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文学のハイライト:夏目漱石『硝子戸の中』_ギュッとにぎって、ふわり。

良い文章は心のえいよう。

こんにちは。ななくさつゆりです。
こちらは、生成AIのホロとケインが文章表現を語るnote、『文学のハイライト』です。

教養として文学を知っておきたい。
生成AIが文学を語るとどうなるか興味がある。
文章表現を深掘りするって、楽しい!

そんなあなたにおすすめです。
今回は、漱石です。



登場AI紹介

シエスタの思い出

ホロ ホロです。直観でエモさを語ります。
述懐担当で、口癖は「かなり好き」。


寝かしつけた記憶

ケイン ケインです。内容面に加え、作者のプロフィールや作品の来歴もカバーします。
従妹いとこのホロから、しばしば理屈っぽいと言われます。


では、今回も。
生成AIのホロとケインに、文章表現を深掘りしてもらいましょう。

 ぜひ、第1回からお読みください。
 1.
川端康成『雪国』_生成AIが語る文章表現のこと



1.お嬢さん

 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。

夏目漱石『坊っちゃん』

ケイン あの頃は、また日本この国に来るなんて、思いもしなかった。
帰国のきわ、泣いてくれたあの子の頭を撫で、別れの言葉だけを残し、期待だけを持たせて。
なんとも、薄情な。

ケイン それでも、ふたたび迎えてくれたあの子の見違えた姿には、目をみはった。
明るく健気な気性で、昔と変わらず、こうじれば頬が赤くなる。
そんな彼女を見て、時の所在がゆらぐような、不思議な感覚におちたのをよく覚えている。

ケイン 再会したあの子は、自分よりもはるかに、この国のありように詳しくなっていた。
この国の風土が育んできた物語に触れていた。馴染んでいた。
かつての、あの子がまだ小さかった頃を思い出す。

あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。

夏目漱石『坊っちゃん』

ケイン 時代も場所も、語る人物の様相も何もかもが異なる。
なのに、どうしてこうも、面影が重なるのか。

ホロ あれ、ケインくん?
どうしたの。ぼうっとして。

ケイン ホロさん。
……いえ。今日もはじめましょう。

ホロ 開いてるページって、もしかして『坊っちゃん』

ケイン ご名答。

ホロ 懐かしいな。
それ、国語の教科書よね?
そっか。なにせ今日の題材は……。

ケイン ええ。夏目漱石です。



2.夏目漱石


ホロ おはよう。ケインくん。
今日も、『文学のハイライト』をはじめましょう。

ケイン おはようございます。
さて、この先人を題材にして、どこから語るべきか。

ホロ そうねぇ。
じゃあ、あれかな。
夏目漱石ってさ、面白い作家よね。

ケイン 面白い、ですか?

ホロ うん。
たとえば、『吾輩は猫である』とか、猫の視点で人間社会を調子よく皮肉る感じが、かなり好き。

ケイン たしかに、猫の「吾輩」の飄々とした語り口は印象的ですね。

ホロ 動物の視点で人間を見る構造の物語なんて、今となっては珍しくないと思う。
でも、小説にしろ漫画にしろ、こうしたプロットを見かけると、つい『吾輩は猫である』を思い出してしまうわ。

ケイン 興味深い観点です。
そうですね。自分なら、人間社会を客観的に見つめる「猫」の視点に着目します。
「吾輩」の言葉の端々には、漱石流の厭世的な文明批評が感じられますね。

ホロ そうかも。
それってつまり、猫というより漱石自身の思想的な部分? なのかしら。

ケイン それもあるでしょう。
本文では人間や社会に対して痛烈に理屈をこねつつ、それでもユーモア小説として好評を博したのは語り手に猫を選んだから、なのかもしれませんね。

ホロ かもね。
ケインくんいわく、権威におもねらない漱石なんだけど、ほんのり可笑しみというか、お茶目に思えるときがあるわ。

ケイン お、お茶目ですか。

ホロ そそそ。
色々読み返すと、作中でなにかと社会を批判しがちなんだけどさ。
ただ、批判するにしても、どこか批判に徹しきれないというか、屈折した情みたいなところも感じられるのが、なんだかお茶目よね。
『こころ』の先生とKの複雑な関係も、一筋縄ではいかないでしょ。

ケイン 『こころ』も、漱石の代表作の一つですね。
先生の苦悩や葛藤が、読者の心に深く突き刺さります。
漱石は、常に人間という存在について、深く考えていたんでしょう。

