気づかないふりをしてたの ずっと

タイトルは
あなたに会えてよかった / 小泉今日子
より。

極上はちみつ紅茶

最近、いただき物の極上はちみつ紅茶というものにハマっている。極上と名乗っていらっしゃるだけあって、お湯を注ぐだけでとても濃厚なはちみつの甘さと香りに思わず目眩がするほど。
「ピザを食べるならクワトロフォルマッジでしょ!」でおなじみの はちみつ大好きサガリさんにとって、この紅茶はこれほどにない癒やしのひとときを与えてくれる。
…いや、私がはちみつ好きなんて誰も知らないか。
ちなみに、メープルシロップも好きですよ。

はちみつ といえば、少し前に読んだ記事とその時に考えていたことをふと思い出した。普段からお得意の多動脳で沢山のことを考えているが、その中でも特別文字に起こしておきたい。
ここからは、アルプラゾラムをキメてぼんやりした脳で

食肉とヴィーガン

に関することを綴る。

肉を食べるということは、すなわち動物を自分たちのために殺すということ。それがいかに残酷で傲慢な行為なのかなんて、本当は頭の片隅で知っていた。気づかないふりをしてたの ずっと。

この記事を読んで、十数年前に聞いた「みいちゃん」という牛の話を思い出した。私の地元近くには食肉センター(もちろん屠畜場も含む)があるためか、近辺の小学校では例年、食育講話が行われていた。だから、頭の片隅では「食肉」とはどういうことなのか知っていたのだ。
そういえば絵本になっていた気がしたから調べてみた。もし読んだことがなければ、ぜひ読んでみていただきたい。




話をyuzukaさんの記事に戻す。

この記事を読んで、私は初めてヴィーガンの方の考えを少しだけ理解できた気がした。

それまでの私にとってのヴィーガンは、肉を食べる人間や食肉そのものに対して過激な反応をし、(栄養学的な意味で)科学的根拠もなく菜食を選ぶ。それは不思議で少しだけ怖い思想であった。
しかし、そんな風に感じていたのは、私がヴィーガンの方々の思いをあまりよく知らなかったからに他ならない。人は、自分の知らないことに対して怖いという感情を抱きやすい。

確かに、ヴィーガンの方々は動物の肉を食べない。しかし、それは、「食べられるために育てられ、そして殺されゆく動物たちがかわいそうだから」である。彼らは乳製品も、鶏卵も、海藻をのぞく海の幸も食べない。すべては動物たちの幸福(アニマルウェルフェア)を追求しようとした結果だ。もちろん、ミツバチという動物が生み出す はちみつさえも、口へ運ぶことはないのでしょう。
ゆえに、今の私の中では、アニマルウェルフェアを実現させるために食肉を断った人々がヴィーガンなのかな?くらいの認識になった。



ヴィーガンになるのか、ならないのか。

これは、この記事の投げかける大きな問いだ。

食べられるために生まれてこさせられた動物たちが、
どのようにして私たちの食卓に届くのか

それを知る者は誰しも即決することはできないのではないだろうか。

私も、この記事を読んだ日には色んなことを考えた。スーパーの特売シールの貼られた精肉に、こんなにも心惹かれない日は人生で初めてだった。

そして、今の私が出した答えは
「ヴィーガンにならない」
である。その理由は大きく2つある。

①お肉は私にとって貴重な栄養源であるから

私は精神状態が悪くなると食事を摂れなくなる。特に調子の悪い日は、おにぎり1つさえ喉を通らない。そんな状況の中でも比較的調子のいい日にお肉(主にしゃぶしゃぶ)を食べる。これで少しでも体重・体力の減少に歯止めをかけることができる。

②「かわいそうだから食べない」ことは目を背けることだから

yuzukaさんの記事の最後の方にも書いてあったが、この世のすべての人がヴィーガンになる日はおそらく来ない。そして、本当のアニマルウェルフェアが実現されるには人間が滅びるしかない。このまま食肉への弾圧が過激さを伴い続くのならば、利益以上に愛情や品質を優先してきた畜産農家さんは真っ先に潰されてしまう。そうして結局は、利益重視のファクトリー農家と劣悪な環境で育てられる動物たちが残ることになる。
だから、私にとって「かわいそうだから食べない」ということは、残酷で傲慢な現実を見て見ぬ振りをすることと同じように感じる。
かわいそうだからこそ、せめて大切に育ててくださる農家さんから愛されて育ったお肉を買いたい、応援したいそれが、滅びることのできない私たち人間が命と向き合うということだと考える。

以上、私が極上はちみつ紅茶を飲みながら考えたことでした。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


ここから先は余談。私がヴィーガンに対して矛盾だと感じること。

余談: 野菜も生きものだから

ヴィーガンは動物にまつわるものは口にしないが、野菜は食べる。
しかし、野菜だって生きものだ。奇形が生まれることだってある。見た目が整っていなければ(主に日本では)売れないため、多くの場合は廃棄される。さらには、虫食いができないように多くの農薬を撒いて駆虫し、野生動物が畑を荒らそうとするものなら駆除をする。野菜を食べたいという人間のエゴの上で害虫・害獣とされるだけであって、自然界においてはその存在になんの罪もない。うっかり忘れがちだが、私たちの食卓に野菜が並ぶまでにも沢山の犠牲がある
生きもの全般ではなく「動物」を直接殺したり使役して食に繋げなければ、それ以外の犠牲はヴィーガンにとってはどうでもいいのだろうか?

この矛盾を解消する最適解は、結局のところ人間が滅びることしかないように思えるサガリでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?