やっちゅうことでちょっと長い目の旅行にも2回行ったんやけど、1つ目が大学のクラスメイトと、2つ目が中高の後輩とそれぞれ2人やったし、7月に行った軽い目の旅行もサークルの後輩と2人、日帰りの遊びとか飲みとかもめちゃくちゃ誰かと2人でっていうのが多かったんよね。まあそんな感じで「サシ」コミュニケーションをしょっちゅう取ってたわけやねんけども、この「サシ」っていうのがいかに素晴らしいか、3人以上のコミュニケーションと違った様相を呈するかということを改めて実感するに至った、そんな感じの夏やったな。

「サシ」のええとこ

 ほいだら「サシ」の何がええかっちゅうことを詳細に述べていきたいわけやねんけども、一言で言うと、「相手の人と『人間同士として』向き合える、対話できる」ということ、これに集約されるな。すなわち、自分と相手以外に登場人物がおらへんから、その人自体と向き合うという観点において余計なことに配慮したりなんやかんやしたりする必要がないっちゅうのが良すぎるんよ。めちゃくちゃ単純な例で言うたら、AとBとCの3人がおったら、AとBはおもろがれるけどもCはおもろがれへんみたいな話題はその場で喋り難いやん? でも2人やったら気兼ねなく喋れる、そういうことやね。どうしても話題の幅は最大公約数になりがちであることを考えると、そういう現象というのは往々にして起こるよな。ほいで、そういった話題を共有することによって、そいつの知らん一面とかが垣間見えたりするわけや。

「場」の文法が“できてまう”とき

 結局のところ、3人以上おったら、喋りというのは残りのメンバーに向けてというより「場」に向けて行われがちで、なんやったらなんとなしに共有しとる「場」の文法(その場のノリみたいなやつ)に従って各々の発言が重なっていく、「場」に提出されていくというような印象を受ける。いやもちろん、そんなことはない、残りのメンバーという人間たちに向かって発話しとるんやという意識ではあるんやけど、なんやかんや言うて複数人で喋るときっちゅうのは「場」が「知らず知らずのうちに発生してしまう」わけやね。そこにはちっちゃい世間、「小世間」があるようなもんとも言えるかもわからんな。すなわち、構成員が誰ひとりとして心の底から思ってへん事柄K(「ことがら」の頭文字)があるとして、でもKと思ってるやつが世間のマジョリティを占めてるとか、Kを声高に主張する方がおもろい、みたいな背景事情があると、みんなしてKについて盛り上がる、みたいな現象が起こることもしばしばなわけや。ほいで、これは個人的な話やねんけど、俺自身はそういう「場」をいかに生きるか、おもろく過ごすか、みたいなことにめちゃくちゃ注力してまうんよね。もうある種どんだけ笑いを生めるかのゲームやと思ってる部分があって、雰囲気をみながら(「場」の文法を解読し時に生成「しようとしながら」)そのときに笑いになりそうな言葉を発するということにだいぶリソースを割いてまう傾向にある。昔から、これは今でも思ってることやねんけど、「みんながなんとなしに思ってるんやけどあんまり誰もうまいこと言語化できてへんこと」を適切なタイミングで言語化するっていうことにめちゃくちゃ憧れがあって、ついそういうことを(言えそうなら)言いたなってまうわけやね。もちろんそれに全振りしてるわけではあれへんけども、やっぱりそんなことしてると、人間として向き合って対話するみたいなことはより一層でけへんがちになってまうわな。

「場」の文法を“一緒に作る”とき

 その点、サシやったら2人しかおらん、「あなた」と「私」しかおらん、それゆえ「場」の文法は空気が勝手に作っていくものではなくて、2人で作り上げていくものになる。「世間」が発生せんわけや。ほいで、サシでの文脈に爆笑を求めてるやつはあんまりおらんというか、いやもちろん爆笑なんかあればあるほどええわけやからそら爆笑できるに越したことはあれへんけど、まあ言うたら「対話」のおもろさが主眼に置かれてるような雰囲気はあるから、必要以上に笑いを取りにいくようなこともせんでええわけやな。それよりかはむしろ、2人ゆえの最大公約数のデカさを利用していろんな事柄について喋りつつ、その人自体と向き合うなかで感じられるおもろさみたいな部分がメインになっていく。ちょうどこないだ、前半サシで飲んでたけども後半ひとり加わって3人になるみたいな会があって、別に前半と後半で飲み屋を移動したわけでもないしテンションも話題もそない変わらんかったけど、やっぱり俺は3人になってからちょっと「おもろいこと探し」に精を出す感じ(「場」におもろいと思ったことを提出しにいく感じ)が出てもうたな。ここで一応断っとくと、後半から加わったやつと2人で飲んだこともあるし、別に相手がどうとかそういう話ではなくて、純粋に「2人で飲む」のと「3人で飲む」のとの違いやね。

居心地がええとか悪いとかとは関係ない

 ほいで、今回の喋りの趣旨が「サシの良さを再確認する」みたいな文脈やから逆により一層言及しときたいことには、居心地の良さとか楽しさとかにおいて「サシ>3人以上」というわけでは断じてない。これは強調しときたいね。「場」の文法に従いながら気の利いたことを言うていくって、楽しいやつらとやったらめちゃくちゃおもろいし楽しいし居心地もええからな。逆に、人によっては「サシ」で向かい合った結果なんかしょうもない感じになるときも全然ある。これはだから、おもろさの「文脈」「種類」の問題であって、「程度」の問題ではないっちゅうこっちゃ。メンバーがおもろかったらサシやろうが何人おろうがめちゃくちゃおもろなる、これは当たり前のことやね。ただ、人自身の展開するノリ、雰囲気、喋る内容、生活の感じ、そういうのはサシの方が抜群にお互い知ることができるぞと、そういうことを言うとるわけや。

飲んでなんぼ、遊んでなんぼ

 ということで今日はサシ・コミュニケーションに光を当てて諸々喋ってきたわけやけども、結局なんやかんや言うて人と飲んだり遊んだりするなかで喋ったり、あるいは喋らんかったりするのってめちゃくちゃ趣あるしおもろいっちゅう話やな。ほんまに、今年は学生最後の年やっちゅうことでな、最初にも言うたけどもまだまだ夏終わらすつもりない(いや別に季節的には秋の方が好きやねんけど、これは世間のノリを反映させた「夏休み」的概念としての夏な)から、マジで皆さん、サシでも複数人でもええから飲んだり遊んだりしましょうっちゅうことですわ。あ、せや、この「夏をまだまだ終わらすつもりない」を題材にどっかのタイミングで(次回ではないかもしれんけど)喋ろうと思ってるから、もし良かったらそれも楽しみにしといてくれ〜。っちゅうわけでほしたら今日はこの辺で、ではでは出羽山脈〜〜


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