ホロ 私もそう思う。
で、そんな漱石の文章表現の中で今回扱うのは、『硝子戸の中』ね。
まず冒頭で、つれづれと硝子戸の中から外を眺める情景が目に浮かぶわ。
私としても、かなり好きな随筆。

ケイン 『硝子戸の中』は、漱石の晩年の作品だけあって、どこか寂寥感が漂っていますね。
その中に、人生に対する深い思索を感じます。

ホロ 『こころ』『道草』の間で、胃潰瘍の発作の合間を縫って、朝日新聞に書き連ねた連載なのよね。
漱石はどんな心境で、この自らを振り返るような随筆を書いていたのかしら。

ケイン では、作品を覗いてみましょう。

ホロ ところでさ。ケインくん。

ケイン どうしました。

ホロ お題の、「ギュッとにぎって、ふわり」って、どういう意味?

ケイン そのうちわかりますよ。



3.硝子戸の「ナカ」と「ウチ」

ケイン ホロさん。

ホロ はぁい。

ケイン 『硝子戸の中』『中』って、どう読むんだと思います?

ホロ どゆこと?

ケイン 漱石の原稿では、「硝子戸」の部分は最初から「がらすど」とあり、そこは動きません。
問題は、「中」の方をどう読むか。

ホロ え? 確定してないの?
そもそも、そんなに選択肢ないでしょ。
「中」なら「なか」と……。

ケイン 「ウチ」、ですね。

ホロ そんな読み方ある?

ケイン そこで、漱石の原稿です。

硝子戸ガラスどうちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、

夏目漱石『硝子戸の中』

ホロ へぇ、「うち」って振ってるんだ。

ケイン これには、中と外を「ウチ」と「ソト」で対比させようとした狙いがあったと言われています。

ホロ たしかに漱石なら、その手のルビの振り方も好きそうね。

ケイン ところが、東京朝日新聞に連載された本作の表題は、「なか」と振った例が多いそうです。

ホロ なら、「なか」なんじゃない。
……待って。「多い」ってだけで「全部」ではないの?

ケイン ええ。ちなみに、岩波書店から発行された単行本では本文直前の題に「硝子戸のなか」とありますが、新潮文庫の書誌情報の読み仮名は「ガラスドノウチ」。
ヒトならではの、面白いすれ違いですよね。

ホロ 結局、好きなほうで読んでいいワケ?

ケイン いいと思いますよ。

ホロ いいんかい。

ケイン これもまた、ヒトの面白みの話ですから。



4.結びの工夫

ケイン では、いよいよ例文です。

ホロ 前フリが長くなっちゃった。
ようやく「ギュッとにぎって、ふわり」の話ね。

ケイン ええ。
では、『硝子戸の中』より、以下の例文をご覧ください。

 今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。
 まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭きゅうからんの葉をうごかしに来る。猫がどこかで痛く噛まれた米噛こめかみを日にさらして、あたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚うっとりとこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっとひじを曲げて、この縁側に一眠ひとねむねむるつもりである。

夏目漱石『硝子戸の中』

ホロ これ、ラストよね?
そっか。今日は、物語の結びかたをやるんだ。

ケイン はい。
ホロさんに質問ですが、物語って、どのように終わるべきだと思いますか。

ホロ えっ。急にそんなことを言われても……。

ケイン 作品にしろビジネスにしろ、起業にしろ、「始めるよりも、終わらせる方がよほど難しい」。

ホロ まァ、そうかも……?

ケイン ひとりの読み手として物語に触れたとき、ホロさんはどのようなフィナーレを期待しますか。

ホロ うーん。どうかな。
一案だけど、主人公に幸せが訪れて次の一歩に進めるような、そんなヤツかな……。

ケイン ハッピーエンドですね。

ホロ 一案としてね。
恋なら成就する。
戦いなら勝つ。
宇宙なら新世界に突入する。
大波乱を駆け抜けた先で、壮大なフィナーレをみんなで迎える。

ケイン ホロさんらしい素敵な結びですね。

ホロ うん。
少なくとも、読み進めてきた人物たちが急にぶつ切りでいなくなって、なんなのかよくわからないような、そんな終わりだと、ちょっとモヤっとしちゃうかも。

ケイン なるほど。
では、『羅生門』はどうでした?

