見出し画像

満月

月と星の指輪の少女
街の空の太陽の光のようだ
月の輝き、ああ、夜も深い
きみを思い、寂しくなる
(「Lua e Estrela(月と星)」カエターノ・ヴェローゾ)

──────────────────────────

旦那さんが大学院で研究するというので、
姉さんの4人家族がヨーロッパのある街に引っ越した。
姉さんには2人の女の子がいる。
お姉ちゃんのすずは7歳で、妹のちなつは3歳だ。

「りょう兄さん、いらっしゃい」
夏、連休を利用して遊びにいくと、すずは久しぶりに会うぼくを歓迎してくれた。
ちなつはまだ、ぼくをぼくとわからないかな。
今日、旦那さんは研究に行っているという。
部屋は片付いていて、棚の上に置いてある家族写真が微笑みかけてくる。
テレビでは、外国語のアニメが流しっぱなしだ。

夕食の食材が足りなくて、ぼくが買い出しに行くことになった。
すずがスーパーまで案内してあげると言うと、ちなつも一緒に行くという。
一緒にアパートを降り、街へ出る。そこは、名匠たちが映画に残した街並みの残り香漂う。
遠くに見える塔の向こうに、かすかに月が見えた。

旅行はあまり好きじゃないけれど、イメージだけで自分の中に存在した場所に、実際に自分がいるという感傷は、
映画を見たり、本を読んだりすることでは味わえない感覚だ。
この街に来てみて良かったと思った。

「スーパーまではちょっと遠くて、地下道を通っていくと近道だよ」と、すずがお姉ちゃんの顔で言う。

「じゃあ、そうしようか」と、ちなつを抱きかかえ地下への階段を降りていく。
コンクリートで囲まれた地下に降りるのは、どの街でも少し似ている。
でも、ここでは音が違った。これは一体何の音なんだ。
下まで降りて扉を開けて、はっきりした。バイクの音だ。
地下道にバイクしか走っていない。

「りょう兄さん、今日、地下道がバイクだけの日やった」
この街では、地下道を人が歩いてはいけない日があるようだ。

「戻ろう、すず。でも、扉が開かない」

「一方通行だから、こっちからは開かなくなっとる」

「じゃあ、進むしかないんだね」

ぼくは、ちなつをしっかりと抱きかかえ、バイクが次々と走る地下道を進むことにした。
見たことのない形のバイクが、次々と向かってくる。
バファローの大群に、イナゴの大群。皆、すごい勢いで、迫ってくる。
蛍の大群は、一瞬花火のようだった。
鳥の大群かと思えば、ペンギンだ。ここでは、ペンギンが蝶のように飛べるらしい。
うさぎが速い。(脱兎のごとくとはよく言ったものだ)と感心している暇はなかった。

姪たちとのらりくらりと過ごすつもりが、こんなスリリングな冒険をすることになるとは。
すずとしっかり手を繋ぎ、ちなつをしっかり抱きかかえる。この子たちに怪我をさせてはいけない。

利巧そうなカラスが一羽、向かってくる。

「あー、危ないねえ。せいぜい気をつけなよ」とカラス。

「どの扉がこちらから開く扉なのかな?」

「それがまたこっちからは分からないんだよ。役に立てなくてすまんね」と言って、先に飛び立ってしまった。

「りょう兄さん、全部の扉に行くしかないね」と、すず。

少し進むと、ちなつが歩きたいと言う。
「危ないよ」と言っても、ちなつはきかない。

ちなつをゆっくりと降ろし、ちなつが歩き出すと、
急にバイクの動きがゆっくりになった。

「ちなつが、みんなを優しくしたんだね」

確かに、この子の成長が、世界に影響を与えたんだとしか思えなかった。
ちなつは優しい子に育つのだろう。

ちなつが向かう方向に、扉があり、ちなつの声に反応している。

扉は開いた。どうにか無事に助かったみたいだ。
階段を上がると、太陽が眩しい。

「りょう兄さん、ありがとう。何とか出れたね」と言って、すずは、一枚の写真をぼくに手渡した。

見慣れない写真で、すずとちなつは一回り大きくなっている。
すずは小さな男の子を抱き抱えていた──

ここで、目を覚ましてしまったぼくはまた夢に戻りたいと願った。
窓の外、空には満月が輝いていた。
その日、満月がとても近くて、手を伸ばせば届きそうだった。
手を伸ばしてみる。手が届いた。ドアノブのように回してみると、
扉が開いた。

扉の向こうに進むと、ぼくは、すずとちなつの弟になった。
やった。これでまだ暫く、一緒に遊べる。

──────────────────────────

まん丸く 光るドアノブ 回したら 夢に戻れる。それは満月。

─────────────────────────

#小説


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?