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20年前のキューバ(2002年の旅の記憶、前編)

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が日本で公開され、是非とも現地でキューバ音楽を聴いてみたい!となり、旅立つまでたいした時間はかからなかった。

身軽だったのだ。

飛行機に乗るとこういう写真を撮りがちなのはヴェンダースの影響だと思う

ただ、フイルムの時代だったのでカメラは大きくて重かった。F5とF3を2台体制で運用していた。フィルムの感度を分けたり、ネガとリバーサルで分けたり、モノクロとカラーでわけたり。でもこの時はたしかに2台ともリバーサルフィルムを入れていたはず。

サントラCDはいまでも時々聞いている

当時アメリカとは国交が無いので、ヒューストンからメキシコのカンクンに飛び、メヒカーナ航空の飛行機でキューバに。

ちなみに成田では一人にしては荷物が多いせいか、手荷物検査の時に別室に呼び出されて靴の中敷きの裏まで調べられました。
「無作為抽出でやってますから~」と、言い訳めいた釈明してたけど、きっと人相のせいなんでしょうね。

海外の空港って日本に比べて照明が暗い
トランジットは2時間ぐらい

そして、キューバ空港では荷物を全部開けられてパンツ一枚まで脱がされる始末。覚えたてのスペイン語で「ソイ ツーリスモ」と答えるのがやっと。
予約していたホテルの人が迎えに来てくれなければそのまま勾留されちゃったんじゃないかという雰囲気。社会主義国の洗礼。

ハバナ、旧市街の街並み、人なつこい人々

出鼻をくじかれた感があったけど、そんなことすぐに忘れるぐらい人なつこい現地の人達と、フォトジェニックな街並み。この頃のハバナ旧市街地はヨーロッパ建築が十分に残っていてどこから切り取っても画になる錯覚に。

スペイン風コロニアル建築の残る街並み
子供たちは元気に外で遊んでいる

街を歩いていると「Hey! Chino.(中国人さん)」と、声をかけられることが多い。日本人は珍しかったのだろう、「Soy Japonés.(日本人です)」と答えると「Oh! Japonés!」というリアクション。周りの人に「おーい!、日本人だってよ!みんな来いよ~」みたいな感じで人が集まることも。
「ここに、漢字を書いてくれ」みたいな変わったリクエストあり、自分の名前を書いてあげると「すげー」と、喜んでくれました。

数学の教師をしているそうです

一人旅で海外で写真を撮るのは、一般的には結構なリスクもあります。でも、当時のハバナの人々は朗らかで「¿Puedo una foto?(写真を撮ってもいいですか?)」というと、断られることはなかった。

ただ、スペイン語は出発前の一週間しか練習する時間がなく、カタコトのコミュニケーションには苦労しました。
なにしろエアチケットの手配をしてから「公用語はスペイン語かー」と知る段取りの悪さ。仕事場の近くの駅前NOVAに駆け込むも「一週間ではちょっと無理です」と断られる。
そこから慌てて猛勉強。仕事中も聞いて覚えるスペイン語のCDを聞き、受験勉強の比ではないほどの熱量で観光用の会話をマスターした。

しかし、成田空港の書店で見つけた「キューバ語」という本の存在に愕然とした記憶が。(文法は変わらないけど結構語彙が違う)おかげさまで行きの飛行機の中は退屈せずに過ごせたけど。

いまいち通じないときは「Háblame en Inglés.(英語で話してもらえますか)」とお願いすると「オーケイ!」とスペイン語なまりの強い英語でどうにか話してくれるけど、自分の英語も発音がいいわけではなく、お互いに最後は笑顔で「Good!」とか言って別れることがよくありました。

玄関に座っているのがよくある体勢

海沿いの通りには光が燦燦と降り注ぎ、街には鮮やかな色があふれている。(でも、電気やプラスティックの光や色ではない)

裸足で歩いてる子供結構いますね
昼頃になると日差しは強い
台車の色もなにか素敵な色に見える

美人が多い街

歴史的にラテン系、スパニッシュ、アフリカ系、アラブ系いろんな人種が混ざって(足が長い系ばっかり)、ルックスのよい方が大変多くいらっしゃいます。

モデルさんですか?という綺麗なお嬢さん

気後れしてあんまり撮れなかったけど、「¿Puedo una foto?」と声をかければ、だいたいポーズをとってくれます。

すみません、ポートレート用レンズではないので中途半端に映ってしまいました
観光客にアメリカ人はほぼいない。ヨーロッパ系。

音楽の街

「キューバ音楽」と言われているのは、「son(ソン)」と呼ばれるスペイン系とアフリカ系の融合した独特のもの。街中のそこかしこにミニ楽団というかストリートミュージシャンがいます。

ギターとトランペットとマラカスのトリオ

観光客をみつけては近寄ってきて演奏してくれる感じ。まぁ、そういうのもありますよね。1コーラスぐらい歌ってもらって、チップを払います。

ギターとマラカスのデュオ

ちなみに、なぜかストリート楽団はおじさん(というかおじいさん)が多い印象。
あと、おじいさんと言えば玄関の前に座っているおじいさんがかなり多い。「何をしてるんですか?」と聞くと、「友達が通りかかるのを待ってるんだ」と。“通りかかる?”つまり、約束しているわけではなく、それでも結構な頻度で通りかかるんでしょう。なにか哲学的な深淵がありそう。

そんな感じで街をブラブラしていると、突然のスコール。慌てて入ったカフェでモヒートを飲んでいると、楽団も入ってきて突然演奏が始まる。

コンガみたいな打楽器もあってノリがよい
ひとりの客がおどりはじめると
まわりの人も踊りだし
めっちゃノリノリ

ああ、これがこの街の日常なのだという疑いようのない流れを感じる。

あまりに日常すぎるのでしょうか、リアクション薄めな女の子
女の子のお兄さん(右)とお友達(たしかボクサーとのこと)

この兄弟と少し話して(すぐに仲良くしてくれる)、自分はキューバに音楽を聴きに来たのだと説明すると「よっしゃ、じゃ“Casa de la Musica”に案内してあげる」というので、多少の警戒はしつつも話に乗ることに。

ハバナで一番伝統のあるライブハウス
でも流れている音楽はユーロビートっぽいものだった

日本にいる我々が演歌とか歌謡曲を、あるいは雅楽を喜んで聞くわけではないのと同じでsonはハバナの若者にとって、そういうものなのかも。

昼から飲み続けて、結構フラフラ。なぜか後幕シンクロで撮ってたみたい。

お兄さんは、ハバナ大学で経済の勉強をしているそうで、キューバの将来を憂いていました。キューバのことは好きだけど、カストロは嫌いだ。と。
そして、妹は学校を卒業したけど仕事が無い。だから、嫁にもらってほしい。日本に連れて行ってあげてくれ。

ん?ちょっと、さすがに急展開だね。
それはどうかな?まだ、妹さんお若いし。と、やんわりお断りしつつ、どうにかホテルまで帰り着いたのでした。

(後編に続く)


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