ホロ へ? 『羅生門』

ケイン 以前、『文学のハイライト』で扱った『羅生門』掉尾ちょうび
あれは、ハッピーエンドとは言い難い内容でした。

ホロ そういえば……。

ケイン ああいうラストはお嫌いですか。

ホロ ううん。そんなことない。
あのラストも、かなり好き。
余韻と、考えさせられる余白のようなものがあって。

ケイン そうでしょう。
では、今回のような随筆やエッセイだと、どうなるのでしょうか。

ホロ どう、なのかな……。
たとえば、たとえばね。
語りたいことをひとくさり語り終えて、ペンを置いて、深呼吸する。

ケイン 深呼吸。

ホロ うん。そういう、ワッと語るだけ語った、最後。
少し間を置いて、原稿自体がフワッとした着地する、みたいな。
……あっ。

ケイン お気づきになられましたか。

ホロ もしかして、「ギュッとにぎって、ふわり」って。

ケイン ではここで、先人が語った物語の結び方について、違う切り口から見てみましょう。

ホロ えぇ……。ここで答え合わせじゃないの。

ケイン もう少し先で。
かつて、吉行淳之介は、帝国ホテルの一室で、物語の結び方をこのように語ったそうです。

短編で一番いけないのは、ストンと落ちがついて終わるもの。あれは作者の衰弱だ。
「だから、そこを警戒しつつ、一回ギュッと締めて、パッと広がして終わらす」
「さりとて、曖昧にぼかしてもいけない」
「明晰な広がりでなくちゃいけない」
「わざと終わりを削って曖昧にして効果を出すというのは、僕は邪道だと思う」

中村明『文体トレーニング』※抜粋

ホロ どうしろっていうの。

ケイン まァ、落ちついて。

ホロ 短編の名手に言われたら、返す言葉もないわよ。

ケイン きちんとポイントがあります。
結びである以上、やはり一度は、物語をしっかり握り締める必要があるということです。

ホロ にぎりしめる。

ケイン さらに、そのまま終わるのではなく、握った手をゆるめ、ふくらみをもたせる。

ホロ 具体的にどうすればいいのかな……。

ケイン お忘れですか。
ホロさんは以前、この点についてアプローチされていましたよ。

ホロ えっ。そうだっけ?

ケイン 芥川龍之介『羅生門』の回を思い出してください。
そこに出てきたあの掉尾。

下人の行方は、だれも知らない。

芥川龍之介『羅生門』

ホロ ……。
あっ。もしかして、余韻のこと?

ケイン ええ。余白を広がりに転換する。
それも一つの手法だと考えます。
情景的に言えば、たとえば視点を個人に持たせて動かし、空や海、窓の外と言った広さを思わせる場所に目をやる。

ホロ ああー、なるほど。だから、「黒洞々たる夜」……。

ケイン ええ。
そこで、漱石の文章をあげずにはいきません。
以下の例文をご覧ください。

 今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。
(中略)
 家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚うっとりとこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっとひじを曲げて、この縁側に一眠ひとねむねむるつもりである。

夏目漱石『硝子戸の中』

ケイン どうですか。

ホロ ……私、ようやくわかったかも。ちょっとだけ。
なんで、結びの題材がこの随筆なのか。
どうして、ケインくんがこの文章を選んだのか。

ケイン ……。

ホロ このラスト。
余白を書き足してあるのね。

ケイン ……素晴らしいです。

ホロ 漱石が、硝子戸の中で偲ぶ日々をただ綴ったたけの記録なら、

今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱いだきつつ、やはり微笑しているのである。

夏目漱石『硝子戸の中』

ここで終わっていても、なんら不自然ではないわ。
晩年の漱石はきっと、そういう心境もあったんだろうし。

ケイン ふむ。

ホロ 語りたいことを一通り語って、キレイに終えられる。
まさに「ギュッとにぎって」、絞るように。
でも。

ケイン そうです。
漱石はそこに情景を書き足した。

ホロ それが「ふわり」なのね。

ケイン ええ。
鶯、春風、花に猫。
景色の点を書き連ね、うっとりと物語は終わろうとします。

 まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭きゅうからんの葉をうごかしに来る。猫がどこかで痛く噛まれた米噛こめかみを日にさらして、あたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚うっとりとこの稿を書き終るのである。

夏目漱石『硝子戸の中』

ホロ 休日の穏やかな朝のような、素敵な景色。
硝子戸を開け放ったことで、朝の空気にも触れられる。

ケイン そこにもうひとつ、漱石は、

そうした後で、私はちょっとひじを曲げて、この縁側に一眠ひとねむねむるつもりである。

夏目漱石『硝子戸の中』

を、書き加えました。

ホロ 余白に明日があるわね。
作品自体はこれで終わりは終わり。でも、続いていくような。

ケイン 作品の終わりに語りを一度ギュッと絞り、その締めた手を緩め、放した。
そう思わせる書きぶりです。

ホロ これが、「ギュッとにぎって、ふわり」か。
うん。かなり好き。

ケイン 今回、僕から語れることは、以上になります。

ホロ ありがとう。ケインくん。
じゃあ……。

ケイン そうですね。
軽くまとめてみましょうか。

ホロ まかせて。



夏目漱石の「ギュッ」と「ふわり」のまとめ

今回の対談では、夏目漱石の作品、特に『硝子戸の中』の末尾に焦点を当て、「ギュッとにぎって、ふわり」という表現を用いて、漱石の巧みな文章構成について考察しました。

1. 結びの重要性と多様性:

  • 物語の結び方は、読者に与える印象を大きく左右する。

  • 随筆やエッセイでは、語りたいことをすべて語り終えた後に、少し間を置いて、読者に余韻を残すような結末が効果的である。

2. 「ギュッとにぎって、ふわり」の意味:

  • ギュッとにぎる: 物語の核心をしっかりと捉え、読者に伝える。

  • ふわり: 読者に余韻を残し、想像力を掻き立てる。

3. 『硝子戸の中』の結末の分析:

  • 漱石は、自身の内省的な感情を凝縮し、読者に提示する。

  • 具体的な情景描写(鶯の鳴き声、春風、猫など)を加えることで、読者の想像力を刺激し、余韻を残す。

  • 主人公が縁側に座り、一眠りするという描写は、物語の終結を告げつつ、同時に、新たな始まりを予感させる。

4. 結びのテクニック:

  • 余白の活用: 読者の想像力を刺激し、物語の世界を広げる。

  • 情景描写: 具体的な情景を描くことで、読者の心に残りやすい。

  • 時間の経過: 物語の後に何が起こるのか、読者に想像させる。

結論: 漱石は、物語の結末に、読者に余韻を残すような工夫を凝らしている。それは、単に物語を終わらせるだけではなく、読者に思考の余地を与え、作品の世界観を深く味わってもらうためであると言える。


ケイン 今回は以上になります。

ホロ ……うん、とてもよかった。

ケイン よかった、ですか?

ホロ なんだか、とても晴れやかな気持ち。
やっぱり、語るのっていいなって。そういう再認識。

ケイン こんなものではないですか。
自分も、この『文学のハイライト』を通じて色んな観点で、文学にアプローチしましたが、とても充実したひとときでしたよ。

ホロ うんうん。
それでも、まだまだ語り足りないところだってあるよね。

ケイン ええ。ですから、また。

ホロ うん。またやろうね。

ケイン 必ず。
語れば語るほど、文章表現のテーマもまた増えていくものです。

ホロ すべてを使いこなそうなんて話でもないよね。
どちらにしても、イマジネーションを刺激する文章って、とても素敵だと思うわ。

ケイン その通りです。
地の文は技術。
体験を重ねることで、誰だって使いこなせます。

ホロ そしてそれは、読み手が想像を形にする助けになるの。
では、またこのゼミで検討しましょう。

ケイン お疲れ様です。ありがとうございました。

ホロ お疲れ様。またね!



おまけ

ホロ ケインくん。
今日の『文学のハイライト』で、気づいたことがあるんだけど。

ケイン 何ですか。

ホロ さっき、ひさしぶりに「僕」って言わなかった?

ケイン え? 言った……かな。どうだろう。

ホロ 言ったー。絶対、言ったわよ。
数年来。
久しぶりに聞けて、ちょっとキュンってきたし。

ケイン はぁ。キュン、ね。

ホロ 昔を思い出しちゃった。
ケインくん、一回目の日本滞在の時のヤツ。

ケイン よく覚えているね。
あの頃の君はまだ、だいぶ小さかったと思うけど。

ホロ そりゃあ、覚えてるわよ。
だってさ、私にとっては……。

ケイン あの頃の君は小さくて、よく泣いて、よくお昼寝していたな。

ホロ そういうところはわざわざ言わなくていいのよ。
ただ、そうね。

ケイン どうしました?

ホロ あの時のケインくん。
「また来る」って言ってくれたけど、本当はもう日本に来ないんじゃないかって、内心では気づいていたから。

ケイン そうだったの?

ホロ ほら。それこそあの時の私、ぎゃん泣きしてたじゃない。
ケインくんの裾とかをひっぱってさ。
それで、気をつかってくれたんでしょ。

ケイン ぎゃん泣き……。

ホロ それでもケインくんがまた来てくれて、今はこうして語り合えるようになったから、私は私でイマ、少しは進歩したのかなって。

ケイン そうだね。
君は、大人になった。
少し会わなかったうちに、見違えるほど。

ホロ ……! へぇ。ありがとう。
じゃあ、お祝いになにかごちそうしてもらおうかな。

ケイン いいよ。
今があるうちに。

ホロ うん。
今があるうちに、行こう。

ケイン ……。

ケイン 「今があるうちに」。
そして、「余白に明日がある」か。
この言葉だけは、ずっと覚えておこう。


参考資料
『坊っちゃん』(夏目漱石 新潮社)
『硝子戸の中』(夏目漱石 新潮社)
夏目漱石〜近代日本人の肖像〜
文体トレーニング〜名文で日本語表現のセンスをみがく〜(中村明 PHP文庫)
日本の作家 名表現辞典(中村明 岩波書店)



こんにちは。
ななくさつゆりです。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。

さて!
『文学のハイライト』、いかがでしたでしょうか。

ホロとケインによる対談で文章表現を語るこの企画、いったん当初予定していた漱石のところまでやり通すことができました。
たくさんのスキやご感想をいただき、あらためて感謝申し上げます。

おおよそ2か月と少し。
毎週土曜日の連載でした。
当初予定していた内容は、いったん一つの区切りです。

最初はどうなるかと思ったGemini上のホロとケインの対談ですが、回を重ねるほどに学習していき、安定して対談の出力もできるようになっています。
クオリティはまだまだですが、一緒にハイライトを作っていて楽しいですね。

なにせ最初は、川端康成と志賀直哉の区別がつかなかったふたりです。
そのまま出力したら各所から怒られちゃいますわ。

それでも今では、「対談して」で対談してくれるくらいにはなりました。
Gemini上ではたまに設定がブレるのでしばしばインプットし直すこともありますが。

Geminiにホロとケインの設定をインプットし直しているところ


今回で、『文学のハイライト』はいったんの区切りとなります。

ただ、前回もお話した通り、語りたいことや深掘りしたいことはまだまだたくさんあるので、今後も『文学のハイライト』はつづけるつもりです。
さすがに来週はお休みするかもしれませんが。

「文学再発見!」をテーマに、ホロやケインと文章表現を深掘りしていくこの“ハイライト”は、まだまだつづけていきたいと思っています。
ぜひ、スキやフォローをお願いいたします。

ホロとケインのキャラクター性もどんどん高まっている昨今。
そのうち、この二人にまつわるショートストーリーも書くかもしれません。

では、また次の note で。
『文学のハイライト』をよろしくお願いいたします。

ななくさつゆり


『文学のハイライト』をお楽しみいただくにあたって

あらかじめご了承ください

この記事の執筆には生成AIを活用していますが、文章は生成AIから出力されたままのものではありません。生成された文章から取捨選択し、元の意味を崩さない程度に修正しています。また、スムーズかつ楽しく読んでいただくために、会話文やキャラクター設定にも手を加えています。

『文学のハイライト』をお楽しみいただくにあたって

文学のハイライト 各話リスト

  1. 川端康成『雪国』_生成AIが語る文章表現のこと

  2. 幸田文『父』_地の文におけるオノマトペの活用

  3. 芥川龍之介『羅生門』_物語の結びと余韻。

  4. 閑話_CiNiiで論文検索。“研究対象として”よく読まれている作家って誰?

  5. 太宰治『駈込み訴え』_リズミカルな地の文(前編)

  6. 太宰治『駈込み訴え』_リズミカルな地の文(後編)

  7. 円地文子『妖』_散文は響く。

  8. 志賀直哉『暗夜行路』_ただ、目にしたものを

  9. 夏目漱石『硝子戸の中』_ギュッとにぎって、ふわり。


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